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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい18
「……嫌です」
蚊の鳴くような弱々しい声だったが、はっきりと拒否したというのに、伯爵は差し出した手を下ろさなかった。
「来週あたり、国王陛下から男爵宛に手紙が来るはずだ。内容は土地のことについて。俺が君を推薦したら、首を縦に振って了承してくれたよ」
「そんなこと……」
「頼んでいないと言いたいだろうが、君が断れないように恩を売った。理由は分かるね?」
僕は問いかけに答えず、縦にも横にも見える感じで首を振った。恩を勝手に売った伯爵に苛立っても、文句のひとつすら言えない状況に追い込まれていた。
自分とベニーが助かる方法を必死になって考えてみたものの、どうあがいても覆せない展開ばかりが頭の中を支配する。
「力があるものが、この世を支配する。俺たちの関係もまさにそれさ。しかも俺に目をかけられただけで、領地が広がったんだ。先祖代々アジャ家を守ってきた先代たちも、さぞかし喜ぶことだろう」
(自分の躰と引き換えに領地を広げたことを知って、誰が喜ぶというのか――)
「俺の傍にいるだけで、男爵の力が増していくのは確実だ。まずは手はじめに、執事殿を守ることからはじめたらどうだい?」
「ま、もる?」
「ああ。身近にいる者を守れないヤツは、権力を得ることに必死になって、手元が疎かになる。誰も守れない、無能な人間に成り下がる」
もっともらしいことを告げられたせいで、ドアノブにかかっていた手がするりと外れた。
「優しい男爵が力の使い方を学べば、民たちが今よりもたくさん、喜ぶことが増えるんじゃないだろうか。俺は純粋に、その手伝いがしたいと思ってる」
「民たちが喜ぶ、こと……」
さっきまでは逃げることばかり考えていたのに、それに疲れ果ててしまって、頭の中が真っ白になる。すると動かないと思っていた足が、伯爵に向かって歩みだした。
「俺が知ってる、力の使い方を教えてあげる。さぁこの手を取って」
呪文のかかった悪魔の囁きに導かれるように、伯爵の手の上に自分の手をそっと重ねた。そんな僕の手を柔らかく握りしめ、鍵のかかった扉の前に誘導する。
「君が生まれた年のワインを用意してある。酒が弱いからなんていう理由で、注がれた酒を飲まないんじゃ、場の空気を壊してしまうからね。貴族の嗜みとして、酒くらい慣れないといけない」
伯爵は空いた手で、胸ポケットから金色の鍵を取り出して開錠し、扉を大きく開きながら僕を部屋の奥へと誘った。
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