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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい10
「大変遺憾でございます。伯爵に先手を打たれましたね」
皆の輪の中に戻っていく背中を見送っていると、忌々しさを表すような低い声で、ベニーが呟いた。
「それって、どういうことだ?」
「ローランド様が男爵になられて、はじめて出席した舞踏会ですが、顔を売るにしてもアーサー伯爵以外は、後々接点をもてばいいと考えておりました」
「僕の身の安全を最優先に考慮した、当初の打ち合わせはそうだったな」
「ですから目立たぬように、この大勢の出席者をかいくぐって途中で退席しても、まったく問題はなかったのですがーー」
「パーティが終わってから話し合いをすることで、アーサー卿は僕らの足を止めたということか」
これまでのやりとりに疲弊したのもあり、持っているシャンパンを飲む気にはなれなかった。窓辺に置きっ放しになっているベニーのグラスの隣に、そっと並べる。
窓ガラスに映る自分の顔は、生気のない朱髪の蝋人形みたいで、売りに出されても誰も手に取らない粗悪品に見えた。微笑んでみたところで、三流品が二流に上がる程度だろう。
「僕みたいな片田舎の男爵に手を出そうとする、アーサー卿の趣味がさっぱり理解できない」
「そのことはさておき、お耳に入れていただきたい情報がございます」
「何か面白い噂話を入手したのか?」
眺めていた窓から振り返り、ベニーに向かって自嘲的に微笑した。
笑いかけた僕の顔を赤茶色の瞳が捉えるものの、愛想笑いを浮かべることなく、硬い表情のまま返事をする。
「さきほどゼンデン子爵のお話を、伯爵自ら口にしておりましたが――」
「もしかして、アーサー卿とゼンデン子爵がデキていたとか?」
「いいえ。ゼンデン子爵の奥様と伯爵が、最近まで姦通していたという事実があったらしいです。いつからおふたりが付き合っていたなど、詳しいことはまだ分かっておりません」
「姦通ってお前、その言い方……」
僕は慌てて人差し指を口元に当てたというのに、ベニーはしれっとした態度を崩さない。仕えている主人に手を出そうとしている相手だから、毛嫌いするのは当然なのかもしれないけれど。
「ベニー、口は禍の元になる。ここは公の場だ。気をつけないと、僕が悪く言われることにつながるんだぞ」
「申し訳ございません、以後気をつけます」
姿勢を正して深く頭を下げた白金髪を見ながら、ベニーによってもたらされた情報をもとに、頭の中で整理してみる。
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