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26 決心
『あ、俺達ちょっと似てますね。俺はずっと母の跡を継ごうと努力してきましたけど、今では息苦しさを感じてしまうんです』
そう紡ぐ声は明るく繕うものの少し低い。
夕が将来を決めかねている事は彼が中学生の時から知っている。夕の家の事情をよく知っている訳ではないけれど、代々華道家元を継いできた家柄だ。夕が抱えるものはきっと自分には想像出来ない程重い。
『嫌いではないですし、特別やりたい事もないのなら俺が継ぐのが一番良いんです。母は継がなくてもいいと言ってくれましたけど、周囲は少なからず俺に期待してますし。この道に進むと決めたならしっかりやるつもりですけどね。……でも、そうやって流されて生きる人生って何だかつまらないじゃないですか』
つまらない、と口の中で繰り返す。夕の話を聞いている筈なのにぎくりとした。
『ごめんなさい、利人さんの話を聞いてたのに急にこんな話』
「いや、俺の事なんかよりお前の方が大変だろ。夕は一人息子だから余計プレッシャーもあるだろうし。……お前は自分に辟易するって言ったけど、それはお前が家族や家の事を大事に思ってるからこそだろ? それなのに申し訳なく思う必要なんかないよ」
夕が抱えるものは複雑で、好きに生きようにも優しく責任感があるからこそ余計に悩んでしまうのだろう。
どくり、どくりと心臓の音が近く感じる。
次第に胸が熱くざわめき始めていた。
『すごいプラス思考』
「だってその通りだろ」
何かが自分の中でぷつりと弾けた。
「夕あのな、他人だから言えるのかもしれないけど俺は他人だから言うぞ。夕は『周りが考える理想』を求めて自分を縛り過ぎるんだ。つまらないってお前だって思ってるんじゃないか。もっと我儘で良いんだよ自分の人生なんだから。後悔のない人生なんて難しいけど、それでも出来るだけ後悔しないように生きたいじゃん」
一気にそう捲し立て、ふうっ、と息を吐く。そして熱くなっている自分にはっとして我に返った。
耳元では静寂が広がっていて返って来る返事はない。
恐る恐る夕の名前を呼ぶと、その時やっと夕の声が耳元に届いた。
『利人さん、それ……』
落ち着いたその声に利人は緊張しながら続く言葉を待つ。
柄にもない事を――余計な事を言ってしまった。偉そうな事を言える立場でもないのに、部外者がしゃしゃり出て何を言ってるんだか。利人はずんと肩が重くなるのを感じた。
『自分にも言える事なんじゃないですか?』
「え? ……あっ」
思わぬ夕の言葉に利人は口元を手で覆う。
自分の事となると見えない事でも、人の事だと見える事がある。まさに今回がそれだ。
『驚いた。利人さんの新しい顔を見た気がする』
「やめて。恥ずかしい」
耳元にくすくすと夕の柔らかな声が落ちる。夕が不機嫌になっていない事にほっとするのと同時に無性に自分が恥ずかしくなった。
結局は自分も、安定のみを求めた将来をつまらないと思ってしまったのだ。
不安要素は少ないに越した事はない。早く社会人として落ち着けばその分金銭的な余裕も生まれるし、家族もきっと安心出来る――そう今でもそう思っている。
けど、家に借金があったのは過去の話で、トラウマのようにより安定した職をと求める必要はもうないのだ。
ならもう、選ぶ道は決まっている。
「よし、決めた」
すっと背筋を伸ばし唇を引き結ぶ。視線は前方、活字のタイトルが並ぶ本棚を見上げる。
「俺、進学する方向で真剣に考えるわ」
『えっ、あんなに悩んでたのに何でまた急に』
利人の突然の宣言に夕は驚きを隠さない。
確かに急だ。けど、いつまでもうじうじと悩んではいられない。
「いやだって自分で言っちゃったし。俺にとっての後悔の少ない選択はこれだって分かったから。……それにきっと、もしこれで失敗したとしても俺はこの選択を過ちだとは思わない」
人生はそんなに甘くない。いつか後悔する日が来るかもしれない。
それでもやってみなければ何も分からない。やらない後悔よりやる後悔だ。それなら納得するし、この時の自分を笑って許す事だって出来るだろう。
『利人さん、男前』
「そうか?」
ふっと苦笑いを浮かべる。勢いで言ったものの、胸のつかえが取れたように気分はすっきりしている。
久し振りに心地良い気分だった。
『人の悩みを聞いているうちに自分の悩みを解決してしまった訳ですね』
「やめて。恥ずかしい」
『お役に立てて何よりです』
「何かごめん」
『いいえ。……俺も、前向きに考えます。自分の事』
くすくすと和やかな笑い声が交差し部屋の中を満たす。
ありがとう、と礼を言っておやすみの挨拶を言い合い通話を切った。
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