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04 素直な気持ち

「俺、そろそろ行きます」  冷めたコーヒーが口の中で不快に纏わりつく。  この再会に少しも期待を抱かなかったと言ったら嘘になる。けれど今ではその傲慢さに嫌気が差す。 「ちょっと待って、途中まで一緒に行こう」  そんな気回さなくて良いのに、喫茶店を出ると利人も後を追って来た。 「この後どこに行くんだ?」 「事務所です」 「いつまでこっちに? 泊まるホテルってこの辺?」 「春休みですから暫くいますよ。ホテルではないですが、事務所がこの近くにあってその上で寝泊まりするんです」  話し掛けないでほしい。  わざと素っ気無い態度を取っている事に利人は気付いていないのか、会話を切ろうとしてもまたすぐ話し掛けてくる。  沸々と理不尽な苛立ちが募る。 「達也!」  すると突然明らかに自分に向けたものではない利人の声が上がり咄嗟に振り返った。  利人は手を振っていて、その視線の先へ目をやると金髪の若い青年が歩いて来るのが見える。 「利人さんお疲れっす。帰るの早いっすね」 「ちょっとな。あ、そういえば卵まだあったっけ?」 「今日特売だったから買っときました」 「流石! よくやった」  ビッ、と親指を立てる青年に対し利人も同じように親指を立てる。  片目が隠れる程の長い髪、ピアス、きちんとしているとは言い難い砕けた恰好に気怠そうな姿勢。  チャラい。そして目つきが悪い。随分親しそうに話しているが、一体どんな仲なのか。単なる知り合いにしては会話の内容が怪し過ぎる。  訝しむ夕の視線に気づいたのか、その青年はちらりと夕を見上げると目を細めて睨みつけてくる。夕もまたむっと眉を顰めた。 「利人さん、こちらの方は?」 「ああ、紹介が遅れて悪いな。俺の後輩、鷺沼達也(さぎぬま たつや)って言うんだ。達也も『オータム』で働いてるんだよ」  つまり交代の相手というのがこの達也という接客業には向かなそうな青年なのだろう。  達也は尚も値踏みするように夕を睨み上げどうもと愛想なく口を開く。 「じゃ俺はこれで」 「ああ、引き止めて悪かったな。また後でな」  手を振る利人に達也も手を上げて店へと向かう。  その背中を見ながら夕は利人の言葉を頭の中で思い返していた。 「また後でって」 「ん?」 「この後、あの人にまた会う予定でも?」  利人はきょとんと目を瞬かせると、ああと表情を緩める。 「同居人だからな。自然と顔を合わすっていうか」  は、と間の抜けた声が漏れる。 「同居人? 一緒に住んでるんですか?」  まさか、と耳を疑う。  てっきり一人暮らしなのだと思い込んでいた。同居って何だ。他人の男と暮らしていると言うのか。  あまりの驚きに戸惑っていると、利人は平然とそうだと口にする。 「俺、今寮に住んでるんだ。達也とは入寮時からずっと同室だから後輩で一番付き合いあるかな。あ、部屋離れてるけど樹さんも寮だからたまに会うよ」 「寮、ですか。そうですか」  へえ、と渇いた声が漏れる。  それなら納得だ。納得だけれど、それでも達也の存在が不快にちらつく。 「寮ってどんな感じですか? 他人と住むの、大変じゃありません?」  何を聞き出したいのか、自分でもよく分からない。ただ小さな苛立ちは少しずつ膨れ上がっていく。 「そうだな、変な感じだけど俺は嫌いじゃないかな。達也とも初めはうまくやってけるのか不安だったけど、あいつ良い奴だし案外家庭的なんだよ」  意外だよな、とくすくすと笑う利人に夕も微笑みを浮かべる。  面白くない。 (良い奴? 家庭的? 冗談だろ。初対面でガン飛ばしてくるような男)  それとも利人の言う事が本当なら、利人にはそうなのかもしれない。 「好かれてるんですね。楽しくやってるようで何よりです」 「いやあ、好かれてるかどうかは分からないけど……夕は、今楽しくないのか?」  顔色を伺うように表情を曇らせる利人に心臓がどきりとする。 (どうして、こんな時だけ)  きゅ、と唇を噛む。 「楽しいですよ」  得意のポーカーフェイスに利人はそうかとほっとしたように目を細める。  偶然の再会もこれで終わりだ。ここから何かが始まる訳でもない。世の中なんてそんなものだ。  ただ今までの生活に戻るだけ。  この人のいない生活に。 「夕、まだ当分こっちにいるんだよな」 「はい」  まだ三月とはいえもう春だ。時折吹く風は少し肌寒いが日差しは心地良い。 「じゃあまた会えるかな」  控えめに微笑む利人に夕は胸が締め付けらえるのを感じた。 「どうして」  どうして、そんな事を言うのだろう。  離れようとしているのに、どうして追ってくる。  すると利人は不思議そうに首を傾げた。 「だって、また会いたいし。……駄目か?」  そうやって簡単に言ってしまうんだ。 (俺がずっと飲み込んでいた言葉を。そんな風に、事もなげに)  は、と気づかれないように溜息を吐く。 「駄目じゃないです」  駄目な訳がない。 「俺も、会いたいです」  もしかしたらとか、一人でぐだぐだ考えたって切りがない。憶測は憶測でしかない。  なら、もういっそ素直になってしまおうか。 (だって目の前には利人さんがいる)  笑っている利人が。  なら、今は自分のやりたいようにしても良いだろうか。悩むのはもう後回しだ。  苦くも甘酸っぱいこの感情は今も生きている。

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