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60 夜空に咲く大輪の〈1〉

 まだまだ日は長いと思っていたがもう空は真っ暗だ。  けれど神社の境内、そして近くの歩道では点々とぶら下がった提灯や屋台の明かりが灯され人が賑わい活気づいている。  その一角で利人は揚げたての唐揚げを紙コップに入れて売っていた。沢山の屋台が並んでいるが唐揚げはやはり人気があるのかそれなりに繁盛している。隣では陽葵の父親がどんどん衣をまとった鶏肉を揚げている。 「中学生だった利人君ももう大学生かー。羽月もいつ彼氏連れて来てもおかしくないんだよなー。もういるのかなー?」 「さあ、どうなんですかねそういう話しないので。羽月は、っていうか陽葵もそうだけど男女どっちの友達も多そうだからいても分かんないですよ」  人波が落ち着くと会話も増える。陽葵父はがははと笑うと自慢げに胸を張った。 「あいつら俺に似て気さくだからな! でもほらー何かあるだろ? 男と二人きりで歩いてたとか! 何かこう、ラブラブな雰囲気だとか!」 「はあ。でもおじさん、羽月ももう大人なんですからそういうの普通なんじゃないですか? あいつしっかりしてるから心配しなくても大丈夫ですよ」 「だってー気になるものは気になるだろー? お前だって伊里乃ちゃんが男と二人っきりで歩いてたらショックだろ?」 「やっ、やめてください! 伊里乃はまだ高校生ですから!」  青ざめる利人に陽葵父はからからと笑う。 「高校生なんてまさに盛りじゃねえか。こそこそ隠れて彼氏の一人や二人ってな」 「うちの妹に限って同時に複数の男と付き合うような事はしません。それにうちはよく話しますからね、クラスメイトに告白されたって相談された事もあります。伊里乃に相応しい相手が出来たら真っ先に知らせてくれるでしょうよ」 「利人君目がマジだわー怖いわー」  伊里乃に恋人が出来たらと思うと怒りやら不安やらが渦巻くが、結婚したいと言い出した暁には泣くかもしれないと思った。 「たっだいまー繁盛してるー?」  そうこうしているうちに人波に紛れて陽葵が顔を出した。休憩がてら遊びに出ていた陽葵の頭には斜めにひょっとこのお面がついていて、甚平姿が相まって見るからに祭りを堪能している。  そしてそんな陽葵の後ろに立っている少年を見て目を丸くした。 「え、夕⁈ 何で⁈」 「どうも」  夕は陽葵より飛び抜けた頭を軽く下げる。何だ何だイケメンだなーと隣で陽葵父が囃し立てた。 「びっくりだよなー! さっき偶然会ってさー、連れて来ちゃった。俺変わるから先輩夕君とその辺回って来たら?」 「え、でも……」  ちらりと陽葵父を見ると、彼はにかっと笑って利人の背中を叩く。 「行って来い行って来い。折角の祭りだ、そろそろ花火も上がる事だしゆっくりして来いよ」 「すみません。じゃあ、ちょっと行ってきます」  ぺこっと頭を下げて屋台から出ると夕の下へ駆け寄る。  見慣れない夕の姿にはあと感嘆の溜息が零れた。 「キマってるなあ。それ浴衣?」 「着物です。利人さん甚平なんですね、可愛い」  夕に視線を向けられ釣られて自分の身体を見下ろす。擦れたストライプの入った紺色の甚平は言わば仕事着だ。先輩も着ようよと陽葵に強請られ用意されてしまったので結局着る羽目になったのだ。 「かっ……お前はもう、そういうのは俺じゃなくて女の子に言えってば。何かお前、キャラ変わった?」  そうですか、と夕は首を傾げる。利人は赤らめた顔をぷいと余所へ向けた。 「それよりどうしてここに? 地元の祭りならともかくこんな所で知り合いに会うとは思わなかったわ」 「華道の総会がこちらの方であったもので。俺だって貴方もこっちに来てるって知って驚きましたよ」  それでその恰好かと腑に落ちる。改めて見ると、白地の着物に黒の羽織を合わせた姿は凛としていて一層大人びて見えた。 「似合うね、お前。中学生に見えんわ。でも暑くない?」 「今はちょっと暑いですね。でもこれ生地自体は風通し良いんですよ、小千谷(おぢや)(ちぢみ)っていう麻の織物なんですけど」 「あ、知ってる。ここの名産だ」  するりと羽織を脱いで腕に掛ける夕の袖に触るとざらついた感触がした。そればかり見ていたから、夕の顔が僅かに赤らんでいる事には気づかない。 「夕、態々会いに来てくれたんだろ? 本当に来やがって。何事かと思ったわ」  夕からの着信が切れる直前、辛うじて聞こえた言葉。 『今、そっちに行きます』  聞き間違いかと思ったがそうではなかったようだ。 「なんてな」  にかっと笑ってみせるが夕は笑わずじっとこちらを見ている。利人は思わずたじろいだ。 「馬鹿、冗談……」 「そうです」  向かい合う屋台の間の通路を沢山の人が行き交う。どんと肩がぶつかりよろけると夕に腕を掴まれた。 「俺は、利人さんに会いに来たんです」  真っ直ぐに向けられた瞳と刻みつけるように告げられた言葉にどきりとする。ぐいと腕を引かれ、人波を掻い潜っていく。 (懐かれるのは嬉しいけど、心臓に悪いな)  こんなにはっきり幾度も好意を口にされた事はこれまでなかったかもしれない。いや、なかったのだ。  いくら友人や後輩と仲良くなっても好きだの何だのは滅多に言わない。たまに陽葵みたいなタイプにじゃれられる事はあっても、夕はまた特殊だ。最初の頃は嫌われていたのだから余計可笑しい。  でも、今みたいに好意を向けられるのはやっぱり嬉しいし、一緒にいると楽しい。出来る事ならもっと仲良くなりたい。 (でも、家庭教師の仕事が終われば夕と会う事もなくなるのかな)  たまには会うかもしれない。それでも、次第に疎遠になる未来は容易に想像出来た。  利人はバイトと学業、読書を優先する性格上自分から友人に遊びの誘いをする事はあまりない。だから夕に自分から声を掛ける事もきっとそう何度もないだろう。  だから、そう思うのに寂しいと感じてしまうのは身勝手な話だ。 神社に着くと混雑を抜けてやっと一息つく。夕の手が離れた自分の腕を見ていると、急に笑いが込み上がって来た。  ふふ、と腹を押さえる利人に夕は困惑の色を浮かべる。 「利人さん?」 「ごめん。だってさ、俺お前に腕引っ張られてばっかだなって思って。結構力あるよな、十四歳? の割にさ」  イイ身体してたもんなあ、とからからと笑って夕の肩を叩くと、夕は頬を少し赤くした後視線を斜め下へ下げる。 「本当は手を握りたいですけどね」 「え?」  うっかり零れ出たと言わんばかりのその小さな声は途切れがちに利人の耳に届いた。  夕ははっとして何でもないですと口にするが、何だか夕が可愛く見えて利人は彼の両手を取った。 「こう?」  恥ずかしかったのか、夕はぱっと両手を後ろへ回してしまう。あー、と唇を尖らせると夕は眉を顰めた。 「何やってんですか」 「いやあ、あまりにも可愛い事言うから」 「……ッ可愛いのは」  口を噤めた夕の続きの言葉を待っていると、夕は思い出したようにそういえばと口角を上げる。 「俺、明日誕生日だ。もう十五ですよ」 「え、マジで⁈ おめでとう!」  夕は嬉しそうにありがとうございますと顔を綻ばせる。  けれど明日とは急だ。お祝いしたいのに何も用意していないし、明日は夕と会う予定もない。 (どうせなら今何かしたいけど、焼きそばとかりんご飴奢るだけっていうのも何か物足りないな)  どうしよう、とちらりと周りを見て閃く。 「ちょっと待ってな」  そう言って数分後戻ると、ハッピーバースデーとフライングの言葉と共に小さな紙の包みを渡した。

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