61 / 195
57 デート未満〈3〉
劇場の中へ戻ろうとしたのか、身体の向きを変え歩き出そうとした利人の顔の前に腕を伸ばし遮るようにとんと壁に手をつく。
「今はもうそんな事、思ってないです」
赤みを帯びた瞳がこちらを見上げる。そのまま距離を詰めると、利人は後ずさり壁に背中をつけた。
「利人さんは気持ち悪くなんかないし、格好良くて頼りになる男の人です」
真剣な眼差しでそう言い切る夕に利人は戸惑いながらも照れたように眉を下げる。
「格好良いのはお前だろ。何だよそれ、惚れちゃいそうだわ」
「惚れてください」
「手練れかよ。はは、しかしそれでお前彼女いないとか信じらんねえな。モテるんだろ?」
「まあ、モテますね」
「うわーハラタツ奴ー」
くすくすと笑う利人の耳元に触れると、利人は擽ったそうに身をよじる。
耳小さいですね、お前が背高いからだろと笑い合って。
そして一息吐くと、薄く唇を開いた。
「どんなに他の人に好かれたって、好きな人に振り向いてもらえなきゃ意味ないんですよ」
利人はぽかんとして、え、それって、え、と浮足立つ。
「……抱き締めて良いですか?」
「ええ?」
その流れで何でそれと利人は挙動不審になる。返事を待たずに両手で利人の肩を抱くと、じわりと温もりが移って息が詰まる。
「お前なあ……そういうのは、好きな子に言えよ」
「そうですね」
そうですねじゃない、と利人は反論するも大人しく腕の中に収まっていてくれる。
利人の身体は女の身体のように華奢ではないが、それでも小さく感じた。
「利人さんが泣きたくなったらまたこうして俺の胸を貸して差し上げますよ」
「こら、泣いてないから。変な濡れ衣着せるんじゃない」
全くもう、と言って利人は仕方なさそうにぽんぽんと夕の頭を撫でる。
「恋、実ると良いな」
利人は夕の肩に顔を埋め持て余した手で夕の服の裾を握る。
(それは貴方次第です)
利人の痛みも辛さもすべて受け止めて消してあげたい。
自分のこの心と身体で忘れさせてあげたい。
けれどそれが叶うとして、利人はそれを望むだろうか。
(この人の優しさに甘えて自分のエゴを押しつけているだけなんじゃないのか? ――父さんと、同じなんじゃないのか?)
両手は利人の肩を抱いている。
思い切り抱き締めたいのに、強く抱き寄せる事は出来なかった。
映画は終わりが近かった為結局そのまま外で待っていると、ぞろぞろと出てくる観客の中伊里乃が不満そうな顔で駆け寄ってきた。
「え、りー兄具合悪かったの? 大丈夫?」
「ああ、ごめんな伊里乃。でももう平気だから」
「二日酔いが残ってたみたいですね。昨日もそれでずっと参ってたようですし、さっぱりしたものでも飲みに行きましょうか」
夕の提案でそういう事になり、伊里乃は納得した様子で半分呆れながら利人の身体を案じる。
「もうお酒飲み過ぎちゃ駄目だよ、りー兄」
「分かったよ。心配かけてごめんな」
喫茶店に入ると、迷惑を掛けたお詫びにと利人の奢りでお茶をする。テーブルにはパンケーキとチーズケーキ、柑橘ゼリーが並び華やかだ。
「映画観たいって言ってたのに、台無しにしてごめんな」
「いえ、気にしないでください。また観たくなったらDVDでも借りますよ」
伊里乃が洗面所へ行っている間、束の間の二人きりの時間を味わう。元々映画は口実だし、伊里乃の乱入でデートは台無しになったがまた誘えばいいのだ。
「じゃあDVD出たら一緒に観ようか。そういえばまだうちに来た事ないもんな」
突然の利人の提案に胸が躍る。本当ですか、と聞くと本当だと利人は目を細める。
「でも観るの平気ですか? あ、早送りします?」
「早送……? あっ、あ――、その件はもう平気だから! 気にしなくてよろしい」
顔を赤くさせる利人にさっきまでの不安定さはない。夕は口を弓なりに曲げた。
「約束ですよ」
「おう。お前こそ忘れるなよ」
明るく笑う利人を目に焼き付ける。
(忘れないです。絶対に)
利人に与えられるものならば喜びも悲しみもすべて覚えていよう。
この先何が待ち受けているかなんて知らずに、ただただ恋い焦がれた。
ともだちにシェアしよう!