58 / 195

54 最後の夜〈2〉*

(こんなの、知らない)  は、はあ、と息を切らす。汗がぽたりと落ちてシーツに染みをつくる。 「や、やめてください。はッ、ぁ、かすっ、霞さ、ッ!」  腹の中が熱い。苦しい。  電流のような激しい痺れが身体中を巡る。  苦しくて、逃げ出したくて、けれどそれが叶わない。 「君はさ、僕がこれまで『下手』な振りをしていた事気づかなかったのかい」  これまで触られた事なんてなかったのに散々刺激を送られた胸の突起は赤く熟れる。つんと硬くなったそれをぎゅっと指先で潰され短い悲鳴が上がった。 「折角気持ち良くしてあげようとしたのに君は嫌がるだろう。時には嘘まで吐いて。僕がそれに気づかないとでも?」 「んンッ……」  唇をきつく咬み声が出そうになるのを堪えていると、白岡の指が掛かり口の中を強引に抉じ開けられる。 「あぅッ」 「君はそうやっていつも声を殺すね。恥ずかしいのかな。それとも悔しいのかな。そうやって必死に耐えている君を見るのは悪くなかったけれど、今日は……そんな余裕、なくしてあげるよ」  ぐち、と奥を貫かれる。  利人の身体がびくりと跳ねた。 「アッ、はぁっ、や、やめ……!」  痛み。  その中で芽生える快楽を否定するように逃げようとした腰を掴まれる。  いくら逃げ出そうとしても白岡は解放してくれず、余計に激しく身体を揺さぶられた。利人の身体の中にある本人も知らない悦い場所を責められ続け、次第に碌な抵抗も出来なくなる。  一番初めは痛みしかなかった。  二回目以降は性器への直接の刺激以外で気持ち良いと感じた事はなかった。 (それが、どうして)  涙、汗、唾液、精液。布一つ纏わない身体はあらゆる液体でぐちゃぐちゃだ。  男同士でのセックスの真似事に耐えられたのはまだ自分は『普通の男』だと信じられたからだ。  けれどこれでは、まるで、 「可愛い可愛い利人君。ただの普通の男の子だったのに僕に身体を開かされ、快楽を覚えさせられて……可哀想な利人君」  低く落とされる声に背筋が凍りつく。  瞳から零れた生理的な涙を白岡がぺろりと舐め取り、鼻先が触れた。 「忘れていいよ。でも今だけは、僕に与えられるすべてに感じて」  角度を変え唇と唇が近づく。  けれど少し顔を上げれば触れそうな距離でその唇は遠ざかった。  代わりに強く肌を吸われる。  ひく、と咽喉が仰け反る。鋭い痛みは身体の内側から溢れる快楽に結びつきそれにさえも疼いてしまう。  女のように感じて、喘いでしまっている自分が情けなくて恥ずかしくて堪らなかった。  せめて早く終わってくれと念じても利人の願いは届かない。  ただひたすら激しく抱かれた。  嫌だ。やめてください。もう許してください。  そんな言葉は、一切通じなかった。    ***  ふらつく身体を引き摺って外へ出ると、真っ暗だった筈の空は白んでいた。 『もう終わりにしよう、雀谷君』  白岡は穏やかにそう言って去っていった。  あんなに激しく降り注いでいた雨はすっかり止み痕跡を残すのみ。  ぱしゃん、ぱしゃん、と水溜りの道をのろのろと歩いて居酒屋に戻る。自転車を回収して跨ごうとすると下半身に激痛が走りぎゅっと顔を顰めた。 「――は、もう……。冗談じゃないよ、霞さん」  グリップを握ったまま項垂れる。頭をもたげると、窓ガラスに映った自分と目が合った。 「……情けない顔」  パン、と掌で頬を叩く。  しっかりしなければ。こんな顔で帰ったらまた伊里乃に心配させる。自分を叱咤するように背を伸ばして自転車を引いた。 (そういえば、霞さんを……教授を、名前で呼ぶ事ももうないのか)  キイ、キイとゆっくり車輪が回る。  四月からだから半年も続いていたのかとか、休暇中も水曜日は空けていたのに暇になるなとか、そんな事を取り留めもなく考えていた。  空からぽつりと小さな雨粒が頬に落ちる。  ぱた、ぱたた。  ひとつふたつと雨が落ちる。 「――ぁ、」  突如、激情が全身を駆け抜ける。  震える手からグリップが逃げガシャンと自転車が倒れた。操り人形の糸が切れたように利人の身体も膝から崩れ落ちる。 「あ、あぁ……っ」  声を震わせ自らの身体を抱き締める。 (気持ち悪い)  どうしてこんなにも辛いのか、何がこんなにも悲しいのか、それさえも混乱した頭では分からない。  ただ自分の身体が、自分自身が嫌で堪らない。  男に抱かれてあんなにあられもない声を上げ感じてしまった自分が情けなくて、気持ち悪くて、怖い。 「……り、しろ」  小雨が降り注ぐ中、二の腕や腰を掴む手に力を込める。 「しっかりしろ。泣くな。しっかりしろ」  目の奥が熱い。けれどそれを塞き止めるように強く強く爪を立てる。 「大丈夫」  これが最後なのだと白岡は言った。  良かったじゃないか。もうこんな面倒事はない。今日みたいな目にももう、遭う事はない。 「……良かった。うん、良かった」  ぶつぶつと繰り返してのそりと立ち上がる。 (服汚れちゃったな。何て言い訳しよう。まだ誰も起きてないと良いけど)  のろのろと折り畳み傘を開きゆっくり自転車を引く。  細い雨が静かに降り続いていた。

ともだちにシェアしよう!