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77 闇夜を駆ける〈2〉

「これは……」  パソコンに表示された写真画像を前に沙桃は眉を顰めて呟き、夕は言葉を失い立ち尽くす。 (何だ、これは)  途中まではごく普通の自然体な利人が写された写真だった。けれど場面が変わってから雰囲気ががらりと変わる。頬を火照らせ瞳を潤ませた利人。そこへ怪しく手を絡ませる那智。手錠。利人の苦悶の表情。  アブノーマルで倒錯的な怪しい色香が漂う。  それはまるで、  ――まるで。 「リイに、彼に無理強いしたんですか」 「撮影自体は合意だよ。彼は自分でついてきた。だけど、那智がちょっと悪ふざけしちゃったんだよね」  沙桃の問い掛けに後藤は肩を竦めてやれやれと両手を広げてみせる。 「けど安心して、写真以上の事はしてないから。流石にレイプなんてしようものなら止めてたし」 「当たり前だ」  後藤の言葉に食い込んで夕の低い声が重なる。それを合図に怒りが全身から溢れようとしていた。  わなわなと身体が震える。してないなら、それで良いとでも言うのか。 (違うだろ)  あの写真はまるで、強姦そのものだった。 「那智、お前、よくも」  血が滲みそうな程の力を瞳に込めて奥に立っている那智を睨みつけた。そして言葉を吐き出し切らないうちに床を蹴り容赦なく那智の顔を殴り飛ばす。夕より細いその身体は簡単に弾き飛ばされ、壁にどんと身体を打ちつけ崩れ落ちた。 「いっ……つぅ……。顔殴るかよ、馬鹿力」 「夕君落ち着いて!」  更に那智に掴み掛かろうとして沙桃に腕を掴まれる。けれど一度殴った位では腹の中の怒りは収まらない。 「離してください。許さない。この男は、利人さんを辱めた」 「だからヤってないって。まあ、それも面白そうだとは思ったけど」  カッと頭に血が上り腕を振り上げる。それを沙桃が力づくで押さえた。 「こんな事してる場合じゃないでしょ。早くリイを探しに行かないと」  はっとして拳を下ろす。そうだ。依然利人の行方は知れない。  後藤の話によると利人と別れた後恐らく彼は付近の山の中に入って行ったらしいが、先程後藤が見に行った時には利人の姿はなかったらしい。  利人がペンションに帰った時の為に樹に留守番をさせているが、まだそれらしい連絡もない。 「探しに行く」  踵を返し外へ出ようとする利人に後藤の声が追い掛ける。 「僕も手伝うよ。元はと言えばこっちの責任でもあるんだし。しっかり歩いてたから忘れてたけど、彼那智に酒飲まされて結構キてたんだよな」 「ちょっ……あんた達何してくれてんだ。そんな利人さんを一人で帰したのか」 「耳が痛いね」  緊急事態だというのにのんびりとした後藤の口調に苛立ちが込み上がる。夕は舌打ちをすると早足でコテージを出た。 「夕君、僕あっちの方探してみる」 「お願いします。俺はこっちを」  互いに頷き合い左右の道へ分かれる。夕は後藤と共に撮影地点をさらい始めた。  直接的に利人に手を出した那智だけでなく、それを止めずに挙句写真に収めていた後藤の事も勿論許してはいない。それでも、今は利人を探し出す事が最優先だ。  ペンションから持ってきた懐中電灯を点け辺りを照らす。真っ暗な中、利人が凍えているかもしれないと思うと胸が締め付けられた。  否、最悪の事態の可能性だって。  その時、懐中電灯の光の中何かが落ちている事に気づいた。光物でもなければ大きなものでもない地面と同化した小さな物。どうしてそれが気になったのか、夕は吸い寄せられるようにそれを手に取った。  細い革の紐。金具のついたそれを握る夕に衝撃が走った。 「――利人さん」  脳裏に描かれるは美しいキャメル。利人の手首を彩っていた筈のそれは無残にも泥で汚れ見る影もない。  願わくば間違いであってほしい。けれどこれが無関係の物だと言うにはあまりにも似過ぎていた。  暗い闇の中冷たく横たわる利人の姿が一瞬脳裏を過ぎり、すぐにそれを掻き消す。夕は左手に革紐を強く握り締めて草木の覆い茂る先を睨みつけた。 「それ、雀谷君のブレスレット?」  後藤が近寄り夕の掌を覗き込む。するとその唇が、そうかとぽつりと呟いた。 「彼、見つけられなかったんだ。雀谷君が必死になって探してたの、それだよ」  後藤の指が夕の手の中の革紐をさす。  落とし物を探していた、としか聞かされていない。  まさかそれがこれだなんて――そんな事、聞いていない。 「大事な物なんだって。それ……?」 「俺が利人さんに贈った物です」  どうして、もっと優しく出来ないんだろう。  こんな事ならあの時行かせなければ良かった。喧嘩なんてしなければ良かった。 (利人さん)  貴方がいさえすれば、他にはもう何も要らないのに。 「ここが撮影の折り返し地点。ここで引き返したんだ」  大きな岩のある場所に着くと数歩先が低い崖になっている事に気づく。その先は川だ。 (まさか)  どく、どくと心臓が鳴る。額を汗が伝う。  懐中電灯の光をよく当ててみると、崩れたような跡。 「利人さん!」  しん、と返ってくる声はない。注意深く崖の下を覗き込むが、そこには利人の姿も彼の痕跡も見当たらない。  けれど。 「落ちた可能性はないとは言えないな」  後藤の言葉が冷たい風に乗って汗を攫う。    月は雲に隠れ闇はどんどん深まっていく。街灯から離れたそこはもう真っ暗闇だ。  麓の方まで探しに行くと言う後藤と別れ夕は山に残った。どんどん寒さが増していく。懐中電灯を四方へ照らし、声を張り上げ死に物狂いで利人を探した。  合流した沙桃は眉を寄せて首を横に振る。まだ利人は見つからない。沙桃は交番へ向かい、夕は再び山の中、川沿いを重点的に捜索した。木の枝や葉に引っ掛かってひとつふたつと増えていく傷も厭わない。 「利人さん、お願いです、出てきて」 思いきり抱き締めたい。  彼の温かい体温を感じたい。  どうか、どうか――。  強く願う。  厚い雲の隙間から、月明かりが差し込んだ。

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