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50 深夜のボーイズトーク 〈1〉
高校の時から日常的にアルバイトに励んでいた利人にとって長期休暇は絶好の稼ぎ時だ。
毎週末入っていた居酒屋の仕事もシフトを増やしてもらっている為、家庭教師の仕事がある事も考えると一日フリーという日は少ない。
その数少ない休日だって、家事をしたりレポートを書いたり伊里乃と出掛けたりだ。
「雀谷君って、友達多そうに見えるけどあまり人とつるまないタイプなんだな」
からん、と周藤の手の中に収まるグラスが音を立てる。
「そう……なんですかね? でも友人と一緒に講義受けたりはしますよ」
「雀谷君は来る者拒まずだもんね。優しいしさ、モテるんじゃないの」
「ちょっと、白岡きょ……白岡さん! 変な事言わないでください」
慣れない呼び方にむずむずする。
そしてこの場所にも。
くすくすと笑う白岡の隣で、床に足のつかないカウンターチェアに座る利人は持て余すように足先を揺らしてライムの添えられたカクテルに口をつける。
白岡と周藤は利人の仕事が終わる二時間程前に宣言通り来店してきた。
今日は厨房で働いていた為最初に顔を出してからは殆ど顔を合わせていないが、注文取りがてら接待に行った店長と気が合ったらしく店長は「良い先生方じゃないか」とご機嫌だった。
仕事が終わった後はてっきりそのまま合流するのかと思っていたが、どうやら場所を変えるらしく店長に見送られて店を出るとタクシーに乗りひっそりとした路地裏で降りた。
控えめな看板の下を潜るとすぐに階段があって外見からは何の店なのか分からない。けれど階段を下りて扉を開くとそこにあったのは小洒落たバーだ。
バーに来たのは初めてで、利人は別世界のような大人の雰囲気に思わず惚けた。
深夜のバーという場所柄か、ここで『教授』だの『先生』だのと呼ぶのはやめた方が良いと言われ、ここではそう言った呼び方は控えている。
『いつも』のような感じか、と思ったものの周藤の前で『霞さん』と呼ぶのは何だか気恥ずかしく、こうして『白岡さん』だなんて唇に慣れない呼び方をする羽目になっていた。
白岡を中心にしてカウンターに腰掛けた利人達はこうして和やかに話をしていたが、利人は次第にこの空気に違和感を覚え始める。
その違和感の正体を掴めないでいると、カランカランと扉が開く音がして徐に視線を向けた。
そこにいるのは若い男だ。どこか見覚えのある恰好をした青年は首や腕にシルバーアクセサリーを纏わせ切れ長の瞳で店内を一瞥する。
(雰囲気のある人だな)
身体の線が細いせいだろうか、耽美という言葉が脳裏に浮かぶ。男だと分かっているのに匂い立つような色香を感じてどきりとした。
胸が騒ぐのはそれだけではない。青年は一人ではなかった。スーツ姿の男が青年の腰に手を回していて、二人はぴたりと寄り添っている。
そこで初めて違和感の正体に気づいた。ここには女性客がいない。一人で飲んでいる男もいるが、男同士にしては不思議な空気があった。それは今店に入って来た彼らの纏う空気と通じている。
そうして目が合うと、青年は嫌な物でも見るかのように思い切り顔を顰めた。
「げっ」
いきなりそんな顔をされそんな事を口にされれば誰でも傷つくものだ。ショックを覚える利人だが、青年の目は利人の奥にいる周藤へ向けられていた。
「岳嗣さん、何であんたがここにいんだよ」
「酷いな、この店教えたの俺なんだけど? お取り込み中なら邪魔しないが」
青年に絡みついていた男が何事か青年に話し掛けている。青年は険しい顔のまま男と何がしか言葉を交わすと、男は急に不機嫌になって荒々しく出て行った。
青年は大きく溜息を吐きながら利人から椅子二つ離れた席に腰掛け慣れた様子で水割りを注文する。
「邪魔しちゃったかな。ごめんね、樹君」
「別に。うざいのに絡まれて面倒だったんで、良い言い訳になりました」
ぴょっと顔を出し言葉の割に申し訳なさそうにしていない白岡の言葉に利人はえっと青年に向き直る。
「樹さん⁈」
改めてまじまじと見ると、樹は居心地悪そうに眉を顰めた。
「あ、すみません。昼間と大分雰囲気が違うのでびっくりして。そうやって眼鏡外して髪上げてる方がよく顔が見えて良いですね。すごく格好良いです」
興奮気味にそう言うと、樹は目を丸くしてぱちぱちと瞬きをする。昼間見た目元まで隠れた寝起きのような髪が今ではきちんとセットされ、眼鏡がない事も手伝いまるで別人のようだ。よく見るとカラーコンタクトをしているのか瞳が青い。
「……そう」
樹はばつが悪そうにグラスに口をつける。白岡と周藤はにやにやと笑って「照れてるー」と囃し立て、樹はそんな彼らをぎろりとねめつけた。
「あー、あんた、」
「雀谷利人です。ご挨拶が遅れましたが、西陵大学二年次で日本思想史を専攻しています。どうぞよろしくお願いします」
律儀に深々とお辞儀をする利人に樹はうっと唇を真一文字に引き結んでがしがしと後頭部を掻く。
「雀谷、な。昼はどうも」
「いいえ。樹さん、東陵で同じ二年次だって伺ったんですが樹さんの所属は周藤さんの所なんですか?」
「はあ? 冗談。俺は工学部。叔父と同じとこなんて死んでもごめんだ」
樹の言葉に、奥から周藤が頭を出す。
「酷いなー。そういえば雀谷君、そいつ二回ダブってるから君より年上だよ」
「え、あ! そうなんですか」
背筋をぴんと伸ばす利人に周藤と白岡はまたくすくすと笑った。
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