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48 雉子島樹〈1〉
四日間に及ぶ講義を経て最終日の金曜日。論述試験を終え周藤の集中講義は完全に終わった。
「利人、この後暇ならご飯行かない? 友達との待ち合わせまで時間あるんだけど」
「ごめん、羽月。俺研究室行かなきゃなんだわ。周藤先生に終わった後来るように言われててさ」
「あら残念。そういえば今日は周藤先生いなかったね。最後に挨拶位したかったな」
本来講義のない試験日でも大概は教授達がそのまま試験監督を務めるが、今日現れたのは周藤ではなく初めて見る若い青年だった。
「今なら白岡教授の研究室にいるだろうから寄ってくか?」
「ううん、いいわ。周藤先生によろしく言っておいてよ。じゃ、また今度ね」
「おう。夏期休暇楽しんで来いよ」
大講義室を出た利人は羽月に別れを告げ文学部棟の玄関を通る。
旧文学部棟へは独立して建っているこの大講義室の裏口から向かった方が近道になるのだが、試験の都合上大講義室を正面から出た為いつも使っているこのルートを取る事となった。
トイレに寄っていこうかと足を止め方向を変えたその瞬間、後ろから歩いて来た青年と腕が霞めた。
「あっ、すみません」
「……いえ」
ぱっと振り向いて、あっとまた口を開く。
整えているとは言い難いラフな黒髪に黒縁の眼鏡。黒いVネックのTシャツに強いダメージのあるジーンズ。
周藤の代わりに試験監督を務めていた青年だ。手には答案用紙の束が抱えられ、一目利人を見るだけで颯爽と去っていく。
(周藤先生の研究生が一緒に来てたのかな? それとも学生課の人なのかな)
前髪が目元に掛かっていて表情を消していたから遠目では気づかなかったが、一瞬間近で垣間見えた顔は綺麗な顔立ちをしていた。
一階の洗面所で用を足し終え戻ると通り過ぎて行った筈の青年をまたもや目撃する。
「はあ⁈ ざけんな、言われた通り行ったっつーの」
電話口で捲し立てる青年の声に驚いて歩くスピードを弱める。何やら揉めているようだ。
「だから旧文学部棟ってどこだよ。つかそもそも俺に運ばせといて本人いないとか喧嘩売ってるだろ? もう勘弁してくれよ岳嗣さんさあ」
苛立ちを多分に含んだその声にぴくりと反応する。
(旧文? それにタケツグって、周藤岳嗣……?)
まさかとは思うが、そうそうある名前ではない。それに会話の内容も内容だ。
放っておくのも忍びなくて、利人は恐る恐る青年に声を掛けた。
「あの、すみません。もしかして旧文学部棟に用があるんですか?」
「あ? 誰あんた」
「文学部の雀谷です。これからそっちへ行くので良ければ案内しますが」
「あー……じゃあ。日本思想史研究室に行きたいんだけど」
やっぱりと心の中で呟く。それではご案内します、と前を歩こうとすると背後から声が掛かった。
「利人さん!」
「え、夕? 何でここに……先食堂行って食べてろって言ったのに」
現れたのは夕だった。爽やかな配色のポロシャツにクロップドパンツを合わせた夕はサンダルをぺたぺたと鳴らして軽快に駆け寄ってくる。
今日は研究室に寄るから何時になるか分からないと告げていたのだが、夕はにこりと唇を弓なりにして微笑んだ。
「思えばこっちは来た事ないので、これを機に父の研究室でも見て行こうかと思いまして。利人さん達の邪魔はしませんから」
良いでしょう、と甘えるように言われてしまうと戸惑いなんて忘れる。
利人ははっとして青年に振り返り「すみません」と言うと夕も利人の視線の先へ目をやって思わぬ反応を見せた。
「あれ、樹さん?」
「え?」
青年の顔を覗き込み、「ああやっぱりそうだ」と言って挨拶する夕に利人は首を傾げる。
「知り合いなのか?」
「ええ、この前うちにいらしたので。周藤さんの甥御さんですよ」
「へえ、周藤先生の……え⁈」
がばりと振り返って青年――樹を見ると、樹は舌打ちをしてぷいと顔を背けた。
(し、舌打ちされた……)
何が気に障ったのか、ずんと頭が重くなる。
「おい、案内してくれるんじゃないのか」
「す、すみません。今すぐに!」
先を歩く樹の後を利人が小走りで追いかけ、その後ろを夕が大股で歩いてついていく。
「い、イツキさん。そっちじゃないです」
何だ検討はついているのかと思いきやそんな事は全くなく。
樹はまた一つ舌打ちをして、利人は居心地の悪さを感じながら不機嫌な樹とそんな樹をじとりと睨む夕を引き連れて歩いた。
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