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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい92
屋敷の中でおこなわれている、騒ぎの様子を耳にしながら、銛に刺さったままでいた獲物を引き抜き、空に向かって放った。光り輝きながらゆっくりと落下して手の中に戻ったそれは、青リンゴに姿を変えていたのだが――。
「ところどころ傷んだ色をしているな、それ……」
ベニーは持っていた銀の銛を消し去り、青リンゴを一口頬張りながら颯爽と車に乗り込む。
「先輩、早く乗ってください」
「悪い悪い。面倒なことに巻き込まれないように、さっさとズラかるぞ!」
黒ずくめの男が後部座席に乗り込んだ途端に、車が発進された。勢いよくアクセルを踏み込んだベニーの顔に、明るい兆しが見え隠れする。慌てて乗ったため、体勢を崩しながらその様子を眺めていた黒ずくめの男が、重たい口を開いた。
「ベニーちゃん、このあと、どうするんだ?」
話しかけながら背もたれに身を預けつつ、シートベルトを締めた。
「どうって亡き主に頼まれた事後処理を、執事として完璧にこなすだけです」
「執事として、ねえ……」
しばらくの間、静まりかえった車内に、青リンゴを咀嚼する音だけが響く。
「それが終わればお役御免ですから、執事としての配役も終了でしょう」
追手がやってこないか、ルームミラーで背後を気にしつつ、ハンドルを操った。
見えない深手を心に負っているせいか、ミラーに映る人物が一瞬だけ、ローランドに見えてしまうことにひどく落胆した。
「どこかのお屋敷で、執事として雇われる気はないのか?」
「ありません。案外この世界は狭いんです。ローランド様に仕えていたのを逆手にとられて、嫌がらせをされても、気持ちのいいものではないでしょう?」
「確かに。男爵という立派な爵位があるっていうのに、住んでるところであんなにも他の貴族にバカにされるとか、俺だったら耐えられない」
「住んでいたところで、バカにされていたわけじゃなかったんですけどね。アジャ家は歴史も浅い上に、銘柄もろもろ何かと問題のあるお屋敷でしたので。ローランド様は若くして、爵位を継がれたことで目の敵にされておりましたし、前男爵もかなりの頑固者で有名でした」
アジャ家に仕える身として、やっと他人に苦労を吐き出した瞬間だった。
「ふーん。もう執事をしないとしたら、このあとどうするんだ?」
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