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43 泡沫の熱に溶ける〈3〉*

 早くしないと間に合わない。  早く逃げないと自分を守れない。 もうぎりぎりだった。 「そんな状態で何を言っているんでしょうね。自分がどんな顔をしているかなんて知らないで……余計に煽ってる事に気づいていないんだ」 「え?」  何、と頭を上げようとすると耳に歯を立てられ目を見開いた。耳の柔らかな縁を甘噛みされくすぐったくて身体を捩る。 「な、何。やめろくすぐった……ひぁッ」  耳の内側を舌でなぞられぞくぞくと甘い痺れが駆け抜ける。じたばたと暴れる身体は夕の両腕に拘束され逃げる事も出来ない。  吐息と唾液が絡まり耳の中の弱い場所を容赦なく責められる。濡れた音は耳に直接響き、慣れない場所を乱暴に舐められて身体がぴくぴくと震える。  耳たぶを吸われ、ようやく解放されると利人は呼吸を乱しぐったりと夕の身体に凭れ掛かった。 「こんなに感じやすくなってるのに、放っておいたらそれこそ辛いですよ。もう一度聞きますけど、俺に触られるのは嫌ですか?」  は、はあ、と肩で息をしながらゆっくりと瞬きをする。  どうしてそう、ずるい言い方をするのだろう。 (子犬、みたいな)  全然子犬なんかではないのだけれど。大きいし、聞いてくる割に返答に構わず実行に移すような奴なのだけれど。  時折まるで子犬のように不安そうな声を出すものだから、つい絆されてしまうのだ。  それに夕は本当に優しい子だという事もよく知っている。今だって余計な事はするけれど、看病をしてくれるのもこれだって夕の善意だ。  それでも。 「嫌だ」  友人としてのその善意を、友人として正しく受け取れているのだろうか。  怖いのだ。 「お前に触られると、よく分からないけど……どきどきして、自分がおかしくなりそうで、嫌だ……」  夕に触れられて、そしてどうなる。  怖い。  醜態を曝すのが怖い。  嫌われるのが怖い。  優しくされるのが怖い。  夕が、怖い。 「貴方は本当に、どうしようもない程可愛いんですね」 「夕……?」  ぐい、と顎を捕らえられ引き寄せられる。そうして唇が合わさり柔らかな熱が灯る。 「ゆ、夕! 駄目だって……ふあ、んんッ」  角度を変え何度も唇が合わさりそのまま押し倒される。唇を食み歯列を割って滑り込んでくる舌はぬるりと利人の口腔をなぞり舌が絡まる。舌で押し返そうとしても逆に絡め取られより口づけは深くなる。  濃厚な口づけに利人は眩暈を起こしそうだった。口の中が熱い。互いの唾液が絡まって混ざり合い、唇の端から零れても気にする余裕がない。  夕の身体を押し退ける程の力なんて残っていない。利人の手は力なく夕の身体に添えるだけとなってしまっているが、それはもはや拒んでいるというより強請っているかのようだ。  頭が真っ白になって何も考えられなくなる。  理性は荒波に攫われ本能が引きずり出される。  やましい本能が。  ずっとこうしていたい。――もっと、欲しい。 「ふ、はっ……、ゆ、ぅ」  深く合わさる唇の隙間からあられもない声が溢れる。恥じらいも我慢する余裕もなくなってきていた。  唇を重ねながら露出した肌の上を夕の大きな手が撫でる。皮膚の擦れる感触にびくびくと小さく震えた。  夕の手は利人の下腹部へ下り、その張り詰めた中心には触れずに脚のつけ根、敏感な内側へと滑り込む。あまりにも際どく、その癖肝心の場所には触れないその手つきに焦れて喉が引き攣った。 「ン、うぅ、ふぁ……っ」  内股を指先でいやらしく触れられ身体がびくりびくりと震える。もどかしくて夕にしがみつく手に力が籠る。  もっと欲しい。  まだ、足りない。  何が、 (夕が、欲しい)  薄く開いた瞳に涙の膜が出来る。切なげに瞬きをすると黒い睫毛がしっとりと濡れた。  優しくされたくないのは期待して裏切られるのが怖いからだ。  罪悪感ばかり感じていたと思っていたのに、そうして夕の事を考えているうちに夕しか考えられなくなってしまっていた。その事にどうして気づかなかったのだろう。 (俺は夕の事が好きなんだ)  白岡が告げようとしていた言葉が今なら分かる。  自分は、夕に恋をしているのだ。  だから夕に触れられてこんなにも身体が悦ぶ。それはきっと至極当然の事で、何もおかしい事なんかなかった。 「――あッ!」  散々焦らされたそこへ夕の手が伸びる。硬い布越しに触れられただけで電流のような強い痺れが身体中を駆け抜けた。 「利人さん」  そっと離れた唇から零れる甘い響きにくらりとする。  名前を呼ばれただけで感じてしまう。ぞくりと肌が粟立ち熱い吐息を零した。 (好きだ)  自覚した途端どんどん気持ちが溢れて止まらない。  堪らなくて、ぽろりと涙が溢れた。

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