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66 掲示板の知らせと勉強会

 ぺたりとページの端に付箋を貼りルーズリーフにメモを取る。集中して机に向かっていると、とんとんと肩を叩かれ顔を上げた。  手を上げて挨拶の素振りをするのは羽月だ。利人は頷くと本を閉じ机の上を片付ける。 「白岡先生どうだった?」 「うん、顔色はそんなに悪くなかったかな。もうすぐ退院出来そうだって」 「それなら良かった」  図書館を出た利人は羽月と食堂へ向かっていた。陽葵に勉強を教えてほしいと言われ、ついでに羽月とも試験に向けて情報交換をすべく食堂で合流する約束をしていた為だ。  白岡が倒れてから数週間が経ち、白岡が受け持っていた講義は当初休講状態だったものの一部では臨時講師がつくようになった。  けれど急に代理を立てるのが難しく後期授業が始まったばかりというのもあり、白岡の講義を選択していた学生には他の講義に移ってもらうという特別の措置を取ったのが殆どだ。 「当分は自宅療養するんだっけ。でも、来年は戻ってくるんでしょ?」 「うーん……その辺の事は聞いてないけど、今期空けたのも大事を取ってって事みたいだから来年には元気になっててほしいな」  そうだね、と話している内に食堂に近づく。食堂前の掲示板を見に行くと、とある張り紙が目につきえっと声を上げた。 「は、羽月。ちょっとこれ見て」 「何? そんなに慌てて。……え、旧文の工事決まったの?」  ついにか、と羽月の口から分かっていたような言葉が漏れる。  それは白岡の研究室がある旧文学部棟を取り壊して新しく建物を建て直す工事が決定した事の知らせだった。着工はまだ先だが、旧棟より広く機能的で文学部棟の補助的な建物となるらしい。  羽月の反応は皆が抱いていたであろうものだ。旧文学部棟は歴史ある建物と言えば聞こえはいいが老朽化が進んでいて今そこを利用しているのも実質白岡だけと言っても過言ではない。  大学創立時からある建物は立派なものが他にもある。旧文学部棟はゆくゆくは取り壊されるだろうとずっと囁かれてきた。 「改修工事か」  全くすべてがなくなる訳じゃない。取り壊されて更地になるよりずっといいが、それでも何度も足を運び親しんできたあの建物が見られなくなるのは寂しい。  ふと、白岡はこの事を知っているのかと不安になった。  白岡が不在中のこの掲示だ。これまで取り壊されずに来たのは白岡を含む反対派が少なからずいたからだ。 「あ、あそこ工事するんだ」  すぐ近くで女の声が耳に入る。数歩避けると、二人組の学生は張り紙を見ながら世間話のように口々に話した。 「暫くうるさくなるのね。早く終わるといいな」 「反対派がついに折れたらしいね。まあ、あのまま残してもね。今もあそこ使ってる文学部の先生が賛成して丸く収まったらしいよ」  女の発言に利人の眉がぴくりと動く。 (そうだよな。知らない訳ないよな)  白岡が休職中の今、旧文学部棟は施錠され中に入れない。その為利人が足しげく通っていた旧資料室へも当然行けないが、そうでなくてももうそこを利用する権利は利人には残されていない。  白岡が管理していた旧資料室に利人が自由に出入り出来たのはそれが白岡の我儘に対する見返りだったからだ。  白岡との付き合いが解消された以上、白岡に無断であそこへ入る事はきっともうない。それは利人にとってのけじめだ。  旧文学部棟も、研究室も、旧資料室も、用がなくても足を運びたくなる程好きな場所だった。  古い木の匂い。紙の匂い。薄暗い室内。  そして、 「利人、行くよ?」  はっと顔を上げると食堂へ向かっていた羽月が手招きをしている。 「ごめん」  遠くへやっていた意識を振り切るようにして外へ追い出し、利人は駆け足で羽月を追い掛けた。    ***  食堂ではすでに陽葵がテーブルについていて合流するとお菓子を摘みながらの勉強会が始まった。 「頭パンクする……俺英語出来なくていいよぉ、日本に永住するもん」 「陽葵、もうちょっと頑張ろうな? そのページ終わったら休憩にしよう」 「利人、甘やかさなくていいよ。このままだと単位落とすの目に見えてるんだから」  既に泣き掛けている陽葵を利人が励まし羽月は呆れている。 「そういえばさっき図書館で何やってたの? 何かの課題?」 「そうそう。高橋先生の授業、自由研究だから考古学やりたいなと思って。古代の遺跡について調べてるんだ」  ほら、と利人は鞄の中から数冊の本を取り出す。それらはすべて考古学や古代遺跡に関する本だ。  周藤の講義を終えてからというもの、刺激を受けた利人は自発的に考古学に関する本や論文を読むようになった。お蔭で専門図書が多く並ぶ県立図書館へも度々足を運んでいる。  嬉々とした利人の反応に、羽月はやれやれと溜め息を吐いた。 「のめり込んでまあ。転学でもしそうな勢いね」 「はは、流石にそれはないけど。でも発掘調査は興味あるなあ」  利人がぱらぱらと本を開きながらうっとりとしている一方、隣の席に座る陽葵は項垂れ分からないと唸っている。 「本当に陽葵は飲み込み悪いんだから。そういえば利人、夕君はどうなの? もう受験も近くなってきたけど教えるの大変?」 「夕? いや、夕は真面目だし家でもちゃんと自主勉してるみたいだからこれといった問題はないよ。間違えたところはしっかり復習してくるし。このまま行けば第一志望のコース通るんじゃないかな」  ほら、あんたも見習いなさいと羽月が陽葵をじろりと見る。陽葵はシャープペンシルを投げ出していた。 「あ、そういえば」  夕の話である事を思い出した利人に二人の視線が集まる。 「お前ら文化祭行かないか?」

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