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47 嘘つき〈1〉
目が覚めると隣のベッドに夕の姿はなかった。
「あつ……」
汗で湿った服を肌から引き剥がすようにぱたぱたと襟元に空気を入れる。気分はすっきりとしていて身体を動かすのも随分と楽だ。どうやら熱はもう下がったらしい。
そっと部屋の扉を開け廊下を覗き込むとすぐにトイレの存在に気づいてほっと胸を撫で下ろす。誰もいない廊下を足音を忍ばせて進み、用を終えて部屋に戻ろうとすると誰かの話し声が微かに響く事に気づいた。
女の高い声。無意識に身体を隠すが声が近づく気配はない。耳を澄ませてよく聞くと男といる事が分かる。
男、というか。
(この声……夕か?)
すっ、と足を踏み出し自然と声のする方へ引き寄せられる。音を立てないようそっと声のする方へ向かって――いた。夕だ。
じわりと心臓が熱く灯る。どくり、どくりと鼓動し血が巡る。しかしもう一歩踏み出したその足はぴたりと止まった。
夕の隣にはとても綺麗な女が座っている。いつしか夕と並んでカメラの前に立っていたモデルだ。
何を話しているのだろう。声ははっきりとは聞こえない。けれど何だろう、二人とも穏やかで――良い雰囲気、とはこういうのを言うのではないかと思った。
ちくり、胸に針が刺さったかのような痛みと違和感。これは何だ。胸の高まりはだんだん静まり気持ちが沈んでいく。二人が何を話しているのかなんてもう聞こうともしていなかった。
なのに。
「好きな人はいます。すごく可愛い人」
どうしてこの耳はそんな言葉だけ拾ってしまうのか。
まるで天地がひっくり返ったような心地だった。
心臓が冷たく凍りつく。
(夕の、好きな人)
夕の照れたような優しい微笑みが目に映りそれが聞き間違いではない事を悟った。
(何だ。好きな人、いるんじゃないか)
ただ静かに立ち尽くしていた。呆然と、夕を見る。
(何だ。それは、良い事だ。好きな人がいるんなら、良かったじゃないか)
動揺を心の奥底に閉じ込めて平静を装った。震えそうになる腕をぎゅっと強く握り締める。
(馬鹿、何ショック受けてんだ。夕が誰かを好きになって幸せになるって言うのなら、それは俺が望んでいた事だろ)
顔を上げると夕と彼女、二人が寄り添い顔を重ねているのが見えた。
ああ、そういう事か。そう納得する自分がいた。
踵を返し静かに足を踏み出す。余計な動きは一切なく、妙に落ち着いていた。部屋まで戻るとまだ湿っている自分の服に着替え直す。
夕と彼女が撮影していた時に感じた胸の突っかかりの正体が分かった。
あの二人をとてもお似合いだと思ったのだ。並んでいて何の違和感もない美男美女。理想的なカップル。――自分とは違う。
やはり夕は異性と付き合った方が幸せになれるだろう。だから、あの人と愛し合っていると言うのなら祝福しない訳がないのだ。
かつて一時でも「好きだ」と言ってくれた夕。けれど男の自分では例え気持ちが通じ合っても苦労する事は目に見えている。
夕はゲイではない。男はやっぱり駄目だと笑っていた。いつまでも気持ちに応えられずにいたから、裏切ったから、傷つけた。男のこの身体では夕を満足させる事だって出来ない。
けれどそれで良かった。そう思うのは自分勝手過ぎると分かっているけれど、もし夕と付き合っていたらもっと彼を苦しめていたかもしれない。
――なんて、こんな事考えたって今更意味はないのに。何を偉そうに。何て滑稽。
(夕が好きだ)
この気持ちは熱にうなされたが故のまやかしでも勘違いでもない。勘違いならばこんなに苦しい気持ちにはきっとならない。
夕の幸せを願いながら自分の首を絞める。
これはきっとこれまで自分がしてきた事の報いだ。
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