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75 止まない雨〈2〉*

 ストーブの火で急速に暖められていく部屋は電気を落としていてもぼんやりと赤く照らされ室内を映し出す。  濡れて重くなったスーツや制服はぽたぽたと雫を落とし、雨風は激しく窓にぶつかりゴウゴウと激しい音を立てる。  その中でまた別の音が静かに、けれど激しい熱を持って生まれる。  目尻、鼻、耳たぶ、首筋、鎖骨、脇腹、太腿――あらゆる場所を吸われ、弄られる。夕の唇が、掌が敏感な箇所をなぞる度に利人は肌を震わせ声を潜めた。  くしゃりと夕の濡れた頭に触れる。シャワーを浴びて一時的に温まった身体は服を剥ぎ取られまた冷え始めていた。それでも身体の内側はじわりじわりと熱を生んでいて、その狭間で荒く吐息が零れる。  耳の裏を舌で擽られていると徐に夕の指先が胸の突起を掠めた。それは撫でるだけに留まらず指先を使って摘まんだり押し潰したりを繰り返す。 「ま、って」  声を震わせると夕は顔を上げてじっと観察するように黒い瞳で見つめてくる。 「くすぐったいですか? それとも、物足りない……?」  そう言うや否や、ぎゅっと強く突起を摘ままれ小さく悲鳴が上がる。きゅうと収縮した先端から広がる痺れに眩暈がした。 「ゆ、夕。そんなとこ弄ってもしょうがないだろ? それより、……そっち、触ってやるから」  ちらりと夕の下腹部に目を落とす。そこはもう欲望を膨らませて服の生地を押し上げていた。けれど伸ばし掛けた手は阻まれシーツの上に縫いつけられる。 「積極的なのは嬉しいですけど、それより俺は利人さんの身体をゆっくり味わいたい」  そう吐き出したその唇は利人の赤い突起を優しく咥える。  じゅ、と舌が絡みつきより強い痺れが走った。 「夕! やめろって、そんな、……ッ」  唾液を擦りつけるように舐られびくびくと身体が揺れる。声が溢れそうになり唇を咬んでいると、それに気づいた夕の眉が顰められる。 「唇咬まないで……血、出るよ」 「んン、ふっ……ぅっ」  夕は唇を離してももう片方の手で刺激を送るのをやめない。散々弄られた胸の突起はつんと尖り真っ赤に熟れ、擦り込まれた唾液でぬらりと艶めく。  そんな様をありありと見せつけられ、利人は羞恥で心臓が破裂しそうだった。  そうして記憶が重なる。  完全に『女』にされてしまった日の事を思い出す。 「利人さん」  ちゅ、と唇にキスを落とされる。利人が噛んでいた唇を労わるように優しく舐められていると、途端に子供に戻ったような、泣いてしまいそうな気持ちになる。 「や、やだ。嫌だ……もう、そんなとこ触るな」 「でも利人さん、気持ち良いんでしょ? 勝手にブレーキかけないで」 「違、ぁっ」  する、と局部に触れられぎくりとする。利人の下腹部の熱は物欲しそうに膨れ上がり蜜を滴らせていた。ぬち、と親指で蜜を掬い取った夕はそれを唇へ運び舌を出して舐める。 「乳首だけでこんなになっちゃったんでしょう? ……やらしいね」  ぎゅうと心臓を握り締められたかのような錯覚に利人の顔が歪む。  違うと、言っても空々しい。 「幻滅したか?」  そう自分を嘲るように皮肉を言うと、夕は見開いた目を細めて唇を弓なりにして笑う。 「興奮する」 「……馬鹿」  今度は咬みつくように胸の突起に歯を立てられる。痛みはスパイスだ。それさえこの行為の間では甘美な響きを持つ。  身体中を弄られ、何度も理性を手放しそうになる。それを既のところで押し留めていた。肌を震わせながらも声を押し殺し快楽に身を委ねまいと堪える。 「外は雨でうるさいし、母もいないからこの家には俺達だけです」  突然の夕の言葉に、利人はぱちりと瞬きをする。 「大きい声を出したって誰にも聞かれやしませんよ」  夕の言わんとしている事に気づき、利人はかっと顔を赤らめる。そうして顔を背け、おずおずと口を開いた。 「お前が、聞いてるだろ」 「いけませんか? 俺は利人さんの全部が見たいし、声だって聞きたい。利人さんが感じてるところ、乱れてるところ……俺の知らない利人さんをすべて知りたい」  その強欲で酷く熱っぽい瞳に全身を犯される。  ぞくぞくと身体中を巡るそれに戸惑いながらも引き摺られてしまう。  麻薬のような強烈さに目が眩んだ。 「怖いよ」  ぽつりと小さく零れ出た言葉は利人の心に染みをつくる。 「俺、気持ち悪いんだよ。男相手に感じるとか、そんなのまるで女みたいじゃん……そんな情けない姿、お前に見られたくない」  利人はもう知っている。一度理性を手放してしまえば元に戻るのは難しい。快楽に身を任せてしまったらあらゆる抑制は効かない。  だから怖い。  知らない醜い自分を突き付けられてしまう。 「今更何言ってんの?」  冷やかな声を落とされびくりと瞳が揺れる。 「俺達セックスしてるんですよ? それ分かってますか? セックスして気持ち良くなるのは当然でしょう。俺は自分だけが良くなりたくて貴方を抱いてるんじゃない」  怒りを含んだその言葉は冷たく利人の胸に突き刺さる。 「またそんな事言うようだったら、酷くするから」  氷のような冷たい瞳。  けれどそこに侮蔑はない。哀しくて優しい瞳だ。 (酷くしていいって言ったら、何て言うのかな)  こんな風に丁寧に愛情を注がれるより乱暴にされた方がまだましだったかもしれない。  愛されるのがこんなに苦しいとは思わなかった。 「……ぁっ、あぁ、は」 「声、出てきましたね……可愛い。もっと感じて」 「あっ」  声を我慢しようとすると口を抉じ開けられ抑える手段を奪われた。抉じ開けたその指はそのまま歯茎の裏をなぞり引っ込んだ舌を引き摺り出し敏感な箇所を擽っていく。  後孔を広げる夕の指は一本から二本、三本と増えていった。クリームで滑りのよくなったそこはぬちぬちと卑猥な音を立てて溶かされていく。  初めは苦しかったそれも解されていく内に快感を拾い始めた。夕の指が奥へと滑り込み引っ掛けるように曲がると利人の口から一際高い声が溢れる。 「ここが悦いの?」 「やっ、だめ、ゆ、あ、あァ」  ぞくぞくと甘く鋭い痺れが身体を駆け巡る。腰は揺れ、足ががくがくと震えた。  そうやって思考はとろとろと溶けていく。  そして無防備になる。  閉じた瞳の裏に、目尻皺の刻まれた男の姿が浮かんだ。 (霞さん……)  齢を重ねた肌。骨ばった大きな手。 (霞さん)  それは朦朧とした頭の中でするりと零れる。 (一度で良いから、俺を見てほしかった)  愛してなんて言わない。  せめて、ありがとうと言われたかった。後悔なんて言葉でなかった事にされたくなかった。  ――ここが、どうしようもなく苦しいんです。  夕。俺もだ。  ここが、どうしようもなく苦しいよ。  熱い吐息を零して、身体をしならせて。  そして、夢から覚めるように自分が今何を考えていたのか気づいて青ざめる。 (俺、今、何を)  動揺する利人を余所に、後孔にはそれまでとは全く異なる質量のものが押し当てられひくりと咽喉が引き攣った。 「ま、待って」 「もういいでしょう? それに、俺もそろそろ限界」  四つん這いの利人の後孔にぬるぬると夕の高ぶりが擦りつけられる。  それまでは平気だったのに途端に身体が強張った。 「ま、待って。出来ない。これ以上は、駄目だ」 「利人さん?」  突然の利人の変化に夕は怪訝そうに眉を顰める。  利人は混乱していた。かつては夕の心に触れて、彼を好きになりたいと思った。きっと、そうして寄り添っていった未来では心から彼を愛していたかもしれない。きっと、きっと自分は夕を好きになりかけていた。  けれどもう分かってしまった。認めてしまった。  いつからそうだったのかは分からない。けれどずっと前から焦がれていたのだろう。そうでなければ、あんなに傷つく事はなかった。ぱちんぱちんとパズルのピースが嵌まる音が聞こえる。  白岡霞という人を尊敬し、それはいつしか淡い恋へと変わってしまった。  今やっと、それを自覚した。 「ごめん、夕。ごめん」  ぽろぽろと涙が零れる。  身体はどんどん熱を失い罪悪感と悲しみが襲う。  気づいたところで白岡はもういない。  この世界のどこにもいないという事実に押し潰される。 「利人さん、ごめんね」  夕はどこか遠くを見るような目で利人を見る。  どうして、夕が謝るのか。 (謝らなきゃならないのは俺の方なのに)  夕の心を傷つけた。裏切った。  守りたいと、支えたいとそう思っていた筈なのに。  夕の手が伸び利人の頬に触れる。その掌は熱い。 「利人さん、父さんの事好きなんですよね」  分かってましたとその唇は紡ぐ。  呆然とした。  言葉をうまく紡げない。  何で、どうして。 「そうなんですね。じゃあやっぱり、利人さんのお願いは聞けないな」  だから、ごめんなさい。  そう囁いた唇が薄く弧を描くと利人は肩を掴まれて押し倒された。  視界がぐるりと回りシーツに身体を沈める。  窓の外では、まだ嵐が吹き荒れていた。

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