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72 鮮やかな赤が落ちる〈1〉

「雀谷君ってすごくお酒弱い?」 「や、弱い方だとは思いますけどいつもはこんなには」  やっぱり酔っているのだろうか。ふらついたりはしていないつもりだが、そういえば自分は顔に出やすいのだ。 「ああいう強い酒慣れてないんじゃない?」 「すみません、撮ってもらってるのに。俺顔赤くないですか?」 「ちょっとだけね。けど全然良いよ、むしろ火照って瞳が潤んですごくセクシーだ。雀谷君って髪だけじゃなく瞳も赤っぽいんだね。情熱的で良いなあ」  こっちじっと見てくれる、と言われてカメラのレンズへ視線を向ける。  カメラマンという職業柄褒めるのが上手なのだろうか。お世辞だとしても悪い気分にはならない。嬉しい、というよりこそばゆいような、不思議な心地がした。 「どれ? 本当だ、ちょっと赤い」 「うわ」  いつの間に近づいていたのか、急に背後から現れた那智の顔がぬっと接近する。思わず小さく叫んだ。 「那智、早い……いやそのまま入っちゃって」 「はーい」  那智の手首まで覆われた白く長い袖がぬっと伸び首へ回される。後ろから抱きつかれたような体勢になると顔が近いせいかアルコールの匂いを強く感じた。 (あ、また、この匂い)  くらり、甘い匂いに酔う。  那智の細い指先が利人の首元を伝い、襟の中へ指が潜る。 「……っ」  くすぐったい。  那智の淫靡な触れ方に身体が動揺する。 「やっぱり雀谷君に黒着てもらって正解だったな。那智、そのままリードして」  くすりと那智の唇から笑みが零れて顎をくいと上向かせられる。顔が近づく。唇が――。 「キス、されると思った?」  咄嗟に自分の口を手で覆った利人を那智は目を細く開いて笑う。  ぞくり。  何だろう。怖い。 (……気持ち悪い)  心のうちを覗き込もうとするかのような深く暗い瞳に吸い寄せられる。 「処女みたい。変なの」  どしん、とソファの背凭れを跨いで那智が乗り上げてくる。体重を掛けて押し倒され身体がソファの上に倒れた。急に回る視界と衝撃にくらりと眩暈を起こす。  すると、かしゃん、と金属がぶつかるような音がした。  何の音――頭をもたげ、視界に飛び込んだ異物に顔が凍りつく。 「な、何」 「見ての通り手錠だよ。なあに、ただの撮影の小道具さ」  めぐちゃんの道具箱には色んな物が入っているからね、と那智は利人の腹の上に乗ったまま満足気に首をこてんと傾ける。  眼前では利人の両腕に銀色の輪が嵌められその間を短いチェーンが繋いでいる。急にこんな拘束を受けて動じない訳がない。 「ご、後藤さん⁈」 「僕は何も言ってないよ? 那智、勝手に僕の荷物漁るんじゃないよ。けどそれはそれで面白そうだからこのままでいこう」  カシャカシャとシャッターを切る後藤に利人は項垂れる。面白そうだから、ではない。  那智が利人の手首を掴み頭上へ押し付ける。これでは本当に捕われたようだ。いくら撮影だとはいえ、合意もなしに行われる強引な那智のやり方に不快感が過ぎる。 「那智、俺こういうのは好きじゃない。もう外してくれないか?」 「やだね」 「那智」  べ、と舌を出す那智に利人は咎めるように強く那智の名前を呼ぶ。すると拘束された手首にきつく爪を立てられ顔を歪めた。 「俺、あんたみたいな人間大嫌いなんだ」  耳元に低く囁かれる。  覆い被さるように利人の頭の両側に手を突いて、那智は細い目を薄く開いた。 「良い子ちゃんで、正しくて、青臭くて――あんた見てると苛々するよ」  影になって那智の顔が暗く瞳に映る。それでもその表情はよく見える。  落ち着いた声。表情。けれどそこには、隠された怒りが滲んでいる。  その事に、ようやく気付いた。 「偉そうに。何も知らない癖に」  その時、那智の声が乱れた。にこにこと何を考えているのか分からないような顔をしていた那智が見せる明らかな侮蔑の表情。苛立ち。――嫌悪。 「本当は利人君に近づくなって言われてるんだけど、車に乗せたのはめぐちゃんだしここに来たのも利人君の意志だから約束を破った事にはならないよね」 「何の話……」  那智の言葉の意味が分からず眉を顰めると、やっと那智が離れたかと思いきやシャツの裾を捲り上げられきつく皮膚を吸われた。 「那智⁈」  じゅ、と痛みが走る。一度口を離されたものの今度は歯を立てて噛みつかれた。あまりの痛みに身体が跳ね、無意識に那智を蹴り落そうとするも足を掴まれ再び体重を掛けて押さえ込まれる。酔って身体が弛緩しているのか思うように力が入らない。ガチャガチャと力任せに手錠を外そうとしたがそれもまた叶わない。  利人の脇腹には鮮やかな赤い痕と歯形が痛々しい程くっきりと残っていた。 「那智、あまり乱暴な事はするな」 「とか言いながらばっちり撮ってる癖に」  窘める後藤を那智は面白そうににやにやと唇を弓なりにしてほくそ笑む。 「ちょっとめぐちゃんと仲良くなったみたいだけど、助けを求めようったって無駄だよ。撮影に集中してる時のめぐちゃんはわざわざ中止になんかしないから。逆を言えばめぐちゃんの求めるものが撮れてるって事だから、それは喜ばしいんじゃない?」  声を潜めながら那智はそう口にし、利人が暴れないよう頭上で手首を押し付けながら自らがつけた歯形を指先でなぞる。  不快、だ。  爪がちくちくと肌を刺す。後藤からはきっと見えていない。歯形の上からぐっと思い切り爪を立てられ歯を食いしばった。  何故こんな仕打ちを受けているのだろう。  豹変した那智の態度に利人は戸惑っていた。どうして急に――そう思ったその時、ふと頭に浮かんだのは後藤の言葉。

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