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23 院試説明会〈2〉
そうこうしているうちに騒々しい足音と共に周藤がやっと顔を見せた。
「悪い、待たせたな。さあ中に入って」
周藤はがちゃりと部屋の鍵を開け二人を催促する。リカは利人に一瞥もくれず周藤の言葉に従いさっさと中へ入って行った。利人も慌てて閉まり掛けた扉を押さえて中に入る。彼女との会話はそこで強制的に中止となった。
周藤はさくさくと事務的に説明を済ませると面談を行うと言い最初にリカが呼ばれた。希望者だけ相談を受け付けると言っていた筈だが、二人しかいない為両方から話を聞く事にしたのだろう。
「雀谷君、次」
近くの資料室で十五分程待っていると面談を終えたらしいリカがやって来た。
「どうだった?」
「別に。志願理由とか卒論の話しただけ。早く行ったら?」
「ああ、うんそうだね」
リカはぷいとそっぽを向くとすたすたと帰ってしまう。
彼女は喋り方に棘があり表情も乏しく素っ気ない。鉄面皮という程ではないが、少しでも笑ったところは見た事がない。
「リカ」
遠くで声が聞こえてリカの去った方に再び視線をやると、立ち止まる彼女と背の高い女の姿があった。
ツバのある帽子にサングラスを掛けていて、顔は見えないがリカが僅かに目を見張らせているのが見える。何事か話しながら去っていく姿はどこか親し気だ。
並んで歩いているだけなのだけれど、そういう光景さえ見た事がないからそう感じてしまうのかもしれない。
(友達かな)
背中を向けているから顔は見えないけれど、その人には笑った顔も見せているのかもしれない。そう思うと少しほっとする。
「あっ、早く行かなきゃ」
和んでいる場合ではない。女が振り返り利人を見たが、それには気づかずに小走りで周藤の待つ研究室へ向かった。
「雀谷は院志望なんだな?」
研究室へ入るや否や、のっけから随分押しの強い言葉を投げ掛けられ心臓にぐさりと刺さる。何と太く鋭い刃か。
「す、周藤先生……ごめんなさい……」
「え? 違うのか?」
申し訳なさで縮こまりながら声を震わすと周藤は予想外だと言わんばかりに目を見開かせる。富岡と同じ反応だ。
「周藤先生には転入の推薦やバイトの紹介までしてくださり頭が上がりません。本当にありがとうございます。けれど、卒業後は就職しようと考えていたんです」
喫茶『オータム』は元々周藤の行きつけで店長の畑山と周藤は兼ねてからの友人だそうだ。丁度人手が欲しいと畑山がぼやいていたところ周藤を通して紹介してもらい、後々利人を通して達也もそこで働く事となったのである。
「バイトに関してはたまたまだし気にすんな。けどそうか、大学残んねえのか」
明らかに落胆している周藤に利人は罪悪感で胸が一杯だった。ここへ来た事で期待させてしまったのなら軽い気持ちで来るのではなかった。
「でも説明を受けに来たって事は、ちょっとは気があるんだろ?」
周藤の力強い眼差しを受けぐっと唇を噛む。そうですね、と答えると周藤は考え込むように腕を組みこめかみをとんとんと指先で叩いた。
「俺も初めはそういう期待はしてなかったんだがな。お前にはただ無心になって打ち込めるものが必要だっただろうし。けど雀谷は今も講義を真面目に受けてるし成績も良い。この先どうするかはお前次第だから俺が口を挟む事じゃねえけど、随分熱心に取り組んでたように見えたからさ。正直勿体ねえな。研究続けんのは嫌か?」
「まさか、そんな事ありません。考古学を学ぶのは本当に面白いですし、もっと勉強したい位です」
『無心になって打ち込めるものが必要だった』という周藤の言葉にぴくりと眉が動く。事実その通りであり、周藤が言わんとしている事は身に染みて理解している。
東陵大学へ来た当初、利人は寝る間も惜しんで一生懸命勉強に取り組んだ。余計な事を考えずに済むように。
なら、と口を出す周藤に利人はぶんぶんと首を横に振る。
「ありがとうございます。そういう風に言ってくださるなんて身に余る光栄です。すみません、お気持ちに応えられなくて」
いや謝んなよ、と周藤は手をひらひらと揺らす。
周藤の言葉が嬉しくて、そしてやるせない。
(もっとここで研究を続ける……?)
けれどそれは、きっと我儘だ。大学まで通わせてもらって転学までした。なら後は予定通り就職するだけだ。
迷う事はない。事実これまでずっとそうして真っ直ぐ進んできた。
なのに、どうしてこんなに苦しい。
「雀谷」
突然周藤に名前を呼ばれ利人ははっと顔を上げる。
「雀谷は博物館でバイトしてたな。院に進めば学芸員として働ける可能性も上がるけど、それも興味なかったか?」
「そ、それは……」
瞳を揺らし唇を噤む利人の顔を周藤が覗き込む。黒い双眸に自分の姿が映り込んでいるのが見えた。
何て情けない顔をしているんだろう。
「お前、本当にそれで良いのか?」
心臓が重く、凍りつく。
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