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07 カレイドスコープ〈2〉
盆休み、霞は周藤を誘って太樹の墓を訪れた。
ここへ来るのは毎年の事だ。彼の親族と鉢合わせにならないよういつも朝早くに来る。霞は花を生け、胸の前で手を合わせた。
「周藤君、朝早くからすまなかったね。家遠いのに」
「いいですよ、ここに来るのも久し振りだな。太樹先輩がいなくなって、もう二十年以上も経つんですね」
あっという間ですねと言う岳嗣にそうだねと相槌を打つ。
霞にとっては『もう』ではない。あまりにも長過ぎる二十年だ。けれど、何だかんだと今日この日までこうして生きてきた。
「ガク」
昔の呼び名を口にする霞に岳嗣は「それ懐かしいですね」とくすくすと笑う。だから岳嗣も冗談めかして「何ですか霞先輩」と答えた。
霞は柔らかく微笑み口を開く。
「僕、癌なんだ。きっとここに来るのはこれが最後だ」
まだ椿にしか告げていなかったそれを何でもない事のように明るく言う。岳嗣は目を見開いて霞を凝視した。
「嘘……じゃ、ないんですよね」
「うん。君は察しが良いから、僕から話す前に先手を取られるんじゃないかとひやひやしたよ」
「霞さんの様子がおかしい事には気づいてましたよ。霞さんは隠したがるところがあるから、訊かない方が良いのかと思って待ってたんです」
「何だ、やっぱりじゃないか」
岳嗣はぐっと眉を顰めて辛そうに唇を噛む。
そういう顔をするだろうと分かっていたから中々言い出せなかったんだ。岳嗣は堂々としているが、その実誰より情に脆い。
帰り道、墓が居並ぶ中利人の家族とばったり出くわし彼の母親と言葉を交わす機会があった。
「先生方には先日一緒に海水浴をしてくださって息子たちが大変お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそとても楽しく過ごさせていただきましたよ」
利人の母親と岳嗣が言葉を交わす中、視界遠くに利人の気配を感じてちらりと視線を向けた。
家の墓参りに来たのだろう。妹と二人で墓前に立っている。
視線を母親へと戻し掛けた霞はふと違和感を覚えた。再度利人へ目を向けて愕然とする。
(どうして、あの子があそこに)
ぞくりと背筋が冷える。
利人が足を止めているそこは、紛れもなくつい先程まで霞と岳嗣が立っていた場所だ。
何故、どうして。
「白岡先生、どうかこれからも息子をよろしくお願いします」
はっとして振り返ると、こちらこそと利人の母親に頭を下げる。
母親の顔をじっと見たが何も引っ掛かるものはない。胸がざわめく中母親の後ろ姿を見つめ、しこりを残したまま踵を返して岳嗣を見やると岳嗣もまた顔を顰めて何か考え込む素振りをしている事に気づいた。
「あの人、どこかで見たような……」
どきりとした。
「周藤君。雀谷君が、太樹の墓に」
震えそうな声を張らせてそう告げると、岳嗣ははっとして太樹の墓のある方角へ目を向ける。黒々とした瞳は大きく見開かれた。
「思い出した。あの人、太樹先輩の従姉だ。多分話した事はないけど、何度か見てる……ほら、太樹先輩の家に遊びに行った時にもいましたよね」
「そんなの覚えてないよ。従姉だって? はは……じゃあ何、雀谷君は太樹の血縁だって言うのか」
笑えない。
けれど家族ぐるみで前野家の墓に手を合わせている利人達の姿を見るとその推測は重みを持って霞に伸し掛かる。
否、推測ではない。事実だ。岳嗣の記憶力の良さは霞がよく知っているし、もうこれは疑いようがないように思えた。
実際、利人の母親の旧姓は前野だと岳嗣がすぐに調べて来た。
何という因果だろう。
太樹と利人は繋がっていた。
大きな衝撃に頭が追いつかない。心臓はどくどくと激しく脈打ち落ち着かない。
二人の顔を思い浮かべようとして、そして気づく。
(太樹はどんな顔をしていた?)
何度思い出そうとしても顔に靄が掛かる。利人の顔しか脳裏に描けない。
そういえば夢を見ていた時もいつも、太樹の顔は見えてやしなかった。
ぞっとして部屋の中をひっくり返した。写真なんて何枚も撮っていない。卒業アルバムにも太樹は写っていない。
それでも一枚位あった筈だ。赤いガラスの破片は布袋に入って引き出しの中に仕舞われている。けれど写真は、太樹の顔が写るものは何も見つからない。
あんなに好きだったのに、絶対に忘れる事はないと思っていたのに、いつの間にかどんな声で話しどんな顔をしていたのか思い出せなくなっていた。
昔を思い出そうとしてもうまく思い出せない。何を話していたっけ、何をしていたっけ。
ただ何かを思い出そうとすると、その記憶は利人とのものにすり替わる。真面目に話を聞いていたり、ぱっと顔を輝かせたり、ちょっと怒ったようにむくれたり、恥ずかしそうに顔を顰めたり。
何も思っていなかった。毎週色んな場所へ連れていくのだって特別彼を目に掛けていたからじゃない。たまたま彼がそこにいたから。拒まないから。持て余していた時間が紛れるから。
今、振り返って思う。自分は彼と過ごす時間を楽しんでいたのだ。
「ああ……」
心臓がぎゅうと締め付けられる。
太樹への罪悪感と共に死の恐怖が襲い掛かる。
死への恐れなんてもうないと思っていた。待ち焦がれていた位だ。それなのに、何故か死ぬのが急に怖くなる。
もっと生きたいと、思ってしまった。
利人との未来は望んでいない。それでも、この目でもっと彼を見ていたかった。
***
もう潮時だろう。
最後に利人を抱いた。今だけだと懺悔して彼を想いながらその身体を愛した。
利人の為を想うならもっと優しくしてやるべきだったのだろう。でも気持ち良くさせたくて、忘れられたくなくて、それを本人が嫌がると分かっていて止めなかった。
それでも、結局最後までキスは出来なかった。それが霞に出来る、せめてものけじめだった。
利人へのこの感情はもしかしたら太樹が絡んでいるからではないかと思いもしたが、きっとそれは違うのだろうと行為の中で悟る。
そもそも太樹と利人とでは想い方が違う。
恋をしたのは太樹だが、利人へのこの感情は恋と呼んで良いのか今でも迷っている。
けれど太樹には願えなかった幸せを利人には願える。素直に愛おしいと思える。
若い頃のような自分勝手で暴力的な感情に染まる事はもうない。利人に夕が懐いている姿を見た時、嫉妬するでもなくただ微笑ましかった。
良いなと、そう思った。
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