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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい38

「アーサー卿、どうしてそんな前から、ここで待っていたのですか?」 「無駄な時間を過ごしてるって君の顔に書いてあるが、俺としてはとても有意義な時間だったんだよ」  肩に置かれた伯爵の手に、引き寄せるような力が入ったのが分かった。だからこそ抵抗すべく慌てて両腕を突っ張ってみたのに、いともたやすく抱きしめられてしまった。 「ぉ、おやめください。人目につきます」 「男爵が陛下に逢う前に、茶畑に寄る可能性だってある。だからずっと待っていた。どうしても、すれ違いたくはなかったんだ。あの夜のことを謝りたかったからね」 「アーサー卿……」 「こうして抱きしめていることすら、君に不快感を与えてることも分かっているのにな。好きすぎて、どうしても止められない」  骨が軋むほどの抱擁だった。躰に感じる痛みを訴えたら、これ以上嫌われないようにするために、解放されるのが想像ついた。それなのに――。 (そのことが分かっているのに、言葉が出てこない。こんなふうに激しく求められたことがないから、なおさら――) 「ローランド、君の心を手に入れたい。どうすれば君と両想いになれるだろうか?」 「それは、ちょっと……」  爵位でいつも呼ぶ伯爵の口から、自分の名前が飛び出ただけで、何とも言えない気分になった。両親や友達、ベニーが使うのとは明らかに違った感じに、戸惑いを覚える。これ以上は危険だと、心がざわついて警告を発した。 「他のヤツのように名誉や金では動かない、聡明な君を知っているから、他の方法がちっとも思いつかなくてね。こうして何度も好きだと言って、抱きしめることしかできない」  恐るおそる顔を動かして、伯爵を仰ぎ見た。頭上に広がる空の色よりも深い蒼色の瞳が、困惑を示すように揺らぎながら僕を見つめる。 「伯爵、も、そろそろ……、放してく、ださぃ」  伯爵の気持ちが移ったのか、狼狽えた声でたどたどしく訴えるのがやっとだった。まるで鏡に映したみたいに、困った顔をしているかもしれない。 「抱きしめるだけでこれ以上、他に何もしない。今だけでいい。ローランド、君の存在を俺に感じさせてくれ」  伯爵の金髪が茶畑を吹き抜ける風を受けて、優しくなびく姿を、ただ黙って見つめるしかなかった。頬の熱を冷ますように風がずっと吹いているのに、一向に収まる気配がなくて、どうしていいか分からなかった。

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