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61 夜空に咲く大輪の〈2〉

「お守り?」  銀糸が所々織り込まれた白い小さな布袋には『健康御守』と金色の刺繍で丁寧に縫われている。  夕はそれを指で摘み不思議そうに見つめた。 「学業成就、とかじゃないんですね。利人さん俺の家庭教師なのに」 「そっちの方が良かった? ちょっと迷ったけど、お前は勉強頑張ってるから要らないかなって。それに試験日風邪でも引いたら大変だからな! 何事も健康第一だ!」  えへんと胸を張ると、夕はくすくすと笑いながらお守りを襟の合わせ目に差し込んで大事そうに仕舞う。 「ありがとうございます。大切にします」 「おう。誕生日プレゼントっぽくなくてごめんな」 「そうですね、誕生日にお守りくれるような人はこの先もきっといないですよ」  そうだよな、と笑うと夕も笑う。屋台に囲まれているところよりは落ち着いているが、それでも賑やな空気は伝わってくる。 「そういえば華道の総会って言ってたけど、もしかしてゆくゆくはそっちの道に進むのか? 特進科を目指してるって事は良い大学に進みたいのかと思ってたけど」 「大学には進学するつもりですよ。これは母の希望でもありますし。ただその先の事はまだどうなるか」  戸惑うような、あまり話したくなさそうなその反応に利人は目を細めて手を伸ばす。  ぽんぽんと頭を撫でると夕は怪訝そうに顔を顰めた。 「まだ若いからな。大学も色んな科があるし、とりあえず興味のある分野に進んだら良いんじゃないか? 俺みたいに」 「利人さんは将来どうするつもりなんですか?」 「俺? 公務員」  夕の問い掛けにそうきっぱりと答えると、夕は少し驚いたように目を見開かせる。 「何か、ちょっと意外ですね」 「そう? 俺安定した職に就きたいんだよな。でも大学は好きな事やりたかったから、法学部でも教育学部でもなく文学部にしたんだ。今日も道の駅に寄ったら資料館あってさ、楽しかったあ」  それは地域の歴史を紹介したちょっとした展示ではあったが、利人には十分楽しめるものだった。ほくほくとした表情をする利人に夕はふふと小さく笑う。 「利人さん子供みたい」 「そんな事ないわ。悔いのない人生なんてのは中々難しいだろうけど、出来るだけ後悔のない選択が出来るといいよな。……あっ、夕! ちょっとこっちおいで」  はっとして腕時計を見ると花火が打ち上がる時間が迫っていた。夕の手を取り急いで境内の脇を抜け林の中へ入る。  足を止めた場所は丁度周りの木が低くなっていて、顔を上げるとぎっしりと詰まった星空が広がり思わぬ産物に利人は口を大きく開けた。 「わ、星すごい! 準備してる時にこの辺歩いてて見つけてさ、花火がよく見えるんじゃないかと思ったんだけど星もよく見えるなあ」 「本当ですね、すごい」  祭りで普段より明るいとはいえ林の中は大分暗い。祭りでなければもっとよく星が綺麗に見えただろうが、今でも十分星空を楽しめた。 「利人さん、貴方は俺が変わったって言ったけど、変わったのは貴方のせいです」 「え?」  空から視線を下ろすと、空を仰いだままの鼻筋の通った夕の横顔が見える。整ったその顔がゆっくりとこちらへ振り向き、黒い瞳が真っ直ぐに利人を見下ろした。 「好きな人を可愛いって思ったり、抱き締めたくなるのって普通でしょ?」 「……? あ、うん分かるよ! 俺も伊里乃にそう思うもんな。あ、俺が子供っぽいってまた言うつもりなら怒るけど」  冗談めかしてそう言うも、夕は笑わない。手を掴まれ、その感触を確かめるように優しく触れて来る。  だから夕が冗談を言おうとしているのではないと分かる。 (何だ?)  思い詰めるような瞳で見つめられ、どきりとする。 「ここまで言っても貴方は気付いてくれないんですね。気づいたからわざとそう言って逃げようとしているのなら、それも無駄だけど」  夕が言わんとしている事が分からなくて眉を顰める。  すると、突然ドンと大きな音がして夕の後ろの空が明るくなった。 「あ、花火……」  黄金色の花が空に咲いていた。  花火は次々と上がり、七色の光が弾けては空を彩る。 「ほら夕、花火が」  空を指差した手は夕の手に閉じ込められる。夕は背後の空を振り返る事なく、そのまま利人に影を落とした。  花火が視界から消え、代わりに柔らかな温もりが唇に移る。 「好きです、利人さん」  握られた夕の手は微かに震えている。 「ここまですればもう分かるでしょう。俺は、貴方を好きになってしまった。この気持ちはもう止まらないんです。……俺を、貴方の恋人にしてくれませんか」  ドンドンと花火の音がする。  けれど夕の真剣な表情に、声に意識を取られる。 (好き? 夕が、俺を? 恋人に……?)  止まっていた思考はやがて実感と共に動き出す。  かっと顔が赤くなって口に手を当てた。 「そっ……それは、思い違い」 「ではないです。俺だって散々悩んだんです。でも、悩んだ末にやっぱりこの気持ちは本物だって気づいたんです。だから、どうか俺の気持ちを否定しないで」  ぎゅっと寄せられたその瞳は切なく揺れる。 (ああ、夕)  ぎゅっと胸が締め付けられる。  知らなかった。まさかそういう意味で好いてくれていたなんて、あの時言っていた恋の相手がまさか自分だなんて、気づかなかった。  でも、 「ごめん」  そう口を開くと、夕は悲しそうに眉を下げた。 「どうして。男同士だから?」 「お前の事は好きだよ。でも弟みたいに思ってたし、きっと俺はお前の期待には応えられない」  何ですか、それ。悔しそうな夕の声が耳元に落ちる。胸に針が突き刺さるようにちくりと痛んだ。 「俺は、恋とか、……そういうの、苦手だ。今まで通りじゃ駄目なのか? 仮に付き合ったとしても、お前が俺に呆れて駄目になるんならこのままの方が良い」 「何で変な方向に消極的なんですか。俺がどんなに貴方を好きで、どんなに貴方に救われているか……! 貴方が手に入るのなら、俺は一生手離すつもりはないのに」 「夕……」  あまりにも真っ直ぐ過ぎる想いに言葉を失う。  こんな風に熱烈な告白を受けた事なんて初めてで、心臓が揺さぶられる。 「返事は今じゃなくて良いんです。元から良い返事が聞けるとは思ってません。けど、暫く考えてみてくれませんか。俺の事、意識してみてください」 「……分かった」  そう言わなければ夕はきっと引かないだろう。そう思う程夕は真剣だったし、利人もまた真摯にその気持ちに向き合わなければならないと感じた。 「ありがとうございます」  柔らかな声が聞こえて見上げると、夕は優しい顔をしていた。額に口づけられ優しく抱き締められる。  胸がじわりと温かくて、切なくて。  彼を、好きになってみたいと思った。

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