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25 眩い君

「公務員になりたいとずっと思っていた筈なのに、院に行かないのかって言われて正直揺れてる」  溜息混じりにそう口に出して、より実感する。  迷っているのだ。  公務員はおろか就職さえせずに大学に残って研究を続けるという選択への魅力と不安。けれどその不安があって尚無視出来ない程に惹かれているという事実を突きつけられる。  院へ進むのだろうと言って来たリカに「違う」と答えられなかったのはだからだ。  迷ってしまうのは時期を思えば当然なのだろう。公務員試験の申し込みが近づいている。引き返すなら今なのだ。  だけど。 『成程、院ですか。利人さんが進みたいと思うのなら院に進学して、公務員にはその後目指せば良いんじゃないですか?』  それでも遅くはないでしょうと言う夕に利人は頬杖を突いてううんと唸る。 「そういう事じゃないんだ。ただ研究を続けたいって気持ちだけで就職を先延ばしにするのは俺のただの我儘じゃん。……いや、いや違うか」  くしゃ、と前髪を粗く掴み眉間に皺を寄せる。  夕の発言は最もだ。何も就職するのが嫌で先送りにしようとしている訳ではない。それでももう二年大学に残り、満足いくまで研究を進めてから再度公務員を目指す方法だってあるのだ。  けど、本心は更にその奥にある。 「手堅い職に就く事だけを考えていた筈なのに、今更欲が出て来たんだ。研究を進めて、好きな事を仕事に出来たらどんなに良いだろうな」  そう思ってしまった。  そんなのは現実的ではないと、自分は堅実に一歩一歩生きて行こうと思っていた筈なのに。 『それは難しい仕事なんですか?』 「難しい、難しいな。俺、その……博物館や歴史資料館で働く事に興味があって。資格自体は在学中に取れるものだけど、求人が恐ろしく少ないから学芸員として働くのは難関だって言われてる。アルバイトや非常勤で働きながら目指す人も少なくないんだって。大学を卒業したらさっさと就職して安定した給料を稼ぐんだって思ってたから、叶う可能性の低い職業を目指すのは俺にはハードルが高くてさ」  まあ公務員だって全然簡単じゃないけどな、と笑い混じりに話してそっと溜息を吐く。  周藤は学芸員の話を出したが決してそれを勧めた訳ではない。ただ利人の興味を引きたかったのかもしれないが、そうだとしたらそれを引き合いに出したのは恐ろしく鋭い指摘だったと言えよう。  何故なら何も周藤に言われて初めてその気になったのではないからだ。切っ掛けではあったけれど、それは元々利人の心の奥深くで眠っていた願望だ。 『お前、本当にそれで良いのか?』  その言葉はずしりと胸に響いた。 (もしかして周藤先生も分かってたのかな。俺が迷っていた事を)  そして自分を押し殺そうとしていた事を。 『夢が出来たんですね。いいな』 夕の口から出た『夢』という言葉に利人はきょとんとし、そしてじわじわと赤面する。 (夢、なんて)  その言葉の甘酸っぱさと新鮮さに首筋が痒くなった。 「全然良くない。今更何言ってんだって感じだろ?」 『でも利人さん、ずっと興味はあったんでしょ。そうじゃなきゃ博物館のバイトなんてしないですよね』  何度目かの溜息を吐いてぺたりと机の上に頬をくっつける。ひんやりとした机の感触が心地良く利人の火照った頬を冷ました。 「まあそういうの、好きだからな。けど本気じゃなかったんだよ。博物館で働く難しさはバイト先でも聞いてたから俺には無理なんだろうなって思ってたし」  遠い話だと思っていた。いいな、と思ってもまずその門を潜る事さえ難しい。入れたとしても非正規での雇用が多いとも聞く。その仕事への愛と根気がなければ中々続けられない仕事なのかもしれない。 「でも、そうだな。ただ諦めてただけかもな。好きを仕事にしている人達を見て格好良いな、眩しいなって思ったから」 『俺には今の利人さんも眩しく見えますよ』 「ええ?」  こんなにぐずぐずと悩んでいるのにどこが、と言うと夕の明るい声が耳元に響く。 『研究室の話とか、好きな事を話してる時の利人さん本当にきらきら可愛くって。心から好きなんだなって伝わりますもん。今だってそうです。利人さんは必死になって悩んでるって分かっているんですけど、利人さんのなりたいものが利人さんらしくて俺はつい嬉しくなっちゃうんですよね』  どういうこっちゃ。  夕があまりに嬉しそうに言うものだから何だか気恥ずかしくなっていると、その情報量の中で聞き捨てならない言葉を聞いた気がしてあれと首を傾げた。 「待って、今きらきら可愛いとか言った? 気のせい?」 『言いましたよ』 「それはお前だろ」 『いえ俺は別に可愛くないので』 「俺もだし! それにきらきら眩しいのなんてお前こそだろ。格好良いし、モデルも立派にこなしていい男に磨きが掛かってる。ずるい」 『ずるいって。嬉しい事言ってくれますね』  くつくつと電話越しに控えめな笑い声が聞こえる。言っていて自分も少し恥ずかしいが本当なのだから仕方ない。 『けど利人さんが思ってる程俺は立派じゃないですよ。家業は中途半端、モデルもただ何となく続けてるだけで特別好きな事もなりたいものもないので』  その声は調子こそ普段の夕のものではあったが、きっと真剣に悩んでいるのだろうとすぐに分かった。 「まだ高校生だろ。中途半端で当たり前。引け目なんて感じる必要ない」 『そうなんですかね。俺はいつまでも答えの出ない自分に辟易します。母は、俺の年の頃にはもう覚悟が出来ていて早々に華道家として活躍していたのにって』  夕の口から家の事、華道について語られた事は殆どない。だから夕からその話をするのは珍しかった。

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