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19 害獣対策〈1〉
日が暮れる夕方、西陵大学附属高等学校の屋上。那智に会ったと利人からメールを受けた夕は不穏な気配を感じて彼に電話を掛けた。
「大丈夫ですか? 嫌な事されてませんか?」
『はは、彼信用ないな。嫌な事、嫌な事ね』
ははは、と軽く笑う声はそのまま溜息へと変わる。ぞっとした。
余程の事、が起きてしまった。利人と那智がまた出会うなんてきっとないだろうと思っていたのに、まさか那智が東陵大学に入っていたとは知らなかった。案外頭が良かったのか。
何があったのかと利人に尋ねても利人は言葉を濁すばかりで核心めいた事は何も言わない。話を変えようとしさえする。
辛うじて女と揉めて頬を叩かれていた話を聞いてもそれが那智だと思うと別に驚きはしない。ローテーションの早い那智の浮ついた話なんてよく聞く話だ。が、それを端的に述べる利人の声の調子からは相手の女への同情が伺えた。
利人は那智が女に何を言っていたのか二人の様子がどうだったのか、そういう話をするのを嫌がっているように見える。
(遠慮、してんのかな)
利人との距離感は以前よりもぐっと、それこそ『友人』のように近くなったように思える。
けれど夕が利人の年下である事に変わりはなく、その分利人はきっと弱みを見せまいとする。その上那智と知人とくれば一層彼の陰口は言えないのだろう。利人が誰かの陰口を言っているところを夕は見た事がない。
はあ、と項垂れる。本人に自覚はないのかもしれないが、暗に『那智の事で嫌な事があった』と言っているも同然だ。きっと不躾な事も言われたに違いない。那智とたまにしか顔を合わせない夕ですら彼は失礼な事を平気で言う人間だという認識がある。
「利人さん、抱え込むのは身体に毒なんですよ。こういう時愚痴でも何でも吐き出しても許されるのが『友人』ってものでしょう?」
溜息交じりにそう言うと通話口の向こうからは利人の考え込むような唸り声。このカードを出すのは卑怯だったかな、と思うものの利人の口を割らす為だ。仕方ない。
『友人だからって何でも言っていいって事にはならないだろ』
「そうとも言えますけど。でも、この場合利人さんがすべき事は思った事を吐き出す事です。でないとストレスで死にますよ」
それは嫌だなあ、と利人は笑う。
すると観念したのか、少しの間の後利人は口火を切った。
『人の恋愛に口を挟むべきじゃなかった。どうしたんだろなあ、つい、口に出ちゃったんだよな』
「利人さんが気に病む事ないですよ。あの人、女性関係がだらしなくて誠実さとは対極にあるような人なので。利人さんが呆れても仕方のない人です」
『言うね』
本当にその通りなのだ。利人が気に病むだけ無駄、というかそうやって利人を悩ませる那智が腹立たしい。
「利人さんが嫌な事も言われたんでしょう? あの人何言って来たんですか?」
利人はうーんと思い起こす素振りをする。初めは言い渋っていた利人だが、一度気を許したその口は滑らかだ。
『嫌な事って言ってもちょっとからかわれただけだよ。覗き見が趣味なのかとか友達紹介するとか。あと……』
「あと?」
余計な事を言ってくれるな、と内心舌打ちをすると利人は再び言い淀む。
『友達を紹介するって言われた時要らないって答えたら、コッチの趣味かって笑われて』
「コッチって……ああ、男同士のって意味ですか。冗談ですよ、それ」
『分かってる。分かってるけど、嫌だったんだよ』
その声があまりに苦し気で、夕はそっと目を細めた。父を好きだと辛そうに言っていた利人が脳裏に蘇る。
「利人さん、馬鹿だなあ」
『ば、馬鹿?』
ぽろりと、柔らかく零れ出る。
不器用だ。
そんなの一々気にしなくて良いのに、すぐに忘れてしまえば良いのに、きっとそんな事は出来ないのだろう。
その不器用な素直さが愛おしい。
「そんなの聞き流せば良いんですよ。雑音は消して生きていかないと、生きにくいでしょう」
利人はまたうーんと唸る。
ふと思う。
もし今後この気持ちを利人が受け入れてくれたとして、その時利人は外の目を気にして苦しんでしまうのだろうか。
自分は、利人が愛してくれたならきっとそれだけで幸せで他人からどう見られようと気にしない。けれど、利人はそうではないかもしれない。
(利人さんと二人っきりで暮らせたら何も心配しないで済むのにな)
そしたら海外の田舎にでも移住してこっそり二人きりで暮らすのもいいな、いや同性婚が許されている国なら堂々と住めるのか。などと考えているとそのあまりの夢物語振りにはっと我に返って内心苦笑した。
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