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67 白うさぎとお茶会〈1〉
紅葉が見頃を迎える頃、西陵大学附属学校は文化祭の日を迎えた。中学も高校も合同で行う為盛り上がりは相当のもので、毎年一般来場日には子供から大人まで多くの人で賑わっている。
中学校側、高校側の校門を繋ぐように露店が立ち並び、各校舎では喫茶店やお化け屋敷、ミニゲームなどクラスごとに企画が行われていた。他にも美術部などの部活動やボランティアグループによる展示、ステージでの演劇やライブなど盛り沢山だ。
一般来場日となる文化祭二日目の朝。生徒達は開場に向けて各々準備に取り掛かっている。
中学校校舎の一角では着替えの真っ最中だ。女子は揃いの水色のワンピースに白いエプロンを身につけ、男子は腰に黒の長いエプロンを巻き付けて頭には猫やねずみの耳を生やしている。
そんな中夕は松葉色の学生服を脱ぎ、柔らかい生地のシャツに袖を通して黒のパンツを穿いていた。首にスカーフを巻きつけていると、隣で落ち着いた少年の声が上がる。
「へえ、じゃあ今日は『利人さん』が来るんだ」
夕の隣でサスペンダーを肩に回している藍は僅かに声を弾ませて言う。捻じれてるよ、と紅が藍のサスペンダーを直してやると藍は目を細めてありがとうと紅へ視線を向けた。
「友達と来るって言ってたけど、本当に来てくれるかは分からないぞ。いつ来るかも聞いてないし」
「いや、来るって言ったのなら来るだろ。照れてんの? ずっとそわそわしてるじゃん」
下から呆れ顔で見上げて来る藍に夕は眉を顰めて目を逸らす。その頬はほんのりと赤い。
「『利人さん』って誰? 白岡君の知り合い?」
藍と同じ顔だが幼さのある明るい表情は藍とは別人である事を物語る。
「ああ」
「紅」
好奇心に満ちた紅を藍はくるんと後ろを向かせサスペンダーを拾い上げるとパチンパチンとパンツに留めてやる。
「白岡の家庭教師だよ」
「へえ! 女? 俺も見たいなあ」
「男。きっと会えるよ、俺達はこっち担当だからな。白岡と違って」
赤いリボンを紅の襟元に結びながら話す藍の言葉に夕はぴくりと眉を動かす。夕もベストを身につけ着替えを進めながらむすりと不満げに唇を尖らせた。
「俺も中が良かった」
「しょうがないじゃない? 君適任だもの。ね、紅」
「うん! 俺もそう思う。白岡君頑張ってね」
握り拳をつくる紅に愛想笑いを浮かべて小さく溜息を吐く。
腰に黒エプロンを巻き、首に懐中時計を掛け、装飾品を身につけて。
こつりと踵を鳴らして床を踏み締めた。
***
夕と藍のクラス、そして紅のクラスは合同での出店だ。造花の葉をふんだんにあしらった教室は森の中をイメージしていて、店内となる教室の中では所々机を組み合わせてテーブルクロスを張り小洒落た雰囲気に纏まっている。
こういう時素人さながらのある意味『味』のあるデザインになりがちだが、夕の家柄についてクラスメイトは――だけには留まらず――周知の事実なので当然のように花や緑のアレンジメントは押し付けられる。白岡夕完全監修の装飾はそれはそれはクオリティの高いものとなっていた。
入口には『アリスのお茶会』とペンキで書かれた看板。『不思議の国のアリス』がテーマの喫茶店で、基本的に女子はアリスの格好を、男子は三月うさぎや眠りねずみなどの動物を模したつけ耳をつけて給仕する。
衣装担当の提案の元それぞれ自由にアイテムを取り入れている為華やかで個性的だ。外を回って宣伝、客引きをする生徒に至っては特に衣装担当の目が光る。
「おお、すごい」
喫茶店の入口の近くで学生らしき男が二人、女が一人立ち止まる。入口を挟むように立っていた藍と紅はようこそと口を揃えて言った。
「『アリス』がコンセプトの喫茶店です。お菓子や紅茶など色々ありますので是非お立ち寄りください」
「キャラクターをイメージした格好の俺達スタッフがおもてなしをさせて頂きます。良ろしければお客様にもつけ耳をつけて楽しんで頂きます」
紅が笑顔で話すと続けて藍も気持ちばかりの微笑みを浮かべて接客文句を並べる。すると眼鏡を掛けた派手な格好の男が面白そうに目を輝かせた。
「へえー楽しそうだね! 君達双子? ならトゥイードル・ディーとトゥイードル・ダムなの?」
「一応そんなイメージです」
頭に被ったハンチングのつばをくいっと上げ紅がそう言うと、男達は成程と頷く。すると興味を示したのか赤みのある茶髪の男が店内を覗き込んだ。
「どうぞ、お入りください」
「あの、白岡夕君はいますか?」
案内しようと動いた紅はきょとんと目を丸くする。今は留守にしていますがと言うと男は残念そうに眉を下げた。
「利人、夕君いないの? 後にする?」
女が男にそう話し掛けると男はうーんと腕を組み考え込んでいる。
それで藍はピンと来た。
「もしかして、白岡の家庭教師の『利人さん』?」
「えっ?」
赤褐色の髪の男、利人は驚いて藍を見る。そうだけど、と言うと藍はゆったりと目を細めた。
***
一方その頃、夕は女に囲まれていた。
夕が直々に任命された役割は客引きだ。看板を持って校舎内外を練り歩いてはチラシを配ったり声を掛けて店まで案内したりする。
夕は異論を唱えたものの、顔良しスタイル良し口も達者で女性客を引き込むのには打ってつけだと押し切られてしまったのだ。自分でもそうなるだろう事は分かっていただけに仕方ない。
「耳可愛いー。落ちたりしないの?」
「たまにぶつけて耳なしになる事はありますよ」
きゃっきゃと触って来る女達に夕は勤めてにこやかに返す。
夕の衣装イメージは白うさぎだ。喫茶店をアピールして腰エプロンは巻いているが、左目には片眼鏡をつけ頭にはうさぎの耳をつけている。
その恰好は夕によく似合っていて、衣装担当がベストを尽くしただけあって女性受けがやたら良い。それに長年培ってきたフェミニストの面が染みついているので女性相手の対応もお手の物。お蔭で順調に役目を果たしていた。
夕はさり気なくポケットの中のスマートフォンに視線を落とす。そろそろ店に戻る時間だ。
(利人さんはまだ来てないか)
入れ違いになる可能性は十分にあり過ぎる為来たら連絡するよう利人に言っておいたのだがまだそれらしい反応はない。
「お嬢様方、ちょっと休憩しに行きませんか? 美味しい紅茶やお菓子を食べに行きましょう」
「ね、行こっか」
「行く行く。うさぎさんが給仕してくれるの?」
ご希望とあらば、と恭しく胸に手を添えると黄色い声が飛ぶ。
そうして会話を弾ませながら店へ向かっていると、スマートフォンが着信を知らせた。
すみません、と彼女達に一言置くと期待に胸を膨らませて画面を見る。
(何だ、鴉取か)
それは藍からのメールだった。盛り上がり掛けた気持ちは一気に消沈する。
けれどメール画面を開いて驚愕した。
「ああ⁈」
夕を囲む女達は突然の夕の叫び声に鳩が豆鉄砲を食らったかのように驚く。けれど夕は彼女達の対応に回る余裕などなく、スマートフォンの画面を食い入るように見つめた。
そこには写真が添付されていて、猫耳をつけた利人が猫の手のように両手を軽く握りはにかんで頬を赤らめている姿が映っている。
夕は口を覆うように手を当て小刻みに震えた。
「なぁに、どうしたの?」
「あ、いえ、驚かせてしまい申し訳ありません。さあ、早く行きましょうか」
我に返った夕はぱっと取り繕うと、画面を覗き込まれそうになりさっとスマートフォンをポケットの中に仕舞う。
「くそ、不意打ちだ」
そうぽつりと小さく零し顔が崩れそうになるのを必死に堪えた。
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