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45 いつもと違う水曜日

「周藤先生の講義はどうだった?」 「良いですね。久し振りにわくわくしました。明日も楽しみですよ」  僕の講義はつまらないかあと眉を下げる白岡に、そんな事はないですと利人は慌てて訂正を入れる。  広い机でパソコンのキーボードをパチパチと打つ白岡の傍ら、研究室の中央にあるテーブルでは利人が手馴れた動作で資料にホチキスを止めていく。明日行われるという講演会の準備を手伝っているのだが、研究室に入るなり雑用させられるのはよくある事だった。  そもそも毎週水曜日は白岡に付き合う日であり、講義が終わり次第研究室に来るようにと言われている為利人が手伝うのを見据えた上で雑務が用意されていたようなものだ。  因みにこの後どこに行くのか、何をするかは白岡が決める。今回はとある企画展に行くようで、よし終わったと安堵の息を吐く白岡に追い立てられながら資料づくりを終えた。 (あ、メール)  マナーモードにしている上に鞄に放り込み作業していた為気づかなかったが夕からメールが来ていた。  ぽちぽちと操作しメールを開くと利人は目を丸くする。 『父さんとするんですか』 (……何を?)  手伝いならしていたが会話の流れを考えるとその事ではないだろう。  何と返信すれば良いものかと頭を捻らせていると帰宅準備を終えた白岡に何々と声を掛けられた。 「いえ、ちょっと意図が掴めなくて」  夕なんですけどと言うと、白岡は興味深げにスマートフォンの画面を覗き込んだ。 「……へえ」  白岡の瞳が細められる。 「言葉が足りないのって夕にしては珍しいような……」 「ちょっと貸して」  はあ、と言って白岡にスマートフォンを渡す。すると白岡はすいすいと指を動かすとそれを利人に返した。 「さ、急ごう。閉館してしまう」 「あっ、はい!」  颯爽と歩き出す白岡の後ろにつきながら手の中の物を気にする。こっそりと操作すると、覚えのない送信済みメールを見つけた。 『そうかもしれない』  送信時刻を見ても間違いなくさっき白岡が打って送ったものだ。 「白岡教授、勝手にメール送らないでください」 「ばれちゃった? でも妥当だと思うよ」  どういう事だと白岡を見上げるも、まあまあと言って白岡は答えようとしない。  旧文学部棟を出て白岡の車に乗り企画展へ向かうも、あれっきり夕からの返信はない。あれは白岡が勝手に送ったものだと言って聞き返すのも今更で、メールを気にしながらも古い屏風や巻物を眺めているうちにその事はすっかり忘れていた。  一通り見終わるといつの間にか白岡の姿はなく、外の椅子に座っているのを見つけて小走りに駆け寄る。 「すみません、お待たせしてしまいましたか」 「楽しかったかい?」 「はい。今回も面白かったです」 「それは良かった」  よいしょと腰を上げる動作はゆっくりで、利人は思わず手を伸ばして白岡の腕に触れる。 「どうかしたかい」 「いえ……いえ、教授明日の準備でお疲れですよね? 今日はもう帰って休まれた方が良いんじゃないですか」  ぱっと手を引っ込めてそう口にすると、白岡は眉を下げて微笑む。 「ありがとう。でも、もうちょっと僕に付き合ってよ。僕の週一の楽しみなんだからさ」 「教授がそうおっしゃるなら……」  本人にそこまで言われてしまえばこれ以上言う事はない。  結局近くの料亭で食事をしたが、流石に今日はこのまま解散だろうと思った。あからさまに疲れた様子は見せないけれど、それでも心なしかいつもより覇気がない。 「利人君、まだ時間平気だよね?」 「教授……」  だから車がホテルの駐車場に向かった時、利人は少し動揺した。  年の事を言ったら失礼かもしれないが、白岡はもう四十を超えている。若くて丈夫な利人に比べれば体力はないのだろう、疲れが見える日は大概食事をした後に帰されている。 (疲れてはいるけど性欲はあるっていうパターン?)  利人も男だ。気持ちは分かる。  ならばいつも通りするだけだ。と言っても、利人はただ受け入れるだけで自分から動く事はない。  白岡の口から溜め息が零れる。やはり今日は様子がおかしい。その顔にはいつになく疲労が窺えた。 (今日は俺がどうにかした方が良さそうか……?)  この様子では何も出来ずに終わりそうだ。  それならそれで構わないし好都合ではあるが、わざわざここまで来ておいて本来の目的を果たしてやれないのは何だか申し訳ない気持ちになる。  けれどだからと言って何をすれば良いのか、利人は経験の乏しい頭で知識をフル回転させた。  利人が動く、つまり手でするとか乗っかるとかだろう。 (出来るのかな、俺……)  イメージしようとして青ざめる。手でするのなら自分でするようにすれば良い。出来ない事はない。けれど騎乗位なんかは無理だ。レベルが高過ぎる。  そこまで考えて、何で俺がこんな事考えなければならないんだろうと我に返った。したくもないのに自発的に動く必要はない。 「俺、準備してきます」  とりあえずシャワールームへ行こうと扉に手を伸ばすと、その手首を掴まれてぐいと引っ張られる。 「ふえっ」  何だ、と思う間もなくドンと押されてベッドの上にダイブする。 「霞さん! 何ですか、もう」 「今日はこのままで良いから寝よ」  上半身を起こすと隣に白岡も寝転がる。じっと見つめて来る白岡を拒む事も出来ず、渋々靴を脱いで横になった。 (寝るだけならわざわざホテルまで来なくて良かったのに)  するつもりだったけど疲労が勝ったという事だろうか。 (あれ、何か)  ピン、と琴線が引っ掛かるもその正体が分からず結局誘われるままじっとする。 「霞さん、あの」 「ん……」  早速微睡む白岡を起こさないよう利人は口を噤む。  すうすうと寝息が聞こえたのはすぐだった。 (霞さん、眠かったのかな)  困惑しつつも健やかな寝息に安堵する。 (それにしても……これ、またこのまま……?)  利人の身体は白岡の腕でがっちりとホールドされている。  今度は向かい合うように抱き込まれている為利人の顔の前には白岡の胸板があった。離れようと身じろぐと白岡が起きそうになる為腕を払い退ける事も出来ない。  結局その日は何もしないまま白岡は三時間も眠り続けた。  暫く起きていた利人も中途半端に眠った為いざ家で寝ようとしても中々寝付けず、読書に耽り逆に寝不足になって翌日の講義を受ける事となる。

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