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41 泡沫の熱に溶ける〈1〉
ぐん、と急に意識が戻り飛び起きると、ぐにゃりと視界が歪んで吐き気に顔を顰めた。
「利人さん! 大丈夫ですか⁈」
げほげほと咳き込む背中を擦られながら利人は吐き気が落ち着くのを待ってじっと耐える。身体が鉛のように重くてだるい。吐き気が治まっても頭はふわふわとして落ち着かない。
(何だ、これ)
身体が熱い。呼吸も乱れている。
おぼろげに開いた瞳に映るのは布団。ベッドだ。大量に汗を掻いたのかシャツがじっとりと肌に張りついて気持ちが悪い。寝ていたのかと理解して、そうして何気なく瞳を横に流すと夕の顔が飛び込んできた。
「ゆ、う……?」
思いがけない事態に思考が追いつかない。
どうして、ここに夕がいるのか。
その時今しがたまで夢を見ていた事を思い出した。何だ夢か――そう安堵するも、どんな夢だったのか思い出すと頭がカッとする。
恥ずかしい事に夕と何をしていたのかこの頭ははっきりと覚えている。それどころか唇に名残を感じる気さえして更に顔が熱くなる。
夕の口元が目に入り、つい意識してしまう。
「利人さん、大丈夫ですか?」
夕の手が伸び利人の頬へ触れる。
冷たい指先が肌に触れた途端、びくりと身体が震えてくらりと眩暈がした。
「あっ、ごめんなさい。急にびっくりしますよね」
「いや……」
気怠く返事をしてぎゅっと自分の腕を掴む。
触れられた場所がちりちりと妙にくすぐったくて落ち着かない。どくどくと心臓は速まるし頭は朦朧としてくる。こうして何かにしがみついていないととてもではないが耐えられそうにない。
(息が苦しい)
はあ、と熱い息が漏れる。どうしてしまったのかと視線を移せば夕に身体を支えられている事に気づいた。
自覚した途端触れられている腰が妙に熱く感じてしまってまた胸が苦しくなる。
本当にどうしたのだろう。こんなもの生々しいなんてものではない。夢の中で身体に触れられて、キスをされて――それで、過剰に身体が反応してしまうとでも言うのか。
「ちょっと、失礼」
夕はそう言うと利人の額からシート状のものを剥がし自分の掌を押し当てる。一瞬動揺したものの夕の掌はひんやりと心地良くて身を委ねるようにそっと目を閉じた。
「熱は少し下がったみたいですね。でもまだ顔が赤いし寝ていた方が良いですよ」
「ン……ねつ?」
その単語に引っ掛かりを覚えぱちりと目を開く。
(そうだ。これは熱だ。俺、風邪引いてたんだ)
少し前から患い出した風邪は一向に良くならずそれどころか悪化していった。微熱はあったものの大した事はないからと達也の代わりにバイトに出たのだった。
働いている間にもどんどん顔は熱くなっていったが身体は動けていて、確か買い出しで外に出た途端急に身体が言う事を聞かなくなってしまったのだ。
そこまで思い出しぴしりと顔が固まる。
「そうだバイト!」
買い出しに行ったその後の記憶がない。青ざめベッドを出ようとしたものの、体力が底をついている身体は簡単に夕に捕まってしまう。そうしてふらつく身体はそのまま押し倒されベッドの上で磔となった。
「あんた馬鹿ですか! そんな身体でどうしようって言うんです。それに店なんてとっくに閉まってますよ」
夕の怒りを滲ませた声と瞳に利人はぱちくりと目を見張らせる。掴まれた腕が少し痛くて、そして冷たいのに熱い。
夕だ。中学生の頃より少し髪が伸びて身体もひと回り大きくなった夕。
視界も思考もクリアになる。
改めて我が目を疑った。
「ゆ、夕……? ほん、もの……?」
「何を今更……寝ぼけてるんですか? 俺ですよ」
夕は呆れたような顔をしてくすりと苦笑いを零す。
ああ、本当に『夕』なのだと思った。
すみません、と申し訳なさそうに夕の手が離れる。押さえつけられた腕が解放されると、ほっとするのと同時に何故か寂しいような名残惜しいような気持ちが後を引いて唇を噛んだ。
(俺は本当に馬鹿になったのかな)
気怠くて、夢の中よりずっと頭も身体も働かない。
身体がくすぐったい。そわそわして、どきどきする。
夕だと実感した途端じんわりと胸が余計に熱くなった。
「どうして夕がここに……いや、ここは一体――」
見慣れない部屋の中を見渡し、改めてベッドに視線を戻してぎくりとする。
見えてはいない。上半身だけ起こした身体は下半身を布団の中に埋めている。けれど自分の身体だから分かる。布団の下で自分の下腹部がどうなっているのか。
「ここは俺の所属事務所の宿泊部屋です。覚えていませんか? 利人さん、店で倒れたんですよ」
「そ、そうだっけ」
丁度仕事でこっちに来たので『オータム』に行ったんですよ、と続ける夕の言葉は半分も耳に入って来ない。
どくりどくりと血が巡る。下に集まる。
身体が、中心が熱い。
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