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42 昼下がりのボーイズトーク 〈1〉
ある程度満足した夕は午後になると構内にある図書館へ向かった。利人と離れるのは名残惜しいが、これ以上傍にいても話せる訳ではないし聞くだけの講義は眠ってしまいそうだ。
(それにテストの点を上げる方が大事だしな。二学期の中間で良い点取れたら利人さん喜ぶだろうな)
思わず笑みが零れる。二階にある入館ゲートを越えてきょろきょろと辺りを見渡すと、窓際に一人分ずつ仕切りの入った机を見つけるも席はすべて埋まっていた。
(じゃあ三階か)
館内図を見て勉強の出来そうな場所を把握すると、階段を探して踵を返す。
すると見慣れた格好の人間が視界に映った。白緑の半袖シャツに松葉色のスラックス。今が夏休みでなければ夕も同じ格好をしていたであろうそれに目を留めて軽く息を呑んだ。
「鴉取」
視線の先ではぎこちない関係のまま顔を合わせずじまいの藍がいた。本棚に向かっていた藍が雑誌を一冊手に取ってこちらへ振り向くと、向こうも夕に気づいたらしく唇を僅かに開く。
藍とは些細な諍いの後一言も話していない。元々話すような間柄でもなかったけれど、意識して避けていたのは確かだ。藍から声を掛けて来る事もなく、例え今のように目が合ってもお互いに目を逸らす。
今回もそうなると思っていた。
「やあ、白岡じゃないか久し振り。こんなとこで会うなんて奇遇だね」
驚く事に夕の下へと真っ直ぐ近づいて来た藍は珍しく自分から声を掛けてきた。夕は軽く目を見張らせる。
「そうだな。……鴉取はここによく来るのか?」
「よくって程じゃないけどね。家がこっちの方だから時々来るんだ。白岡は調べ物?」
「いや、勉強」
勉強? と藍が首を傾げる。そして辺りを一瞥すると口角を上げて「良い場所がある」とほくそ笑んだ。
藍に案内された場所は窓際にカウンタータイプの机が置かれた静かな場所だった。同じ階には長机の並んだ広い勉強スペースもあるが、そこはちょっと本を読む用に設置されたのか机はやや狭いが正面が窓か壁なので勉強するには集中出来て良い。
「穴場だな」
「だろ」
階段から遠く周囲の本棚も専門図書の為ここまで足を運ぶ人間は限られて来るのだろう。藍は得意そうに、けれどどこか無気力感を漂わせる緩い調子で微笑み窓の外を見る。
藍が座ったのは二つ目に覗き込んだ窓の正面の席だ。夕は少し迷った後藍と椅子一つ飛び越えた席に腰掛ける。
鞄から勉強道具を出して問題集を開く。横目で藍を覗き見ると、藍は持って来た雑誌も開かずに頬杖をついて窓の外を眺めていた。顔はとろんと幸せそうに緩んでいて、見覚えのあるその表情に何かを思い出し掛ける。
身体をずらし、隣の窓から藍の視線の先を探るとその正体が分かった。
「あれは、鴉取紅……?」
窓の外、図書館の裏手には植物園が広がっていてやたらと子供の姿が目につく。その中に藍と同じ顔をした人間を見つけた。
「そう、俺の兄さん。大学の美術部が開いてる子供教室に紅も指導側として参加してるんだ。早く終わらないかなあ、紅がいないと退屈で死にそう」
そうだ、藍は双子の兄の紅に大層執着しているのだった。
紅の事を愛していると言い切った藍の言葉を思い出す。
『死にそう』だなんて大袈裟な言葉は日常でも軽々と使われるものだが、この人間に至っては真実そうなってもおかしくはないと思わせた。
「兄待ちって事か。なら鴉取も参加すれば良かったじゃないか」
「子供は嫌いなんだ。うるさいし紅取られるし、取り返すと紅に大人げないって怒られるし」
窓の外を見つめ続けるその横顔は夕が話し掛けても微動だにしない。本当に兄一直線だ。
けれどそれにしても、藍の心の内が読めない。
「なあ、お前俺に何か用があったんじゃないのか」
「え? 何で?」
だらだらと続く会話に痺れを切らしてそう尋ねると、藍はそこでやっと夕に顔を向けて目を丸くする。その反応に夕は苛立たしげに眉を顰めた。
「じゃあ何で用もないのに俺に話し掛けて来たんだよ。そういう社交性はお前にはないと思っていたんだが」
皮肉も込めてそう口にすると、藍は考え込むように視線を何もない方向へぐるりと向けてそうだねと同意する。
「白岡の言う通りだと思うよ。でも何でって言われると困るな……機嫌が良いから?」
「待てよそれを言うなら逆だろ。退屈だって言ってたじゃないか」
夕が反論すると、藍はまた幸せそうに顔を綻ばせて遠くの紅を見る。
「それは確かにマイナスだけど、今朝とっても良い事があったからね」
うふふと目を細める藍に夕は好奇心を掻き立てられる。藍の事をよく知っている訳ではないが、こんな表情をするのは彼が唯一執着する兄が関係している時だともう分かっている。
「良い事って?」
「内緒」
唇の前で人差し指を立てる藍に夕はむっと唇を尖らせる。
「ここまで言ったんだから教えろよ」
「だぁめ。紅にばれたら叱られちゃう。それに、あんたは嫌いな話だと思うよ。気持ち悪い、ってね」
――白岡、俺とヤんない? 俺がネコで良いし。
――お前がどこで誰とサカろうが勝手だが、俺は男とする趣味はない。気色悪い、反吐が出る。
あれか、と夕は目を細める。
藍と紅は血の通った双子だ。その二人の間で起こった夕に疎まれそうな『良い事』とは一体何なのか。
(まさか兄弟でセックスしてる訳じゃないよな)
ひやりとした。いつもなら流石にそれはないだろうと一蹴出来るが、藍の紅への思い入れは相当のものだ。あり得ない話ではないと思えてしまう辺りもう毒されているのかもしれない。
夕はわざと空けていた椅子に移動し、周囲に誰も人がいない事を確認すると声を潜ませる。
「鴉取は男が好きなのか? 前、俺を誘うような事言ったのも、もしかして冗談じゃないとか……」
「だとしたら、何?」
さっきまでの蕩ける微笑みは引っ込み、藍は澄ました顔で長い睫毛を瞬かせる。
「言っただろ、俺は紅が特別で一番なだけ。気持ち良ければセックスの相手なんて男でも女でもどっちでも良いのさ。それとも何、俺とシたい?」
「ばっ、……馬鹿か、お前とは絶対やらねえよ」
つい張り上げてしまった声を抑え、横目でさっと周りを見渡してから藍を睨みつける。
すると藍は、へえ、と意味ありげに夕を見る。
「『お前とは』? 白岡、男となんて問題外みたいな事言ってたけど、そうでもないのかな」
「それは……」
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