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04 秘密のリリー〈1〉

 生まれて初めて、親友と呼べる存在が出来た。 「もう大好き! 愛してるわ椿」 「私もよ。柑奈(かんな)」  抱きついてくる親友の背中に両手を回し、喜びに心を震わせる。  彼女がいるだけで毎日が鮮やかに色づいた。  彼女と過ごす日々は幸福で満たされていた。  そう、例え彼女が恋をしていたって。  告白されたのだと恥じらう柑奈の桃色に染まる頬を見て椿は静かに衝撃を受けた。動揺を悟られまいと身体に力が入る。  わざとらしくはないだろうか。変だと思われてやしないだろうか。  けれどそれは杞憂だった。  柑奈は椿の事など見ていなかったのだから。恥ずかしいのか、余程本気なのか、彼女は自分の頬を両手で包んで俯いたまま。  良かったじゃない。ずっと憧れてた先輩なんでしょう。私、応援するわ――なんて、笑って言いながら心はぼろぼろに砕かれていた。  好きなんだと、彼女を心から愛しているのだと気づいた。  けれど今更恋心を自覚したからといって何が変わる訳でもない。  ただ想うだけだ。  この気持ちは押しつけない。同じだけ好きになってなんて言わない。知ってほしいとも思わない。  ただ、ずっとずっと、私と友達でいて。  私の傍にいて。  それが私の幸せ。  それだけは、誰にも奪わせない。  例え彼女に恋人が出来ても、夫が出来ても、子供が生まれても。  私は私の幸福を守るだけ。          ***  強いなあ、と正面に座る霞は指をコーヒーカップに絡めて呟いた。 「貴女はそれで辛くないのですか? 想い人の一番近いところで恋する彼女を見てきたんでしょう」  理解に苦しむ、とでも言いたげな顔をする霞に椿はくすりとほくそ笑む。 「辛くはない、と言えば嘘になるのでしょうけれど。私は彼女を失いたくはないのです」  椿に迷いはない。霞は困ったように薄く微笑んだ。  「僕には貴女のような生き方は出来なかったな」 「鷲宮さん、貴方と私は似た境遇にあったのでしょう。けれど、失礼な言い方をしますけれど私に言わせれば貴方は愚かだわ」 「これは手厳しい」  はは、と苦笑いを浮かべる霞に椿は黒目がちな瞳を細めて「だって」と続ける。 「言ってしまえば相手を失うのは明白だわ。一か八かの賭けをしてまで彼女と想いを通わせたいとは思いません。私は、この気持ちを悟られてしまう方が恐ろしい」  そうやって一人で愛を抱いていくのが椿の生き方だ。けれど障害はついて回るもの。その一つが結婚だった。  古い家系だ。散々見合いを受けさせられたがすべて断ってきた。真実の愛を貫く為なら嘘を装う事も厭わない。それでも、どうしても嫌悪が勝って割り切れない。  家の為に子供は残さなければならない。けれど夫は必要ない。 「結婚も形だけであったなら良いのに」 「なら僕としましょうか」  何でもない事のようにさらりと返って来た求婚の言葉に椿は目を見開かせた。 「ご冗談を」 「いいえ、本気ですよ。僕は貴女に夫婦生活を強要しませんし、子供が欲しいのなら別の手段を選んでも構いません。何なら普段は別居して、必要な時だけ仲の良い夫婦を演じましょう」  本当に霞の言葉のまま過ごせるのであれば、それは椿にとって何より都合の良い結婚となる。椿はじっと霞を見つめ、目を細めて小さな唇を開いた。 「それは、貴方が損をするだけではなくて? 鷲宮さんは何にも縛られず自由に生きていきたい方なのではと思っていましたけれど」 「はは、そう見えますか」  軽い綿のような霞の態度は出会った頃から何一つ変わらない。  霞と初めて会ったのは椿が見合いを受けていた料亭の一角での事だった。憂いを帯びたその色の薄い瞳を椿は今でも覚えている。  たまたま言葉を交わし、そしてその少ない会話の中で互いが近い存在である事を感じた。 『私達、お友達になりませんか』  自分から異性にこんな申し出をするのはもしかしたら初めてだったかもしれない。けれど霞は目尻柔らかに頷いた。  飄々としていてどこか掴みどころがない。それは軟派で頼りないというより目を離せばどこかへ消えてしまいそうな儚さを思わせた。 「僕らは共犯者になるんです。『結婚』という蓑を互いに利用する。損だと貴女は言いますが、決してそんな事はないんですよ。僕は一生貴女に心を捧げる事はないでしょうし、子供も苦手ですから父親らしい事はきっと出来ないでしょう。ね、普通こんな男と結婚したがる女性はいません。けどそれでも良ければ、白岡椿さん。僕は貴女の『夫』になります」  共犯者。  その言葉を静かに呟いて椿はゆるりと口角を上げる。 「それでも良ければだなんて、とんでもない」  この容姿と女らしい性格は数多の男を引き寄せた。当然見合いをする男達も皆椿を我がものにせんと目を輝かせ欲望をちらつかせていた。  気持ち悪い。  隠しきれていない下心。汚らしくて、触れられるのも嫌悪する。  仮に彼らと結婚してしまえば彼らは椿を愛し、また愛されようとするだろう。それを考えるだけで虫唾が走るのだ。  けれど霞は違う。 (鷲宮霞は私を愛さない)  愛を与えも求めもしない。  それは親友を一番に愛し続ける椿にとって願ってもない事だ。 「鷲宮霞さん。私達、良いお付き合いが出来そうですね」

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