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06 帰寮〈2〉
ガチャリ、二〇七と書かれた扉に鍵を差し込み扉を開くとがらんとしたダイニングキッチンが視界に映る。入れ替わりで働きに出ているルームメイトは当然いない。
ほっと息を吐きスマートフォンを取り出す。パスワードを打ち込むと先程見て開いたままにしていた夕からのメールが画面に現れた。
ふ、と頬が緩む。
「返信しなきゃな」
ダイニングからプライベートルームへ移り鞄を下ろしてベッドに横になる。
相部屋と言ってもキッチンやシャワールーム、トイレのあるダイニングが共用なだけでプライベートルームはきちんと分けられている。少々狭いけれど一人の時間を得るには十分な広さだ。
(今、寮に着いた。明後日、楽しみにしてる、と)
指先で画面を操作しメールを送る。平静を取り戻したものの再び昂り出しそわそわと落ち着かない。
「こんな事ってあるんだな」
枕に半分顔を埋めて思い起こすのは思ってもみなかった夕との再会。
「嘘みたいだ」
柔らかな枕に顔を擦らせ、はあと深く息を吐く。
その時着信音が鳴った。陽葵からだ。ベッドから身体を起こす事なくそのままスマートフォンを耳に当てる。
「もしもし陽葵? ……あー、どうかな、バイト次第。多分帰れると思うけど。ん? はは、何それウケる。羽月も上手い事言う」
くすくすと肩を揺らして笑う。耳元で陽葵の元気そうな声が響いた。
その声が今日もバイトだったのかと問う。
「そう、バイト。……今日な、夕に会ったんだ」
夕に会ったんだよ。
自分で紡いだその言葉は口から出た途端しっかりと形を持ち頭に深く刻みつけられる。
「びっくりした」
それは独り言のような呟き。
ぎしりとベッドを軋ませながら起き上がり机の隣にある棚の前に立つ。本や教科書が並んだ中から取り出したのは一冊のファイルだ。
それをぱらりぱらりと捲って眺めながら目を細める。
『夕君がホームページに載ってる!』
新しい土地での暮らしにも大分慣れ、夏も過ぎようという頃その知らせは来た。
久し振りに見る夕の姿に心臓が強く揺さぶられた。その衝撃を今でも覚えている。
東陵大学に通い始めて半年、他の同期に比べて遅れのある利人は毎日講義や演習尽くめ、休日はバイトにレポートというストイックな生活を送っていた。
それでも時折夕の顔を思い出す。ちゃんと学校に行っているか。風邪を引いていないか。元気に笑えているか。
祈るような気持ちで、ただ夕の平穏を想った。
(駄目だ)
ページを捲る手がぴたりと止まる。すうっと頭から血の気が引いていく。
(何を浮かれて、調子に乗って)
――だって、また会いたいし。
夕に言った言葉を思い出す。何が『また会いたい』だ。まるですべてを許されたみたいに。
初めてモデルとしての夕の姿を見た時、無性に彼に会いたくなった。陽葵に『会いに行かないのか』と言われた事もある。
けれどそんな事、簡単に出来る事ではない。
自分の都合で夕を傷つけて離れておきながら、また気まぐれに会いに行って、それでどうするというのか。そう思うとメールのひとつさえ送るのは憚られた。
遠くからモデルとして活躍する彼の姿を見守っていられたらそれで十分。今では夕の載っている雑誌やブランドフライヤーを見つけてはファイリングするのが習慣でありささやかな楽しみだ。
それなのに、偶然の再会に気が緩んだ。
シャワーを浴び部屋に戻ると、ベッドの端に置かれたままのスマートフォンを手に取る。いつの間にか夕からメールの返信が来ていたらしい。
『おかえりなさい』
冒頭に綴られたその言葉に、唇は柔らかな弧を描く。
「駄目だなあ、本当に」
会うつもりなんかなかったのに。
薄く開かれた唇から、ふ、と苦笑いが零れた。
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