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【番外編1】初夏、白岡邸にて

=第1部10話「蛙の子は蛙〈5〉」の裏の話(霞視点)=  白岡霞は西陵大学で日本思想史を専門としている教授だ。  家族は何年経っても齢を取らない美しい妻と成績優秀で品行方正な一人息子。  人に羨ましがられる事も多く、良いでしょう羨ましいでしょうと顔を緩める事もしばしばだ。  けれど如何せんこの男、何とも性質が悪い。  きっと一番悪いのは教え子に手を出した事だろうか。  春に新しく研究室に配属となった二年生、雀谷利人。  飛び抜けて頭が良い訳でも容姿が良い訳でもない、ごく普通の青年だ。ただ一生懸命で勉強もアルバイトも両立させようと頑張っている感心な子だ。  そんな二十歳そこそこで初心さのあるその青年を霞は食べた。  衝動的に、とは言い訳が出来ない程の計画性を持って。  否、言い訳をするつもりもないのだけれど、驚くべき事に殆ど強姦だったそれを霞は許されてしまった。  否、否。許した、とは言われなかったかもしれない。けれど結局は同じようなものだ。もう二度はない、ないですからねと突っぱねながらも結局あれよあれよと霞の口車に乗せられて何度も身体を重ねる羽目になっている。  人を中々拒絶出来ない子なのだ。  霞が完全に悪者だったならば彼も対抗したかもしれないが、彼の中には引け目や情や色んな枷が複雑に絡みついている。 (可哀想な子だなあ)  他人事のようにそんな事を思い霞は家の廊下を歩く。  今日は利人を霞の実家に招いての食事会を開いた。その中で利人を息子の家庭教師にと提案し、今彼は息子の部屋にいる。  息子の夕はぴっと姿勢が良く気遣いも出来る本当によく出来た子だ。その振る舞いは親の前でも変わらず、身内に見せるような気易い面も見せるようでいて、少しも内側を晒さない。  目上の人間に対してきちりとした姿勢を崩さない夕の事、利人に対してどんな接し方をしているのかも見当がつく。  ただそれは霞が見ている範囲内での話だ。  一体二人はどんな会話をしているのだろう。案外打ち解けて賑やかに話をしているかもしれない。  風呂の用意が出来たらしいので利人に声を掛けに行く、という体で様子を見に夕の部屋を訪ねる。何か話している声は微かに聞こえるが内容までは聞き取れない。 「雀谷君いるかな?」  ノックをしてそう尋ねるも反応はなく、おやと首を傾げた。気づいていないのだろうかともう一度扉を叩き、声を掛けてドアノブに手を掛ける。 (あら)  夕と利人はキスをしていた。  正確には夕が利人にキスをしていた。 「お邪魔だったかな」  悪い事をしたなあとぼんやりと考えていると真っ赤な顔をした利人が夕を突き飛ばし「このバカ!」と叫んで飛び出す。  脇をすり抜けて行こうとした利人の腕を掴み落ち着かせようと試みたが、利人は混乱しているのか霞に見られたのが相当恥ずかしかったのかキッと霞を睨みつけて喚いた。 「元はと言えば貴方のせいですから! この変態教授!」  わあ、変態教授って言われちゃった。  霞は少しぞくりとしてぱっと手を離す。走り去る利人の背中を見送りながら、ああお風呂だって言いそびれちゃったなと思い出した。  さて。  視線を部屋の中へと戻し、利人に突き飛ばされたまま座っている夕を見下ろす。 「夕もやるねえ」  にこりと笑ってそう言うと、夕は眉を顰め怪訝そうな顔をする。 「家庭教師の件、進めていいね」  尋ねるのではなく念を押すようにそう言うと、夕は少し驚いたように眉を寄せたまま目を見開いてふいと視線を下げる。 「はい。是非、お願いします」  扉を閉めて踵を返す。 (何て言われたかったのかねえ)  霞はふっと小さく笑う。 「あ、椿さん。雀谷君見失っちゃいました」 「あら、どこへ行ってしまったのかしら」  洗濯物を畳んでいる妻の椿はまあまあと口元に手を当てる。そして柔らかく顔を綻ばせた。 「何かありましたか? 何だか機嫌が良いみたい」 「そう? ふふ。ちょっと面白い事があってね」  これから楽しみだな、と霞は縁側から夜空を見上げてほくそ笑んだ。

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