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第15話

「つまーんなーい。ね、五香さん」 シーンとシーンの合間、セット脇のパイプ椅子に腰掛けて台本を眺めていると、無遠慮に真央が話かけてきた。 真央との共演は今回が初めてだが、画面で見ているイメージと全く違った。この世界ではよくあることだが、それでも最初は内心少し驚いたくらいだ。たまにバラエティ番組などで見かける彼は、世間知らずの天然という印象で、こう言っちゃなんだが、脳みその変わりに綿菓子でも詰まっていそうな人物だった。 慧佑はあまりその手のタイプは得意ではないため、短期間とはいえ一緒に仕事をするときどう接しようか若干面倒くさいと思っていた。 相手にしない、という選択肢もあるだろうけれど、慧佑は話しかけられて無視をするようなタイプではないし、そもそも主演である慧佑がある程度和やかにしておかないと現場の雰囲気も悪くなる。 しかし実際現場で接していると、頭の回転が早く、サバサバした物言いをする。イメージとは真逆だった。それでもきっと最初は多少ネコを被っていたようだったが、数日でそれもなくなった。意外なことに、元々健太郎と仲が良かったらしく、それが化けの皮を剥ぐのに少なからず影響しているようだった。 そして本性の方が、慧佑とウマが合ったようでこうしてよく会話をするようになった。 「何、真央ちゃんふくれてどうしたの?」 通常、成人男性にちゃん付けはどうかと思うのだが、中性的な見た目で、くりくりの目と形よく膨らんだ唇を小さい顔に絶妙に配置している真央は、違和感なく受け入れている。よくそう呼ばれるらしい。 そして今はその大きな瞳を半分くらいに細めて、嫌そうな顔をして指をさしている。 指の先には春一と健太郎がおり、春一が健太郎の耳元に手を添え、何か話しているようだった。顔一つ分身長差があるため、健太郎は膝を曲げ、春一は少し顔を上げ、健太郎の耳の高さと春一の口元の高さを丁度いい具合に合わせている。あの二人にとってはそれがもう当たり前なのだろう。きっとどれくらい屈めば丁度いいのか、考えなくてもわかっているはずだ。 少しお互い何か話したあと、健太郎が周囲のスタッフに声をかけられ、春一はどこかへ去っていった。 「アレとアレ」 「ああ、健太郎とハル?」 慧佑と真央の会話の多くはこの件である。 「…寝たな」 「えっ、そうなの?何でわかったの?」 真央は顔に似合わず、チッ、と舌打ちした。 この男、幼い頃からこの業界にいたせいか、はたまた天然のものなのかわからないのだが、人を見る目がやたらと鋭い。 誰と誰が付き合ったという大きな転機ならば、ほぼほぼ読み間違えることはないらしい。 「空気でわかりますよ。ケンタくん鼻の下伸びまくりじゃないですか!!もー五香さんがぼーっとしてるからですよ!!」 伸びまくり…そう言われてみればだらしない顔をしているような気もするが、元々あの二人は仲がいい。慧佑にはこれまでとの差はわからなかった。 「ええー…真央ちゃん、健太郎応援してるって言ってなかったっけ?」 「わかってないなぁ。ぼくはケンタくんが恋愛で無器用にもがく姿を、その愚行を観察するのが楽しみのであって、くっついた二人見てもなんも楽しくないんですよ!!むしろイチャイチャされてイライラするだけじゃないですか…五香さんはスマートすぎるから見てても面白くないんからケンタくんを応援してたんですよ!!」 なんという言い分だろうと、さすがの慧佑も苦笑いだ。 「…あーつまんない。もうケンタくん冷やかしてからかうかな…いや、のろけられるだけだな、絶対…。むかつく…。あ!誉田さんなら楽しいかも!」 そう言ってポンと、手を叩いた。新しいオモチャを見つけたかのような反応に慧佑も軽く苦言を呈した。 「何言ってるの…人の恋路を邪魔するやつはなんとやらだよ…」 「誉田さん、きっと五香さんのお誘いなら二つ返事でのってきますよ」 「やだよ…」 さっき真央は慧佑のことを「スマートすぎる」と言っていたが、あの二人がついにくっついたと聞いて、それなりにはショックを受けている。 失恋、という気もするし、娘を嫁に出すようなそんな気分にもなった。 人の気持ちに敏い真央が、そんな慧佑の気持ちに気付かない筈はないのに、傷口に塩を塗り込むがごとくだ。 はぁ、と心でため息をついていると、ポケットのスマホがブルル、と振動した。 見てみると、タイムリーに春一から、しかも飲みの誘いだった。 但し、二人きりでなく…… 「なになに、五香さん、眉間に皺寄ってますよ?」 「噂のハルからだよ」 「えっえっ何ですか?」 目を輝かせた真央に慧佑が続ける。 「『飲みに行きませんか?』」 「えっ、ぼくも行きたいっ」 「『新木から連絡があったんです』…新木って、サークルの仲間なんだ。残念だったね、真央ちゃんは蚊帳の外」 「えーーーぼく別に気にしませんから」 「ダメー」 「ケチ!」 いーっと子供のように悪態をついたが、それ以上しつこくはしてこない。 その引き際のバランスが真央のいいところでもある。 それから少し間を置いて座り、台本に目を通し始めたかと思うと、程なくして「成田さん」とスタッフに呼ばれ、100枚くらい猫を被って席を立った。 しかし、せっかく真央から解放されてたというのに、ふぅ、と一息ついたところで、再び眉間に皺を寄せてしまう。 ーー新木、何だってまた…。 新木基隆(あらきもとたか)、春一と同級生の団員だった。なかなかの男前で、身長も180センチ近くあり、細身のせいか数字以上に長身に見えた。そのせいもあり何度か慧佑と共演することもあり、しかもそのほとんどが慧佑と対立するような役だった。 しかし、本来は舞台に立つよりも脚本の方がやりたかったのだと言い、いつしか舞台に立つ事はなくなった。 ぱっと見、爽やかなモテ男なのだが、慧佑は彼を実はあまりよく思っていないし、恐らく向こうも同じく自分のことを良く思っていないだろう。 そんな男が妙に春一に執着していた。 春一からすれば仲のいい同級生の一人くらいのノリだったが、慧佑の目には「執着していた」と表現していいくらいに映っていた。 彼女がいるだろうときも、キャンパス内でしょっちゅう一緒にいたし、そして何より…。 ーーハルもなぁ…何にも考えていないんだろうな…。 スマホを弄びながら、暫く返信の文章を迷い入力する。 『オッケー、遅れても必ず行くから』 程なくして「ありがとう」というスタンプが入った。 慧佑はそのスマホを持ち、健太郎に声をかけた。 「健太郎、ハルは?」 「…なんすか」 相変わらず警戒心むき出しの健太郎に、慧佑も少し意地悪をしたくなる。 自分のモノになったとしても、余裕がないくらい春一のことを想っているのだろう。 「いない?」 「さぁ…」 「丁度いい、健太郎に用事がある」 「え?オレ?」 意外、という顔をした。 確かに春一に用事があっても、健太郎に用事があったことなど滅多になかった。 今はざわざわしているとはいえカメラが回りはじめれば、当然現場はシンと静まり返る。慧佑は渋る健太郎を「ちょっと」と前室に呼び出した。 おしゃべり好きな真央は丁度撮影シーンで、運良くそこには誰もいない。 だが、健太郎を連行していったのはきっと見ている筈で、恐らく後ほど、好奇心の塊に質問攻めに合うだろうと思った。 「なんすか」 不機嫌を隠そうともせず健太郎が先に口を開く。 慧佑はスマホのロックを解除し、先ほどのやりとりを健太郎の前に突き出した。 「じゃーん」 「………なん…」 突然出されたスマホの画面を見ながら、みるみるうちに不機嫌な顔になる。 春一には浮気心など欠片もないとはいえ、こうやって自分の知らぬ間に、しかも慧佑という相手に飲みの誘いを送るなど、内心穏やかではいられないのは想像に難くない。 「ふっふっふ…」 芝居染みた笑い声をあげつつ健太郎の様子を伺うと、なんとか平静さを保とうとしているのが手に取るようにわかった。 「…わざわざ自慢しに来たんですか…言っときますけど、オレ毎日一緒にいるんで…」 そんなの何とも思わない、と言っているつもりだろうが、表情は真逆だ。 今なら真央が「面白い」と言っていたのがわからなくもない。 「毎日一緒にいるから、お外で待ち合わせしてデートなんてしないだろ」 「…別に…用事はそれだけですか」 からかい過ぎたのか、じゃあオレは、とすぐ出て行こうとする健太郎を慧佑は苦笑いで引き止めた。 「まあまあ、今日の本題はそこじゃない」 「…は?」 「もし今後この『新木』って男から連絡があったら、オレに連絡しろ」 「誰です…?」 眉間の皺を更に深くして健太郎がスマホを見つめている。 「新木、新木基隆っていう、ハルの同級生。脚本家希望と言っていたが今は何をしているか知らない。ただ…こいつは学生時代ひどくハルに執着していて、…オレが知ってる中で一番下衆な男だ」 「よく言いますよ…」 「オレはこの上なく紳士だろ」 「…はあ」 「冗談じゃなくて。健太郎、…ハルと寝たんだろ?」 「…!」 慧佑の言葉に、さすがに健太郎も少し驚いた顔をし「ま、まぁ…」と認めた。 さすが真央の観察眼は伊達じゃない。 「じゃあ知ってるか。もし知らなかったら本人の名誉のために知らないフリをしといてほしいんだが、ハルは学生時代恋人ができたことがなくて…」 「知ってますが」 それが何かと言わんばかりに、食い気味に相づちを入れてきた。 「なら話は早い。何でだと思う?」 「さあ…恋愛対象としてはモテなかったんじゃないですか、女には…」 確かに春一は男性的な部分…例えば腕力や体格、に関しては劣る部分があるかもしれない。 しかし、それを補って余ある人間的な魅力がある。 それに気付くのは何もお前だけではないんだよ、と声を大にして言いたい。 むしろ無自覚に色んな人に愛想を振り撒くタイプだ。 「バーカ。優しいし、見た目も…男らしくないと言えばそうだけど、逆に可愛らしい方が好みの女性もいる。それに何より性格がいい。懐が広い。言い換えれば男前だ」 滔々と告げると、健太郎も異論はないとばかりに頷いた。 「だから、それなりに需要はあったよ、男女問わず」 「じゃ、なん…」 「新木が食ったんだよ。ハルに気がありそうな女の子とか、ハルが気がありそうな女の子とか、片っ端から落としてった。あいつ、顔がいいだけじゃなくて金持ちだったから、女子大生落とすのなんかわけないって感じだったぞ」 「…」 徐々に眉間の皺が深くなる健太郎にダメの一押しする。 「ついでに、ハルにちょっかい出しそうな男はいつの間にか学生結婚してた」 「えっ」 「できちゃった婚な」 「…」 「オレは新木のせいだと思ってる。ハルはあんなだからそんなこと全然気付いてないけどな」 目の前で渋い顔をしている男は、まあ、そうでしょうね、という顔で小さく2、3度頷いた。 「言っとくけどな、別に神様がお前のために未経験のハルを渡したわけじゃないぞ。まあ結果、ハルの貞操が守られたわけだが…そうまでして誰の手にも渡さなかったのに、それがお前、ハルの処女奪いましたみたいな男がノコノコ出て行ってみろ。逆の立場で考えたらわかるだろ。健太郎、社会的に抹殺されかねないからな」 幸い、健太郎は頭の悪い人間ではない。強情ではあるが。 よからぬことが起こりそうならば防ごうとすることに反対はしないだろう。 「…じゃあ行かせないようにします」 「ああ…それができれば越した事は無い…けど、ハル自身は親しい旧友だと思ってるのに、何て止める。現にこうやって暢気に「飲みに行きましょう」ってオレに連絡してくるくらいだぞ?え?わかるだろ?」 その点については、健太郎も思い当たるところがあるのか、顎に手をあてて深いため息を吐いた。「何で五香さんは大丈夫なんですか…」 「…まぁ…協定を結んでるようなもんだからだよ、暗黙の」 健太郎は怪訝な顔をしたが、それ以上何か言うことはなかった。 「健太郎、お前がオレのことを面白く思ってないのもわかるし、オレだって同じだ。けど、ここは休戦としよう。ハルがお前とくっついても、オレにとってハルが可愛い後輩なのは変わらないんだよ。ハルを悲しませたくない気持ちも同じだと思うけど?」 肩を竦めてそう言うと、少しの間のあと珍しく健太郎が素直に頷いた。 「…わかりました。…よろしくお願いします」 自分のプライドと春一を天秤にかけて、…いや、かけるまでもないというくらいスムーズに頭まで下げられたので、慧佑は些か驚いた。 じゃ、と健太郎の肩に手をかけ、最後に一言伝えた。 「他人の幸せを自分の幸せと考えられる人間と、自分が満たされることでしか幸せを感じられない人間がいる。新木は間違いなく、後者だよ」

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