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48 嘘つき〈2〉
リュックを見つけ、脱いだ服をその中へ仕舞う。仕事中に倒れたと言っていた気がするが、どうやらリュックも持って来てくれたようだ。
こんな自分にここまでしてくれるなんて夕は本当に良い子だ。思いやりがあって優しくて。
けれどそれは、何も自分が『特別』だからではない。
ベッドを整え、テーブルの上に「ありがとう」と書き置きを残してリュックを背負った。
(借りた服は洗った後送ろう。次いつ会えるか分からないし)
いや、もしかしたらもう会えないかもしれない。今夕とは会おうとしなければ会えない。夕が関東に来ている時だって今までは都合が良かっただけだ。恋人がいるなら当然そちらを優先するだろう。
そう思うと部屋を出て行こうとする足は止まった。最後にもう一度、夕の顔が見たい。少し前の自分なら夕が戻って来るまで待っただろう。直接お礼を言って、そうして帰れば良いのだから。
けど、どうした事だろう。
今度は急に夕と顔を合わせるのが怖くなった。
こんな事初めてだ。矛盾している。自分がどうしたいのか分からない。どうしてしまったのか分からない。
帰ろう、そう扉に手を伸ばすとそれは勝手に動く。
「利人さん? 驚いた……帰るんですか?」
現れた夕の顔を見上げ、利人は目を細めた。胸がじくりと痛い。熱くて、苦しくて、切ない。
愛おしい。
利人は俯き一瞬目を閉じると無理矢理口角を上げた。
「ああ、迷惑掛けてごめんな。熱でぶっ倒れるなんて情けないな。事務所の人今いるか? お礼言いたいんだけどもしいないのならご迷惑お掛けしましたって代わりに言っておいてくれるか? そうだ、水とか冷却シートのお金! それに宿泊費用……」
早口で捲し立てリュックから財布を取り出しお札を抜き出そうとすると財布ごとぐいと押し返される。
「要りません。大した額じゃないですし」
「そういう問題じゃないだろ。そこまで甘える訳にはいかねえよ」
むっと顔を顰めるが、夕は利人の手から財布を取り上げリュックの中へぽいと仕舞ってしまう。
「良いんですよ。俺が働いて稼いだ金を何に使おうと俺の自由でしょ? 今位甘えてください。そうしてくれた方が俺は嬉しい」
柔らかく微笑む夕に思わずどきりと心臓が弾けた。
「馬鹿」
舌打ちをするように小さく呟く。不意打ちだ。そんな言い方はずるい。
(そう言われてしまったらもうこっちが折れるしかないじゃないか)
夕の『甘えてください』と『嬉しい』という言葉に不覚にもときめいてしまった。
「あと帰るならこれ、餞別」
「え、何……重っ」
ずいと押し付けられたビニール袋の中には何やらごちゃごちゃと沢山の物がひしめいている。
開封済みの冷却シートの箱やお茶のペットボトル、総菜パンにおにぎり、ゼリー飲料、プリン、レトルトのおかゆ、カップ麺……ちょっと引く程レパートリー豊富に取り揃えられている。
「餞別っていう量じゃない」
「どれが良いのか分からなかったもので……。折角なので持っていってください」
いやいや悪いからと袋を押し返し、いやいやいや俺の好意を無下になんてしませんよねと微笑みながら圧を掛けられる。仕方がないので夕の朝食分を引いた半分を頂戴する事にした。
「それより身体はもう平気なんですか? 俺、病院ついて行きますよ。熱は……」
夕の大きくてしなやかな手が伸び、思わず身体が強張った。それに気づいたのか、伸びた手はすっと下がっていく。
「全然平気。もう病院行く程じゃないし、ちゃんと一人で帰れるから安心しろよ。この礼も今度改めてするから。本当、ありがとう」
深々と頭を下げたのがいけなかった。
バサバサと頭にぶつかりながら物が落ち青ざめる。あろう事かリュックのチャックを締め忘れていたのだ。
これは恥ずかしい。
「利人さん、やっぱりまだ……」
「ただのうっかりだから心配そうな顔すんのやめろ」
顔を真っ赤にして床に散らばった財布やらノートやらを手早く仕舞っていく。何て締まらない。何て間抜け。
もうさっさと仕舞ってさっさと去ろう。全部リュックに詰めたなと周りをさっと見渡し今度こそチャックを閉めて立ち上がる。けれどその時、夕の手元に何か握られている事に気づいた。
それが何か気づいてぎくりとする。
「利人さん、これ……」
夕から貰った革のブレスレットだ。リュックの内ポケットに入れていた筈のそれも飛び出していたのだろう。どくんと強く心臓が揺さぶられ取り乱す。
「あ、俺仕事中は外してて。この位はつけてても何も言われないと思うけど、洗い物とかあるからつけてたら汚れちゃうだろ? だから……」
「使ってくれていたんですね」
かあ、と顔が赤くなる。
腕を貸してくださいと言われおずおずと腕を伸ばすと、その手に夕のそれが触れどきりとした。腕にはくるくると革紐が巻かれ利人の腕を彩っていく。
「やっぱり思った通りだ」
「え?」
利人の手を取ったまま利人の顔とその手首とを眺め満足そうに頷く夕に利人は思わず見惚れてしまう。
そうしてその顔が俯いたかと思うと、薄い唇がブレスレットにそっと触れた。
一瞬、時が止まったかと思った。
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