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46 嫉妬と葛藤〈1〉
今日は夕が利人に勉強を教わる日だ。
本来なら浮足立つ所だが、今日の夕は物憂げだった。
昼休みに入る頃重い足取りで食堂に行くと利人は少し元気がなくて、弁当を食べ終わってもまだぼうっとしている。
(昨晩一体何があったんだ)
ポーカーフェイスは得意だ。いつもと同じように接する夕だが、心の中では不安と嫉妬が複雑に入り混じっていた。
「利人さん、お疲れですね」
「ん? ああ、そうだな。ちょっと寝不足で」
箸を持つ手にぐっと力が入る。
(そんなに激しかったのか⁈)
ひくりと顔が引き攣る。潤んだ瞳に倦怠感。見れば見る程利人からよろしくない色気が発せられているような気がして咽喉を鳴らした。
(何もない訳ないよな)
利人にばれないようこっそりと溜息を吐く。
関係があるのなんて百も承知だ。けれどやはり、それを直で感じると流石に動揺もする。
集中講義が終わった後、いつもの家庭教師の時間までは時間があった。開始時刻を早めるかと聞かれもしたがそれには首を横に振る。
時間を早めてしまえば利人はその分早く帰ってしまうだろう。今のままなら講義が終わった後も何かと理由をつけて利人の傍にいられる。実際、この後は白岡家で少し休んでから勉強を始める事になった。
(どうしたらあの人じゃなく俺を見てくれるんだろう)
利人と共に家に帰り、窓を開けて空気を入れ替える。冷えた麦茶を飲み、雑誌を開く利人をこっそりと覗き見た。
(だって父さんだぞ。おじさんじゃないか。そりゃあ俺は年下っていうハンデがあるけど、くたびれたおじさんよりかはずっと良いだろ。顔は良いし、性格は、まあ置いといてスポーツも出来るし)
夕の葛藤など知らない利人は雑誌のページを捲りながら「これ格好良いなあ」「この映画観たいな」などとのんびり話している。
「利人さん、ちょっと聞いても良いですか?」
「んー? 何?」
「利人さんってファザコン?」
「ファッ、」
げほげほとむせこんだ利人はぐいと麦茶を煽り、急に何だよと眉を下げる。シスコンだけどファザコンではないと素直に答える利人に、ああそっちの自覚はあるんだと思った。
(面倒臭いな)
ええい、直球で聞いてしまえと口を開く。
「考えても分からなくて。どうして利人さんが父さんとセックスするのか。前、好きな訳じゃないって言ってた気がしますけど、それ本気で言ってます?」
利人は硬直した後、言い辛そうに夕から視線を外して居た堪れなさそうに指先を弄る。
「本気だよ。教授にはそれ以上の感情は抱いてないから安心しろよ」
「安心って……それは、違うだろ」
へら、と笑ってみせる利人に夕は声を震わせる。怯えた顔をする利人を見て、ああ今自分はそんなに怖い顔をしているのかとどこかで冷静な自分がいた。
愛がなければセックスしてはいけないとは思わない。夕だって相当だ。これまでだって軽い気持ちでやってきた。
けれど今回は別だ。
「利人さん、『普通』の人だったんじゃないんですか? もしかして、父に脅されて無理矢理……」
出来るだけ抑えた。責めた口調にならないよう、出来るだけ落ち着かせたつもりだった。それでも喉の奥がひりついて心臓はばくばくと忙しない。
利人はゆるゆると首を横に振って視線を下げる。
「それは、違う」
「本当に? 俺の目を見て言ってください」
利人はびくりと肩を揺らし、そろりと視線を上げる。すると揺れる利人の瞳は目を閉じると一転して澄んだ強い瞳へと変わった。
瞬間、息を呑む。
「違うよ。俺は、無理強いはされてない。あれは合意だから」
ドン、と胸を強く叩かれたような衝撃が走る。
(合意)
身体が脱力するのを感じた。
もしかしたら強制されているのかもしれない。だからセックスフレンドのような利人に似つかわしくない事をあんな年の離れた男としているのかもしれない。そうであるなら納得出来た。
でも、そうじゃない。
「夕? ――わっ、」
とん、と利人の胸を押す。
床の上に仰向けに倒れた利人の顔の横に手をついて覆い被さると、利人はきょとんと目を丸くした。
「ねえ利人さん。父さんで良いなら俺でも良いでしょう? 俺の事、嫌いじゃないですもんね?」
「夕……⁈」
利人の胸元に手を置き、首筋へ向かって撫で上げる。
「何、ふざけて」
「本気だって言ったら?」
利人の両腕を押さえつけ首筋に顔を埋める。軽く歯を立てて舐めると利人の肩がびくりと揺れた。
「似合わねえんだよ。あんたみたいな人が好きでもない奴と平気でセックスするとか、冗談じゃない。後で後悔するのはあんたなんじゃないのか」
カッと頭に血が上った。
どくどくと心臓が鳴る。
随分と自分勝手な言い分だ。けれど、そう言わずにはいられなかった。
ひとつ大きく息を吐くと、押さえつけていた手を離しゆらりと身を引く。
「俺なら……」
俺なら利人さんを一番に、利人さんだけを愛してあげられるのに。
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