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67 遭遇
「あ、やっぱり利人君だ。奇遇だね、こんなとこで何してんの?」
「なっ、那智?」
瞠目して目の前に立つ那智を凝視する。何してる、なんてこっちの台詞だ。
那智とはノートの一件以来話していない。大学で顔を見る事はあるがそれまでのように那智から話し掛けてくる事はなく、正直あまり関わりたくない相手なだけにほっとしていた。
「那智こそ、どうしてここに」
「俺は仲間と遊びに。めぐちゃんの車で今来たとこ」
那智の背後には見覚えのある車が停まっていてどきりとする。
がちゃ、と運転席の扉が開かれ寝起きのような無造作な黒髪が頭を覗かせた。
どくん、どくん、どくん。
無意識に身体が強張る。
「やあ、元気そうだね」
「……どうも」
相変わらず前髪で目元が隠れ表情の読みにくい顔をしている。気さくに話し掛けてくる後藤に利人は軽く頭を下げた。
「何、ひとりでサイクリング? 若者は健康的で良いなあ。……あれ? それパンクしてない?」
大股で近づいて来て前輪の前でしゃがみ込んだ後藤に利人はぎくりと肩を揺らした。
ああ成程それで、と那智も納得したように頷く。自転車を引いて坂道を登る姿はそんなに奇妙だったのだろうか。
(あまりこの人達と居たくないな)
那智が、それ以上に後藤が苦手だ。
さっさとこの場を去ろう、そう思い口を開き掛けた時後藤の言葉がそれを遮った。
「雀谷君、どこまで行くつもりだったの?」
「えっと、すぐそこの湖畔の南駐車場までですけど」
利人がそう言うと、後藤は頭を少し上げてああと間の抜けた声を出す。
「あそこかあ。それなら歩いていくにはちょっと大変だろ。うちの車乗っていきなよ、送るよ?」
後藤はそう言いながらひょいと自転車を持ち上げる。利人は慌てて自転車の車輪を掴み自分の身体に引き寄せるようにして後藤を引き留めた。
「いいです、全然平気ですから。そこまでしていただく距離じゃないですし」
「そんな遠慮しないで。それにこの前僕雀谷君に失礼な事言っちゃっただろ? 悪い事したなってあれから反省したんだよ。そのお礼だと思ってくれたら良いからさ」
それなら良いだろ、と後藤の厚い前髪の隙間から穏やかな目元が覗く。
(あれ。何か、思ったより普通だ)
後藤に抱いていた畏怖ががらりと崩れる。まだ完全に警戒が抜けた訳ではないけれど、後藤の見せる人間みのある顔に毒気を抜かされた。
そもそも後藤の素顔なんて知らず、彼の事を知っているとはとても言い難い。彼に不信感を抱いたのだって自分の敏感な場所を突かれたからだ。思えば彼は事実を、自分が思った事をただ口にしただけに過ぎない。
加えて不審者のようなこの見た目だ。余計に恐れてしまったのかもしれない。自分の弱さの為に過剰に警戒して、わざわざ親切にしてくれている彼の手を振り払うのは失礼な事のように思えた。
「じゃあ……すみませんが、お願いします」
まだ少し怖いけれど、きっと後藤は自分が思う程嫌な人間ではない。
利人君に何言ったんだよ。いやいや内緒。なんて那智と後藤がやり取りをしているのを薄ら聞きながら自転車を乗せた車は発進する。
「それで、利人君は誰と来てたの? 大学の友達?」
「ああ、同じ寮生の友達と一緒に。……あと、夕と」
「マジ? ユウがいんの?」
助手席に座る那智は細い目を開いて振り返り、構える利人の顔を見ると席に深く座り直してははあと意味深に頷いた。
「ユウがこっち来ないってんで楓が残念そうにしてたけど、成程そういう事か。あ、楓ってモデル仲間な」
那智の口から飛び出す『楓』という言葉にぴくりと眉を動かす。珍しい名前ではないが、きっとあの彼女だろう。
「こっちってどういう意味だ? 那智は後藤さんと遊びに来た訳じゃないのか」
「まさか、めぐちゃんと二人きりで旅行なんてむさ苦しい。他の面子は新幹線で来て後で合流するんだ。しかし奇遇だよなあ、ただの週末なのに旅行が被るなんてさ」
どきりとする。そう、今日は何の変哲もないただの週末で行楽地の繁盛期でもない。そんな日に知り合いと旅行先で遭遇するなんて中々ある事ではない。
もしそれが本当に偶然なのだとしたら、だけれど。
「やっぱり夕と楓さんが示し合わせてこの日程に……」
「は? 何それ、何であの二人がわざわざそんな事すんの?」
ぽろりと零れた利人の言葉を那智がすかさず拾う。
もしかして那智は知らないのだろうか。秘密の関係なのかも――そんな考えが頭を過ぎり、黙り込んだ利人を那智が急き立てる。
「気になるじゃん、言ってよ。誰にも言わないからさ」
ここに夕がいたならば那智の「誰にも言わない」なんて言葉は信じなかっただろうが、那智の事をまだよく知らずまたずっとこの疑問を燻ぶらせていた利人はもどかしくも結局唇を開いた。
「だってあの二人、付き合ってるんだろ?」
恐る恐る紡がれたその言葉を静寂が包む。すると次の瞬間、弾けたように那智の笑い声が車内に響いた。
え、と戸惑う利人を他所に那智は腹を抱えて笑い、ハンドルを握る後藤も笑うのを堪えるように小さく噴き出す。
「ウケる、それ本人がそう言ったの? マジ笑えんだけど」
目に涙さえ浮かべて身体を震わせる那智の様子に利人は呆気に取られた。
馬鹿にされているようで途端に恥ずかしくなる。
「ち、違うけど。けどそんなに笑う事か?」
「じゃあ本人に聞いてみる?」
はー可笑しい、とやっと落ち着いた那智はそう言うなりスマートフォンを取り出して耳に当てた。相手が出たのか、薄い唇が「楓?」と紡ぐ。やり取りは短く、一分も話さないうちに那智は耳からスマートフォンを離した。
「めぐちゃん、行き先変更。――利人君、」
首を捻らせ振り向く那智はにんまりと唇を弓なりに曲げる。
え、と利人は目をぱちぱちと瞬かせた。
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