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57 海

 広くて綺麗な美術館を堪能した利人は羽月に家の近くまで送ってもらいのんびり歩きながら家に辿り着く。すると丁度伊里乃が庭先で飼い犬と戯れていた。 「伊里乃ー! たっだいま!」  土産袋を下げた手を広げ満面の笑みで駆け寄ると伊里乃は「あら、りー兄お帰り」と淡々と紡ぎ抱擁しようとする兄の肩を軽く押してあしらう。 「冷たい」 「いや春休みにも会ったし。ていうか今回ちょっとしかいないんでしょ? 別に来る事なかったんじゃないの」 「そんな寂しい事言うなよ……」  しょんぼりと肩を落とす利人に伊里乃はあははと笑う。  高校生だった伊里乃も今年から大学生だ。今はパーカーにショートパンツとラフな格好だが伸びた髪の毛は緩く巻かれ軽く化粧もしている。もう大人なんだなあと利人は驚くと共に少し寂しくなるのだった。 「伊里乃、可愛いね」 「……うるさい」  ぽんと頭を撫でると伊里乃は気恥ずかしそうに唇を尖らせぷいとそっぽを向く。利人はふふと頬を緩ませると、荷物を置き犬の散歩に行くという伊里乃について行く事にした。 「待って番長、速い速い」  砂浜を無邪気に駆け回る犬をリードで繋いだ伊里乃が追い掛ける。  今日は天気が良く潮の香りを含んだ風も心地良い。他に誰もいない砂浜を歩きながら利人は目を細めて太陽の光の反射する海を眺めた。  真っ先に思い出すのは冬の冷たい海。そして夏の暑い海。――どちらも夕と過ごした海だ。  ポケットからスマートフォンを取り出して画像欄を開く。陽葵と並んだ夕の画像を見て、つ、と指先で画面を撫でた。 「会いたい、な」  ぽつりとか細く呟かれた声は波の音にかき消される。  駅で夕と別れてから一週間程経っただろうか。本来ならこの連休は店のバイトが入っている事もあり帰省するつもりはなかったのだが、急にシフトを変わってもらった礼にと達也が入ってくれる事になったのだ。  気分転換もしたかったし、二泊だけ帰ろうと決めてから何度か夕に連絡を試みた。借りていた服を返したかったし、迷惑を掛けたお詫びもしたい。それなのにずっと連絡が取れずにいる。  本当ならあの日寮に帰った時に一言メールでもすれば良かったのだけど、心身の不調でそんな余裕は一切なかった。回復してやっと気が回せるようになっても、中々タイミングが掴めず結局今日まで来てしまったのだ。夕と再会してから一週間も音信が途絶えるのは初めての事だった。  自分から話し掛ける勇気を持てずに殻に閉じ籠っていた癖に夕からの連絡もない事に落胆する。  時が経てば経つ程連絡しづらくなるものだ。嫌われただろうか呆れられただろうかという考えが頭を過ぎる度頭を振り払う。連絡がないのはたまたまだ。ずっとしていたような他愛もない会話を続けていられる筈がない。  それでもやっぱり呆れられても仕方ないと思う自分もいて。 (楽しいって、言ってくれたけど。もう今までみたいに気軽に話せないのかな。出来れば会って、顔を見て、今すぐにだって)  今頃夕は利人の心配を他所に普通に彼の一日を過ごしているのだろう。仕事をしているかもしれないし、学校の友人と遊んでいるかもしれないし、彼女と会っているかもしれない。  けれどもしかしたら、家にひとりでいるかもしれないじゃないか。  そう思うといても立ってもいられず先を歩く伊里乃の名前を叫んでいた。 「ごめん、俺行かなきゃ」  今動かなければ、後悔してしまう気がした。  今会いに行かなければ――夕との関係を、失ってしまわない為に。  利人は走った。砂を蹴って、息を切らして駆けていく。 (電話に出ない。出掛けてるのか?)  応答のないスマートフォンを手に下げ利人は家に着いた。もしかしたら急に会える事になるかもしれないと思って持ってきていた夕の服と菓子折り。約束も取り付けていないのに準備だけはしていた自分に思わず苦笑いが零れる。 「よし」  ぐいと汗を拭い紙袋の取手を握り締める。  会えない確率の方がずっと高い。正直何やってんだと自分でも思う。  けれどどうした事か、この状況を楽しんでいる自分がいた。

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