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76 闇夜を駆ける〈1〉

「ああ、やっぱり夕君に彼女がいるってリイの勘違いだったんだ」  そうなんじゃないかと思った、と沙桃はけろりとした声で言う。自転車を返却し、ペンションへ戻る車内での事だ。  利人に逃げられた夕は上手い事撒かれてしまい、結局湖畔の周りを何周もしてその周辺にも足を伸ばしたものの結局利人を見つける事は出来なかった。  それでも集合時間には間違いなく利人はいると思っていたのに、そこにも彼の姿はなかった。利人から連絡があったと沙桃に聞かされた時には更に気が重くなる。偶然かもしれないけれど、避けられているのではないかとつい不安になった。 「本当にキスしてねえの? その女と」 「する訳ないじゃないですか。利人さん、一言言ってくれたら良かったのに」  樹の言葉に夕は強く反論し溜息を零す。  利人が誤解に至った経緯は沙桃と樹から聞いた。この気持ちが本当に伝わっていなかった事に呆れるやらほっとするやら、いや、こうなるなら気づかれていた方が良かったのだろう。 「リイは自分の事となると鈍いんだね。僕は今日初めて夕君に会ったけど、リイ以外眼中にないってすぐ分かったよ。僕の事も警戒してたんじゃない?」  全くもってその通り。控えめに「少しだけ」と答えると、沙桃は「安心しなよ」と笑った。僕はいっくん一筋だからね、と口にするその顔は誇らしげだ。対する樹は助手席でつんと澄ましているが、それも二人の仲の良さを物語っているようで何だか羨ましくなる。  それから夕達はペンションに着き各々ロビーでコーヒーを飲んだり部屋で寛いだりしていたが、日が傾き空が暗くなっても一向に利人が帰ってくる気配はない。  六時までには帰る、もしくは連絡を入れる。沙桃に届いたメールにはそうあったが、もう時計の針はその時間をとうに過ぎもうすぐ七時になろうとしていた。心配になって電話を掛けるも、電源が切れているのか電波が届かないのか何度掛けても繋がらない。  どくり、どくり。不安が忍び寄りぎゅうと拳をきつく握り締める。  胸騒ぎがした。 行き先は告げられていない。どこに行くとも、誰に会うとも聞かされていない。 (利人さんの身に何か起きた?)  何もないのならいい。けれどもし、事件や事故に巻き込まれでもしていたら。  ぞくり、と悪寒が走る。 「楓さん? 突然すみません、聞きたい事があるんですけど」  楓は利人の顔を知っている。少しでも手掛かりがないかと藁にも縋る思いで楓に電話した。  すると思い掛けない返事が返ってくる。 『雀谷さんなら会ったわよ。那智と来たから』  その言葉を聞いて凍りついた。 (利人さんが那智といた? どうして。なら今もあの二人は一緒なのか?)  嫌な予感しかしない。話が盛り上がってついこんな時間に――なんて気は全くしない。 (あの野郎、利人さんには関わるなって言ったのに)  那智の電話番号を聞き出し険しい顔つきで教えられた番号を入力する。たっぷりとコール音が鳴った後、誰、と一言低い声が耳元に届いた。  名前を言うと、少しの間の後くすりと小さく嗤ったような声。 『来ると思った。言っとくけど未遂だからな。本当にヤんないし』  ――未遂?  話の見えない那智の言葉に夕は眉を顰めた。何の話だと聞き返すと、那智は恍けるなよと自嘲した。 『利人君から撮影の話聞いただろ。全部演出だよ演出。お前もモデルなら分かるだろ? まあ、ちょっと無理矢理だったのは認めるけど』  無理矢理、という言葉に戦慄する。  撮影、演出――未遂。  それが示す事は。 「利人さんはまだ帰ってない。電話も通じない――利人さんを出せ。そこにいるんだろ」  身体の中からどろどろとした感情が湧き上がる。  がたがたと蓋が揺れる。もう、溢れる。 「あんた、あの人に何をした」  頭が沸騰してどうにかなってしまいそうだ。 『利人君が帰ってない……?』  か細く揺れる那智の声。するとそこで声が変わった。大人の男の声。カメラマンの後藤だと名乗るその男を夕は記憶の片隅で思い出す。  そして事の成り行きを後藤から聞いた夕は、血相を変えて沙桃と共に那智と後藤のいるコテージへ向かった。

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