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50 連休直前の教室〈1〉

 ゴールデンウィークが間近に迫っていた。大型連休を前に周囲はそわそわと落ち着きがなく、どこに行く何をすると賑わっている。 「ねえ、白岡君は連休どこか行く? あたし達水族館行こうって話してて」  近くの席で連休話に花を咲かせていた女子グループの一人が夕に話し掛けてきた。話を振ってきたのはグループの中心にいる髪を緩く巻いた女子だ。 「水族館か」  市内の海岸近くには大きな水族館がある。夕も子供の頃学校行事で何度か行った事はあるがプライベートで行った事はない。 (利人さんはああいうの好きそうだな)  大して興味はなかったけれど、巨大な青い水槽の前に佇む利人なら見てみたい。  きっと綺麗だと思う。 「そうなの! えっと、良かったら一緒に行かない? 去年改装してすごく綺麗になったらしいよ」  夕は頬杖を突いたままちらりと隣の女子達へ視線を向ける。  一緒にどうですか。そう利人に提案するのはどうだろう。世間はゴールデンウィークだ。利人もこっちへ帰ってくるかもしれない。 「ごめん、連休中は塾があって忙しいから。皆で楽しんできて」  そう告げると彼女達は「そっかあ」とがっかりした様子で肩を落とした。そうして夕もまた視線を机の上へ落とすと静かに溜息を吐く。 「随分悩まし気だな色男」 「うるさいな。鴉取は黙ってろ」  前の席に座っていた藍がくるりと上半身をこちらへ向け椅子の背に腕を置く。出席番号順の席順で良いのに、早々にくじで席替えをさせられた結果前の席が藍になってしまったのだ。 「先週は利人さんに会えるって喜んでたのに。その様子じゃ会えなかったか? だから前もって連絡した方が良いって言ったのに」 「違う。会ったよ。それどころか一つ屋根の下同じ部屋で寝たわ」  マジで、と藍が驚いた様子で目を見開かせる。「ヤった?」と身を乗り出し声を潜める藍に夕は顔を顰めながら口を開いた。 「キスはしたし手も出したけど、最後まではヤってない。利人さん熱があったし」 「うわ、お前病人に手ぇ出すとか……引くわ……」 「色々あったんだよ。いや反省はしてるけど」 「ふうん。で、拒まれたと」  ぐ、と息を詰まらせ顔を顰める夕に藍はふうと溜息を吐く。  線を引かれてしまった。  好きになるな、という線。 『夜の事、忘れるからお前も忘れろ』  それはあんまりだと思った。どうしてそんな事を言うのか。けれど利人にとってはそれ程ショックで忘れたい出来事だったという事だろう。  それでも。 『普通そうだろ』  多分、あれは利人の本心ではない。  俯いたまま告げたその顔は薄っすら笑っていた。冗談めかすように、どこか苦しそうに。  嫌よ嫌よも好きのうち、なんて言葉もあるが恋愛においての『嫌』なんて言葉は特にその言葉の通りとは限らない。夕は女のそういう裏に秘められた言葉を理解するのに長けていた。  けれどそれは冷静に相手の心を覗く事が出来たから成せる事だ。利人の事となると途端に上手くいかなくなる。好きだから、失敗出来ないから、不安が先行して冷静にその心を読み取る事が出来ない。  それでもその時、なぜか分かってしまった。  勘違いかもしれない。利人に拒む気力がなかっただけかもしれない。それでもあの夜、例え僅かでも許された気がした。応えてくれた気がした。  それでも優しい利人が敢えて口にした『拒絶』の言葉。  友人でいたい。恋人にはなれない。そう告げられた気がした。  けれど引っ掛かるのは一方的に嫌われたっておかしくない状況でありながら利人に何度も謝られた事だ。まるで自分のせいみたいに。  あの時もそうだった。父が死んで利人を無理矢理犯した事だって「お前は悪くない、悪いのは俺だ」とすべての責任を背負おうとした。夕を傷つけたのは自分だからと自分を責めていた。  自分がもっとしっかりしていれば利人をそこまで気負いさせずに済んだのだろうか。 (けど、なら今回はどうして)  倒れた事で迷惑を掛けたから?  勃起した事が恥ずかしくて? (それにしては、何か雰囲気が……)  別に何か重要な理由があるように感じるのは気のせいだろうか。もやりと灰色の不完全な塊が腹の下で重くとぐろを巻く。 「聞いてる?」  不意に不機嫌そうな藍が顔を覗き込んできて夕ははっと我に返った。何、と言うと藍はふうと息を吐いて大きな青みがかった瞳を持ち上げる。 「もう諦めたら、って言ってんの」 「まだ振られたと決まった訳じゃない。誰が諦めるか」 「懲りないね」  やれやれと肩を竦める藍に夕は「何とでも言え」とばかりに無言で鞄の中から教科書とノートを取り出す。それを見て藍も同じように勉強道具を出すと席を立ちお互い何も言わないまま教室を出ていく。次は移動教室だ。 「利人さん熱があったって言ってたけど、熱がなけりゃ最後までシてたって事?」 「まあ、そういう可能性もあったな」 「ふうん……つまり拒まれたって言っても、途中までは良かったのか」  若干強引ではあったけれど、それは夕の願うところだ。藍は成程とひとり呟くと「ああ、そうか」と突然顔を上げた。 「利人さんがどういうつもりなのか分かったぞ」 「え?」

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