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68 奇妙な関係

 それから二十分程後藤の車に揺らされ着いたそこは白壁に黒の屋根瓦が映える洒落た喫茶店だった。  那智、後藤と共に店内に入り、ずんずんと進んでいく那智について行き瞠目する。  そこにいるのは件の白取楓。――そして、賀茂居リカ。 「賀茂居さん⁉ どうして……あっ、そっか従姉なんだっけ」 「那智の従姉だから居るんじゃない。本当は来るつもりなんてなかったし」  むすりと小さな唇を尖らせるリカに利人は閉口する。どうやらこの問い掛けは失敗だったらしい。  二人掛けの小さなテーブル席が細い通路を挟んで並んでいて、那智に誘われるまま利人はリカと楓の隣のテーブル席へ、そのまた隣のテーブル席には後藤がつく。 (何だこの取り合わせ)  右を見れば夕の彼女と思しき人気モデルと研究室の同期、正面には非常識な後輩、左には白岡の知人であるカメラマン。  親しい友人同士でのんびり旅行に来ただけのつもりが、一体どうしてこんな事になってしまったのか。店員が運んできたカフェオレに角砂糖を落としぐるぐると掻き混ぜながら利人は居心地の悪さを飲み込んだ。 「リカはあたしが誘ったんです。あたしの他の友達もいるから嫌だって言われたんだけど、どうしても一緒に来たかったからちょっと強引に。――雀谷さんですよね? 初めまして、白取楓です」  サングラスを外しにこりと笑い掛けてくる楓に利人は思わず時が止まったかのように見入った。はっと我に帰るとどうもと慌てて頭を下げる。  驚いた。楓をこんなに近くで見るのは初めてだが、本当に美人なのだ。   いや、美人だと分かってはいたけれど。至近距離で見る楓は世界にはこんなに美しい人がいるのかと目を疑う程綺麗で圧倒される。  まるで見る者すべてを魅了する大輪の花だ。 「楓、利人君が楓とユウ付き合ってんだろって」  唐突に那智の口から本題がぶつけられ利人は思わずカフェオレを吹き出しそうになった。  おい、と那智を軽く睨みつけるが那智は楽し気ににやにやと顔を緩ませているだけだ。楓のきょとんと大きくなった瞳を向けられ利人は恥ずかしさで思わず視線を逸らす。 「やだ、違いますよ。ユウはただの友達。誰がそんな根も葉もない事言ったんですか?」  楓はくすくすと口元にオレンジや赤のネイルが塗られた指先を翳す。あまりにも呆気なく否定され利人はぽかんと口を開けた。 (嘘。彼女じゃない?)  強張っていた肩からするりと力が抜けていく。 (いや、でも。本当にその通りかなんて) 「それにあたし、可愛い恋人がいるもの」  うふ、と幸せそうに楓が微笑み利人は面食らう。  その時ふと視界に那智が映り息を飲んだ。凍りつくような鋭い視線。見た事のない那智の冷めた瞳に、その視線を受けていない利人までもが硬直する。  その視線は彼の斜め向かいへ。そこにいるのは――楓だ。  再び那智へ視線を戻すとぱちりと目が合い小さく心臓が跳ねる。けれどそこにいるのはいつもと変わらず捉えどころのない微笑みを浮かべた那智の姿で、彼はほらねと言いたげに唇を曲げコーヒーカップを傾けた。  利人が見た那智の瞳は一瞬。ただの気のせいだったのだろうか。  何はともあれようやく真実を受け止めた利人はほっと胸を撫で下ろした。相手がいるのなら益々ただの勘違いという可能性が高い。  そうして安堵して、そんな自分にがっかりする。 (俺、現金だ)  夕との未来を望んでいない癖に恋人がいない事に安堵する。こんな事、いつまでも続く筈ないのに。  けど、ならどうして夕はあの時怒ったのだろう。楓が恋人でないなら夕は何に怒った?  そもそも、恋人じゃないからといって夕の心の中までは分からない。夕が楓に想いを寄せていない証拠なんて何もないのだ。  夕に好きな人がいるという事実は否定されていないのだから。 「じゃあ疑いが晴れたところでテーブル移動しよっか」  那智が椅子から立ち上がり利人ははっと顔を上げる。 「何、内緒の話?」 「そんなとこ。それにリカのけったいな顔見てたらコーヒーが不味くなっちまう」  楓が声を弾ませて言うと、那智はちらりと横目でリカを捕えながらふっと鼻で笑った。対するリカも冷ややかな視線を那智へ向けふいとそっぽを向く。  気まずい。  何だ、この不穏な空気は。 「あの二人、仲悪いんだ。昔からずっとあんな感じ」  利人だけに聞こえるよう後藤がひそりと言葉を添える。そういえばいつしか大学で那智といる時にリカと鉢合わせになった時も親戚とは思い難い冷めた反応だった。那智がリカの容姿を悪く言っていた事もある。  犬猿の仲、といったところだろうか。  さあ行こう、と立ち上がる後藤に続いて利人も席を立つと、楓とリカに別れを告げて席を離れた。  喫茶店の奥まで進むと仕切りで隔離されたテーブル席があり、ここにしようと座る那智に続いて利人と後藤もコーヒーカップの乗ったトレイを片手に席に座る。 「で、どうして利人君はユウと楓が付き合ってると思った訳?」  ずいと身を乗り出す那智に比例するように身体を引く。言うのやだなあ、と思いながらも利人は渋々口を開いた。 「聞こえたんだ。夕、好きな人がいるって。それにあの二人、その、キスしてたから。そういう事かって……」  楓達がいる時にこの話を振られなくて良かった。こんな事、とても楓本人の前では言えない。 利人の告白に那智と後藤は互いに目を見合わせ、二人の視線が利人へと向けられた。 「マジで?」 「雀谷君、本当にあの二人がキスしてるとこ見た?」  矢継ぎ早に那智と後藤に責め立てられ利人はうっと顰蹙する。 「ちゃんと見てはいない、けど。でもそういう風に見えたんです」 「信憑性ないなあ。それ本当だったら面白いけど」  那智が頬杖をついて気怠そうにコーヒーカップの縁を指で撫でていると、こらと後藤が窘める。 「それが事実だとしても楓ちゃんはユウとどうこうなんてつもりないんじゃない? ここだけの話、楓ちゃんの恋人ってリカちゃんなんだよね」  内緒だよ、と唇の前で人差し指を立てる後藤に利人はえっと目を見開かせる。 「あの賀茂居さん?」 「そうあの賀茂居リカちゃん。俺から聞いたなんて言わないでくれよ、リカちゃんそういうの知られるの嫌がるから」  それはそうだろう。同性同士の恋愛は一般的な異性とのそれより慎重にならざるを得ない。  そしてそれは決して他人事ではないのだ。 「楓はリカと違って男もいけるだろ。えー、こじれたら良いのに」 「那智はそうやってすぐ邪魔しようとする。いい加減認めてやれば」  那智はふんと唇を尖らせ不機嫌そうに残りのコーヒーを喉に流し込む。後藤は肩を竦め、前髪の隙間から利人と目が合うとふっと苦笑いを浮かべた。  那智にリカ、そして楓。  何かがちぐはぐな気がした。那智はリカと楓の仲を引き裂こうとしている。何が気に入らないのだろう。リカの事が嫌いだから? それとも、偏見?  厚い靄に包まれた三人の不思議な関係が妙に気になった。  そうしてひとつの可能性がちらりと頭に浮かぶ。 「那智って……」  ぼんやりとカフェオレを覗き込みながら何気なく口にする。それは半分無意識で、その言葉が那智の感情を逆撫でする事になるなんて思いもしない。

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