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68 白うさぎとお茶会〈2〉
夕が店に到着した時、既に利人の頭には何もつけられていなかった。
「利人さん猫耳は⁈」
「はあ⁉」
店に入るや否やの第一声に、店内で紅茶を飲んで寛いでいた利人はぎょっとする。
「だってこれ!」
スマートフォンに表示された画像を利人に見せると、利人は赤面して顔を歪ませた。
「そ、それは強引につけられて仕方なくだな……! それよりお前こそうさぎの耳なんてつけて可愛いじゃん」
「ありがとうございます。では利人さんも」
「いやいやもう恥ずかしくてつけてらんないから!」
「陽葵さんはつけてるじゃないですか」
利人の向かいには羽月が、そして隣にはリス耳のカチューシャをつけている陽葵がピースサインをつくって座っている。
「陽葵はこういうの好きだから良いんだ」
「夕君ひっさしぶりー! 何々その恰好、キマってんじゃん!」
「どうも、ご無沙汰しております」
夕がぺこりと頭を下げると頭の上のうさぎの耳も揺れる。
夕が現れた事で店内は些かざわついていた。ちらちらと視線が集まるが、夕は気にせず利人達のテーブルを見下ろす。
「紅茶がもう空ですね。おかわりお持ちしましょうか」
「ありがとう夕君。じゃあもう一杯飲んで行こっか」
「そうだな」
羽月の言葉に利人も頷く。夕はかしこまりましたと演技掛かった声で言うと仕切りの奥へと向かった。
仕切りで分けてあるその空間はスタッフルームとして使っていて、お茶やお菓子の用意、簡単な着替えが出来るようになっている。
中を一瞥すると、藍と紅がアイスティーとジュースを割ってドリンクをつくっていた。夕が隣に立って茶葉缶を開けると、気づいた藍が視線を上げる。
「鴉取、お前」
「うん?」
「良い奴だったんだな」
藍は夕が言わんとした事を察すると目を細めて「ひとつ貸しな」とほくそ笑んだ。
「白岡君耳!」
突然声を掛けられ何だろうと振り向くと、衣装担当の女子に引っ張られてつけ耳を外される。どうやらどこかにぶつけた時に引っ掛けたようでうさぎの耳の一部が破けていた。
「すぐ直すね」
「ありがとう、悪いね。俺、お客さんにお茶出さないとだからその間にちょっと行ってくるよ」
「駄目よ! お客の前に出る時は完璧な格好で出てもらわなくちゃ。すぐ終わるからちょっと待ってて」
気迫ある女子の発言に夕はたじろぐ。参ったなと肩を竦めると紅がひょっこりと顔を出した。
「白岡君、俺が代わりに持っていくよ。注文何?」
「鴉取君……。悪い、じゃあ頼むよ。三番テーブルに紅茶のおかわり三人分なんだ。茶葉はもうセットしてあるから」
「了解。あと紅でいいよ、その代わり俺も白岡君の事夕君って呼ぶ」
気さくな笑顔を浮かべる紅に夕は一瞬目を見張り、柔らかく微笑むと分かったと言って頷いた。紅と接していると、顔は瓜二つなのに藍とは全く性格が違うんだなと思い知らされる。
紅は嬉しかったのか鼻歌を歌いながら紅茶の用意をしに行った。トレイに注文のドリンクと菓子を乗せた藍が夕の近くを通ると、夕にしか聞こえないようにそっと口を開く。
「紅が可愛いからって手出すなよ」
「誰が出すか」
火花が散りそうな視線をぶつけると藍はつんと顔を背けてホールへと向かう。やはり藍は相変わらずだ。続いて紅も「行ってきまーす」と声も高らかに出ていった。
「これで良し!」
「ありがとう、小林さん」
綺麗に直されたうさぎ耳を再び頭に装着していると事件は起きた。
「あつっ!」
夕にはそれが利人の声だとすぐに分かった。急いでホールへ向かうと、利人のいるテーブルの傍で紅が青ざめて謝っている。
「利人さん⁈ どうし……」
駆け寄ると、利人の服が水浸しになっていた。飴色の液体が利人の手や服を濡らしぽたぽたと床の水溜りを広げる。
「紅!」
「っ……ご、ごめんなさ……」
思わず声を張り上げると紅はびくりと肩を揺らし泣きそうな顔で震える。
「白岡、やめろ。紅は人がぶつかってきたから体勢が崩れてティーポットを倒したんだ。紅が悪い訳じゃない」
藍に後ろから強く肩を掴まれ夕は顔を顰める。藍の言葉に頷くように、利人も大丈夫だからと紅を慰めた。けれどその表情はぎこちない。熱い液体を浴びたのだから当然だ。
「誰かタオルか何か拭くもの持って来てくれる? あと冷やすもの」
羽月の指示に紅と藍は頷きおしぼりや雑巾、即席で作った氷嚢を持ってくる。
「利人さん大丈夫ですか?」
「平気平気。大した事ないよ」
おしぼりで身体を拭き氷嚢を当て、応急処置を取る。心配そうに顔を曇らせる夕に利人はけろりと笑ってみせた。
「本当にすみませんでした!」
深く頭を下げる紅に、利人は困ったように眉を下げて大丈夫だよと紅の肩をぽんぽんと叩く。
「これ位全然平気だから気にしないで? 怪我した訳じゃないし、事故なんだから君は悪くないよ」
ね、と利人が優しく口を開けば紅はまた泣きそうになって俯く。
「時に夕」
つい、と利人に腕を引っ張られ夕は腰を屈めた。
「体育着とかで良いんだけど、何か着替えあったら貸してくれないか?」
「それは構いませんけど、その前に保健室行きましょう。今日も先生いる筈ですから」
「え? いや、それはい……うお⁈」
椅子に座っている利人の背中と膝の下に腕を差し込み持ち上げると利人の口から素っ頓狂な声が出た。
突然のお姫様抱っこ状態にさっきとは異なるざわめきが起こる。
「なっ、何。降ろして⁈」
「駄目です。足も火傷してるかもしれないんですから、俺が運んで行きます」
「いいよ! 自分で歩けるから!」
「汚れた格好で人前歩くのも恥ずかしいでしょう? 怪我人は大人しくしていてください」
「こっちの方が恥ずかしいんだけど⁈」
夕は利人の反論を一切無視し、目を丸くしている羽月と陽葵に向き直る。
「折角お楽しみのところご迷惑をお掛けしてしまって申し訳ありません。利人さんは俺に任せて、お二人はどうぞ文化祭を楽しんでいってください。他にも企画は目白押しですので」
それでは、と夕は利人を抱えたまま足早に店を出る。一時気まずい空気になった店内も夕の紳士然とした振る舞いに何故か拍手が沸き起こった。
そして取り残された羽月と陽葵は顔を見合わせ、徐にパンフレットを広げるのだった。
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