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閑話

side 長谷川冬馬  ここ数日気を張っていた従兄弟の頬が緩んだのを見て、俺はようやく人心地をついた。  ぶつくさ言いながらも俺の趣味に付き合って萌えネタを提供してくれる従兄弟の部屋に同室者がやってくると決まったのは今年の二月。どうやら編入生が同室者であるらしいことを掴んだ彼は珍しくイライラとしている様子だった。  話を聞いてみると、どうやら情報が厳しく伏せられていて碌な情報が得られないらしい。情報が規制されているということは上の方の力が働いているということ。すなわち、同室者としては望ましくない人物がやってくるということだ。  情報屋をしている彼からしてみれば尚更だろう。同室者ができるという時点で自分のスペース(彼曰く諜報室)が減ることを嫌がっていたのだ。その上厄介な人物が来るとなれば彼の機嫌は推して知るべしである。  三月末にはその編入生が次期会長の双子の弟であることを同室者権限として明かされたらしい。らしいというのは、昨日にいたるまで俺には一切明かされなかったからだ。とはいえ実際何の情報も手にしていなかった彼のイラつきようは近付けたものではなかったから、何か分かったのだろうということはすぐに分かったのだが。  桜楠円の弟、椎名由といえば椎名グループの跡取りだ。すでに経営にも携わっているらしく、彼を後継者ではなく実質のトップとして見る目も多い。まぁ端的に言ってしまえばすこぶる優秀な男なのだ。  桜楠補佐の実家が椎名グループであることは周知の事実。もっとも、長子である桜楠さまがなぜ親戚である桜楠家へ養子に出されたかは様々な憶測が飛び交ってはいるものの真実を知る者はいない。桜楠家には子供がいないから後継者が必要だったのだろうというのが多くの人の見解だ。  桜楠グループと椎名グループの仲が良好であるため、そこまで不穏視はされていないのが現状だ。  とはいえ新しく入学してくる彼が学園に大きな影響を与えるであろうことは想像に難くなく。編入生の入寮を明日に控えた従兄弟はいつにもましてイライラとしている様子だった。  おいでませ王道編入生っ! と編入生の入寮日に無理やり乗り込んだのも実は心配故である。趣味と実益も兼ねていたことは否定しないが。乗り込んでみるとまぁびっくり。目の前に飛び込んできた(文字通り飛び込んだのは俺の方だが)桜楠補佐そっくりな編入生の姿に動揺する。サラリとした金髪にゆるりとした柔らかな笑み。学園に彼の親衛隊ができるのは時間の問題だと思われた。  驚いたことはそれだけではなかった。何がどうしてそうなったのか、俺の従兄弟はおかしな話し方になっていた。正確には、俺の話し方、性格をコピペした人物へと化していた。  話は変わるが春樹には一つ悪癖があった。春樹は、普段は冷静沈着で感情の起伏も少なく、あらゆる方面の先々を見通し対策を立てることができる。だからだろうか、彼は全く予測できなかった事態への対処の仕方がすこぶる下手であった。本人曰く、思考が固まり自分でも何をやっているか分からなくなるらしい。それってパニックっていうのではと指摘したら酷く機嫌を損ねてしまい萌えネタを提供してもらえなくなったことがあるので口には出さない。出さないが、己そっくりに変化した従兄弟を見ると嫌でも気づく。    なるほど、パニックを起こしたらしい。今回も派手に頓珍漢な方向に走っている。俺を見てまた似たようなのが出てきたぞという顔をしている編入生君から察するに彼が何かをしたという線は極めて薄い。となると情報を自分の中でつなぎ合わせた結果気づきたくないことに気づいた春樹が勝手にパニックを起こしたというのが妥当なところか。  春樹の様子を窺うのもそこそこに、編入生くんのことを観察する。派手な金髪。桜楠補佐は黒髪だったから彼のこれは染めたのだろう。根元までしっかり染められていることから察するに染色したてか。顔に緩い笑みを浮かべた彼の雰囲気に太陽のような温かみのあるその髪はよく似合っていた。同じ顔だというのに桜楠補佐とはまるで雰囲気が違う。飄々としていて掴みどころのない、というのが彼に対する第一印象だった。  これは春樹が情報収集において苦手とする相手だろうと視線を送る。パニックも落ち着いたのか、俺の真似をしてしまったことを後悔しているらしくやけに消沈していた。明らかに後悔してます、といった表情をされるとコピー元のこちらからしてみれば少し気に喰わない。やめ時を見失っているのが分かったが助け船は出さないことに決めた。そもそも役者向きではないのだから限界突破でもしたら自分からやめるだろう。  やめる機会は、思っていたよりも早く訪れた。  ウルシバタと呼ばれた一年生は鋭い眼光を宿し春樹を見つめた。 「赤。この人達、知ってるよ」  人達、とひとくくりにされたことに動揺する。恐らくその知っているとされている情報は俺の知るところではないだろう。なんせ俺は春樹からその情報を買っていない。自称天下の情報屋である従兄弟は身内相手にも容赦なく金を巻き上げる守銭奴だった。  さすがにこのチリチリした空気の中それを申告する勇気(というより鈍感力)は持ち合わせていない。実のところほぼほぼ外野である俺はこっそりフェードアウトすることに決めた。腐男子は空気化するのが得意なのだ! 「それで? 二人はどこまで知ってるんだ?」  おっと。ゆかりんは俺を空気化させてはくれないようだ。というか俺、何も知らないし。しれっとゆかりんの質問をスルーし春樹に全部任せる。  腹の探りあいはしばらく続いた。一段落着いたかな、というところで声を掛ける。一斉に視線を集めビビり散らすも、言葉を続ける。一言発してしまった以上ここでだんまりを決め込むと空気がより重くなりそうだ。そもそも俺はシリアスな空気というのが苦手なのだ。 「とりあえず、お好み焼き食べない? 新しく焼いてさ」  俺の提案に、皆一様に複雑そうな顔をする。結局、生地はもう作ってしまっているから焼かないわけにはいかないし、と思ったのか、ノロノロとお好み焼きを焼きはじめる。最初は嫌々といったふうだったcoloredのメンバーも、お好み焼きが焼けるにつれて気分が高揚してきたらしく、最後にはノリノリで焼き始めた。よくみんなで作って食べているみたいだから、焼いている内にいつものノリというのが出てしまったのだろう。  俺はもちろん、春樹も初めてのお好み焼きに期待が隠せない。いいんちょーが焼き上がった生地ををひっくり返すのを見るのも面白い。食に関心の薄い春樹もお好み焼きの焼き上がる過程を興味深く眺めているようだった。新しいおもちゃを見つけた子供のように目がキラキラしている。  まさか、あんなベージュのドロドロしたまずそうな液体がしっかり固まるなんて思わなかった。焼き上がったものにソースをかけると思ってた以上においしそうである。  仕上げに漆畑くんが買ってきてくれた紅ショウガを乗せる。実に色鮮やかだ。好みが分かれるからお好みで、といいんちょーがテーブルの真ん中に鰹節とマヨネーズ、青のりを置く。よく分からないから全部乗せる。  いただきますと手を合わせ食べ始める。トッピングであーだこーだと盛り上がっていた室内に静寂が訪れる。決して居心地が悪いものではなく、無心に咀嚼し味わうが故の沈黙。  その内ほぅ、と誰かが満足そうにため息を吐く。もしかしたら俺だったかもしれない。そうでなくとも皆気持ちは同じだった。  お好み焼きうっっま!!  ピリピリしていた空気はすっかり緩んでいた。イライラと荒んでいた気持ちも治まったらしく、一同の表情は和やかなものに変化していた。 「三浦」 「ん?」 「さっきは嫌な言い方をして悪かったな」 「はぁ?」 「お前が情報屋だと知らなかったからつい動揺して警戒してしまった。悪かった」  ゆかりんが春樹にすんなりと謝罪する。冷静になったようだ。結果的に、ではあるが俺のお好み焼きを食べようという提案はかなり建設的であったことがわかり内心胸を張る。  春樹はいきなり謝られたことに困惑していたが、重ねて謝られたことでつられるように謝罪をする。実際春樹のあの態度はゆかりんの露骨な警戒心によるところも大きかった。もちろん赤狼を煽ることで情報を手に入れようという思惑もあっただろうが。  赤狼率いるcoloredは独自のルートがあるのかこれまでに一度も春樹の元に情報を買いに来たことがない。だからこそ春樹は自身が裏を仕切る情報屋、D.C.であるという最大のアドバンテージを生かすことができない。端的に言えば、coloredの方が圧倒的に上の戦力を持っているのだ。  つまるところ、情報戦でもD.C.の上をいくcolored相手に情報を引き出すことはほぼ不可能。煽るのも怒りを買うだけで無意味。春樹にはcoloredと敵対することによるメリットが全くない。  自分の非さえ認めて謝ってしまえば早い話喧嘩をする理由がないのだ。仲直りの気配に俺はによによと口元を緩める。まだ出会って二日だが、俺は早くもゆかりんのことを気に入ってしまっていた。そんな俺にとって二人の仲直りはとても喜ばしいことだ。 「なんだ、ウザいぞ冬馬」  辛辣である。いつものことだ。 「これで仲直りだねっ?」 「別に喧嘩してないし」  フイ、とそっぽを向く春樹。どうやら立場が分かっていないようである。 「これでやっとあの変な喋り方やめるんでしょ、春樹?」  その後の春樹の表情の変わりっぷりは傑作だった。 「うるせぇわ! っていうかあれお前のマネだからなバカ!」 「はぁ~? 俺のエレガントな話し方と一緒にしないでくれますぅ~?」 「…っ、ふっ…、いや、同じ話し方だったろ、あれ」  ゆかりんが笑いを堪えようとして堪えきれていない声のまま話す。所々笑い声が漏れている。  その軽快な笑みに、目を奪われた。そして気付く。彼がこの学園で本心から笑ったのは今が初めてだったのだろうと。それくらいに今までの笑みとは違うものだった。  この笑みを見なければおそらく気付くことはなかっただろう。彼の作る『笑顔』はそれほどに完成度の高い紛い物だった。春樹も気づいたはずだ。  表情を窺うと案の定、複雑そうな顔をしている。やはり、頭のいい従兄弟殿は気付いてしまったのだ。今までのゆかりんの言動と、今の表情から。  ――椎名由には何かほの暗いものが秘められていることに。  大変だなぁ。他人事のように気づいた事実を受け流す。これは、俺には必要のない情報だ。物事を過分に知れば馬鹿でいられなくなる。俺は馬鹿でいる自分が好きだった。 「椎名はさ、俺が情報屋だって聞いて気にしないのか?」  情報戦ではcoloredが上。だからこの質問はゆかりん自身の秘密に関することだ。万が一それが露見したとして俺がその情報を売るとは思わないのか。これは多分そういう意味だった。 「えーっと、さ」  躊躇いがちな口調を促すように春樹は浅く頷く。 「三浦はさ、俺たちが情報だけでなんとかなる存在だとでも思ってるワケ?」  ――へぇ。  人知れず声が漏れた。体がふるりと震える。俺の声を、緊張で張りつめたこの場で聞く者はいなかっただろう。俺は思っていた以上に芯の強いゆかりんに驚いていた。感心していたといった方が適切かもしれない。  一拍後、春樹もタガが外れたように笑いだす。気持ちは分かるが正直引いた。笑いすぎだ。 「はー、笑った。ここまでコケにされるとはな! なるほど、分かりやすい」  一見、情報屋として完全に見下されているともとれる発言。しかし俺たちにとってはこの上なく好ましい発言だった。弱いだけじゃないということか。赤狼の名が与えられる訳である。  クツリ、笑ったのは俺か春樹か。なるほど、俺の従兄弟殿の同室者はなかなかやり手であるらしい。

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