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40 周藤先生の集中講義

 西陵大学は二カ月に及ぶ長い夏期休暇へと突入したが、閑散とした校舎の中一部の講義室ではぎっしりと学生が詰まり朝から夕方まで一日中講義を受ける。それも四日間連続で五日目には単位獲得が掛かっているテスト、もしくはレポートを課せられる。  そう、集中講義だ。  夏と冬に行われる集中講義は他大学の教員を招いての特別授業であり、専門外の珍しい講義を学べる上に何より短期間で単位が取得出来るとあってどの講義も人気が高い。  利人も今年は周藤の講義を取った。  講義リストが出た時一番に気になった講義だ。周藤の論文を読んで一層期待は高まる。  そして海水浴から二日後、周藤の集中講義が始まった。  広い講義室の中、本令と共に颯爽と現れた周藤は先日の砕けた格好とは打って変わり半袖の黒いシャツとグレーのスラックスをスマートに着こなしている。  利人に気づいたのか目が合うと周藤はにっと口端を吊り上げぱちりとウィンクを飛ばす。 「うわ、周藤先生がやると似合い過ぎて笑えない」  見ていたのか、利人の左隣に座っていた羽月が苦笑いを浮かべる。  その言い方はどうかと思ったが確かにその通りだ。周藤の仕草はあまりにも自然で嫌みがなく、男の自分でもぐっと来る。 「ほら見てよ利人、女子が色めき立ってる。やっぱモテるんだ。この様子だとヒガシ大じゃあ周藤先生の受け持ち女子率高いんじゃない?」 「おお……。でも周藤先生って男から見ても好感あるっていうか、格好良いから男受けもしそうだよ」  成程、と羽月が頷く。 「格好良い、ですか」  のんびりとした会話の中ぴしりと空気の張り詰めた声が上がる。  それに気づかない利人は顔を右へ向けると悪気のない笑みを浮かべた。 「うん、格好良い。周藤先生みたいな人憧れるな。野性味があって男らしいって言うの? 夕もそう思わないか?」 「まあ、確かに野性味はありますし男らしいんじゃないですか」  利人の右隣に座っている夕は薄く微笑みを浮かべつつ曖昧な返事をする。 「けど利人さんとはタイプが違いますし、利人さんは今の利人さんで十分魅力的ですから気にしなくて良いですよ」  にこりとやたら綺麗な顔で微笑まれ、利人はきょとんと目を見張らせて唇を真一文字に引き結ぶ。 「あ、ありがと。何、何か欲しい物でもあんの?」 「あるっちゃありますけど……」  じ、と見つめられ尻込みする。そして目を細め、また今度にしますと形の良い唇が弧を描いた。  夕が現れたのは講義の始まる十分前。突然隣の席に誰か座ったかと思えば夕なのだから驚いた。  中には一般人も無料で聴講できる講義もあるし、今回のような大型の講義では一般人が紛れていても気づかれにくい。  あまり公にはしていないがどうやらこの講義は一般聴講が出来るようだ。とは言っても、単位が取れる訳ではないし全日程出るつもりもないらしい。 「夕君真面目だね。まだ中学生なのに大学の講義に興味あるなんて」 「いえ、夏休みで良い機会ですから。大学の講義を見学してみたかったんですよ。ここは図書館もありますしね」  ガイダンスが始まる。声を潜める羽月に夕もまた声のトーンを落とす。 「ふうん」 「何、羽月」  意味ありげな羽月の反応に利人が首を傾げると、羽月はくすりと笑って利人にしか聞こえないように顔を寄せる。 「懐かれてるじゃん。彼、利人がいるから来たんでしょ?」 「え? ……ああ、夕ってここの附属だし半分受験生みたいなもんなんだよ。だからじゃないか」  一瞬照れた顔をした利人は羽月と同じように顔を寄せて言う。けれど羽月はそうかなあと不服そうに顎に手を置いた。 「それだけなら睨まれないって」 「何?」  ぽつりと呟かれた言葉が聞こえず利人が首を傾げると、羽月は何でもないと言って利人の向こう側にいる夕を一瞥する。  冷めた瞳が一瞬で切り替わり穏やかな表情をつくる夕に、羽月はやっぱりじゃないかとひっそりと溜息を吐いた。    *** 「利人さん、お疲れ様です」 「あれ、夕? まだ帰ってなかったのか」  その日の分の講義を終え、羽月と共に講義室から出ると夕と再び遭遇した。  昼食を食べた時までは一緒にいたが、勉強するからと別れて図書館へ向かってからもう何時間も経った為てっきり帰ったのかと思っていた。 「はい、ずっと図書館にいたので。そろそろ帰ろうかと思っていたんですが丁度良かった。利人さん達も講義終わったんですね」  感心だなあと利人が褒め、ふふと嬉しそうに微笑む夕。  利人は夕の言葉のまま素直に受け止めている為、『偶然』に疑問を抱いているのは羽月だけだ。 「利人、私先帰るわ。じゃあね、夕君」 「おー、また明日な」 「さようなら、羽月さん」  触らぬ神に祟りなし。  羽月にとって夕は物腰の柔らかいよくできた良い子で、嫌いである筈がない。ただ時折突き刺さる視線に不穏な気配を感じずにはいられない。一昨日は分からなかったけれど、今日は妙に気になった。  その理由も分からなくはない。羽月は利人と最寄駅が同じで受講科目も被る事が多い為何かと話す機会は多い。お互い気も使わないから、今日のように隣の席に座る事も少なくない。  だから友人からは利人と付き合っているのかと聞かれた事もあった。  夕もそれを怪しんでいる可能性はある。あるいは相当利人に懐いているようだから嫉妬しているのか。 「可愛いな、中学生」  ぼそりと呟いてひっそりと笑う。  徐に振り返ると、立ち止まった場所で利人と夕はまだ話をしているようだった。  遠目からでも分かる、いつもとは温度の異なる夕の微笑みに目を見張らせる。  夕はいつも綺麗に笑う。けれど素が滲み出ているような、不安定で眩い顔は初めて見た。  うわあ、と羽月は上気した頬に両手を当て、忙しなく踵を返すと足早に校門を目指して歩き出す。  見てはいけないものを見てしまった。訳も分からないまま、何故かそんな風に思う羽月であった。

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