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 F組の教室のある北校舎に行くと、廊下にいる生徒の容貌は一気に変化した。体格の大小に関わらず、どの生徒も筋肉がついていて逞しい。歩き方ひとつ取っても喧嘩慣れしている者のそれである。体重の移動のさせ方からして既に違う。  最初は珍しい来客を遠巻きに見ているだけだったF組の連中だったが、誰かが俺を円と誤認したのだろう、次第に人が集まり道を塞がれる。 「生徒会の坊ちゃんが何の用ですかぁ?」 「散々F組をバカにしておいて今更何しに来た」  妙な動きをしたら即座に殴りかかってくるであろう連中に、軽く笑みをこぼす。 「うるせぇ、道開けろ」  突如投げつけられた暴言が理解できなかったのか、連中は唖然とした表情になる。その隙に奴らの間をするりと通り抜ける。  我に返ったやつから順に拳が飛ぶ。 「行かせるかよ!!!」 「クソ生徒会、死ね!」  拳を潜るように避け、襟を掴んでもう一人の方へ放り投げる。殴りかかって来た連中はもつれるように転がった。 「だからうるせぇっての。俺は椎名由。桜楠円じゃねぇ。間違えるな雑魚が」  悠々と廊下を歩き、2-Fの前に辿り着く。先程廊下にいたのは他の学年のF組だったのだろう、二村の教室には殆どの生徒が出揃っていた。 「こんにちはー、二村くんいますか~」  教室に入りドアをノックする。ノックの音は思っていたより教室に響いた。教室中の視線が俺に集中する。 「二村くんならここでーすっ!」  茶髪の男に引き上げられるようにして立ち上がった二村と目が合う。ニコリと笑うと嫌そうな顔をして目を逸らされた。 「うわ、ガチじゃん」  茶髪が面白そうに二村を見る。二村は戯れる茶髪の肩に軽くパンチを入れた。 「ね~ぇ、椎名くんだっけ? 君、どうやってここまで来たの? 廊下に不良連中たくさんいたと思うけど」  円と間違えられてイラっときたので全員伸してきましたとか言ってもいいんだろうか。話が通じなさそうな奴らにお優しく対応する気なんかそもそもなかったが、頭のキレる奴がいるとなると素直に自分の行動を話すことは躊躇われた。  とはいえ、もう伸してしまった後であることに変わりはない。今バレるか後からバラされるかの違いである。 「お願いしたら通してくれたって言ったら信じる?」 「ちょーっと信じ難いなぁ。まっ、どうせ潰してきたんでしょ」  聞かずとも分かるなら聞くなと言いかけ堪える。それでも俺がムッとしたのは伝わったようで、茶髪はおかしそうに笑みを漏らした。 「ね~ぇ、菖。よくこんな子見つけたねぇ。すっごく面白いじゃん」 「下の名前で呼ぶんじゃねぇわ」 「ごめ~ん、菖ちゃん」  二村が無言で腹に拳を叩き込む。茶髪はタイミングを合わせて後ろに身を引き、衝撃をうまく逃す。 「避けるなクソが」 「避けるよぅ、当たったら痛いもん」  楽しそうに笑う茶髪を忌々しそうに見る二村だったが、俺を待たせていたことを思い出したのかこちらにいそいそと寄ってくる。 「……待たせた」 「他の連中は風紀室の前で待たせてる。行くぞ。じゃあ茶髪くん、コイツ借りるんで」 「はーい! ダーリンいってらっしゃーい!」  茶髪に見送られ、廊下を歩く。潰れた不良連中に二村が顔を引きつらせる。 「想像通りだけどエゲツねぇ……」 「日常茶飯事だろ?」 「俺たちじゃここまではできねぇ」 「あっそう?」  どうやらやり過ぎていたらしい。この話について深く突っ込まれると都合が悪いので軽く流す。二村は特に不審がる様子もなく俺に続く。  風紀室の前にいるはずの生徒たちはいなかった。おかしいなと思いながら執務室に置いてある書類を求め中に入る。 「あ。やっと来たようですよ」 「遅いですよ」 「あ、よかったです。忘れてしまったかと思いました」  神谷が紅茶の入ったティーカップを傾けながら言うと、他の者も追随した。中で待っていたようである。ところでなぜ神谷はここにいるのだろうか。 「神谷、何か執務室に用事があったのか」 「忘れ物を取りにきただけです。そしたら部屋の前にお客さんがいたので」 「悪いな。待たせてしまったみたいで」  客人に声を掛けると硬い返事が返ってくる。この生徒は陸上部員だったか。確か名前は……そう、宮野だ。睨みつける目に、そういえば嫌われていたのだったと思い出す。誤解があるのは分かっているのだが、この頑なさではうまく伝えられる自信がない。その内勘違いに気づくだろうと放置することにする。 「二村。中にいた。お前も入れ」 「は? 中に入んのかよ」 「どうせこれからも入ることになるだろうが。めんどくせぇこと言わずにさっさとしろ」 「お前いつものキラキラモードはいいのか」 「あ゛? ンなもん風紀じゃとっくに脱ぎ捨ててるわ」  ニコニコしながら仕事できる気しないし。そう考えると、風紀の人間にいつも一緒にいる三浦、長谷川は俺の不愛想な面を知っている訳だ。それ以外の人間だけが俺の素の面を知らないことになるが、もはやここまで知られているとどうにでもなれといった心境である。まぁ円と親しい人物の中で俺と円が差別化されていれば目的に適うのだが。言ったところで分からないだろう。  思考が一段落したところで部屋の中の空気が妙なものに変化したことに気づく。 「あの、副委員長……彼はF組では……」 「うん、そうだけど?」  何が言いたいか理解したうえで流す。叔父さんは詳しく言っていなかったが、二村とその他の生徒のリアクションから察するに、この学園には差別が存在するらしい。否、差別ならどこにでも存在する。だからこう言うのが正確だろう。この学園には、F組を明確に他の生徒と区別、隔離する意思が存在すると。  二村は彼らの反応に顔を歪めすらしなかった。初めて会った時のように不機嫌そうな表情をするでもなく、ただひたすらに無。遠くの方で子供の声が聞こえた。堪らなくなり彼らの前に置かれてある机をバンと叩く。  びくりと怯えた様子を見せる彼らに構わず、神谷に問う。 「神谷……、俺さ。編入したてでこの学園の規則に詳しくないから教えてほしいんだけど」 「はい」  意外にも神谷の声は落ち着いていた。変な話だ。何を言うか一番よく分かっている自分の声が震えているなんて。理由なんて、自分自身痛いほどに理解しているけれど。 「この学園って、F組の生徒が風紀入りしちゃいけない決まりって、ある?」 「いえ、ありません。学則にはどの生徒も等しく委員会に入る権利を有しています」  快活に言い切った神谷はどこか呆れた空気を纏っていた。眩しそうに目を眇めた彼は、小さく笑う。 「──だ、そうだ諸君。分かったならさっさとこの書類に必要事項を記入しろ」  デスクから取り上げた書類を投げやると、彼らはあわあわと散乱した紙を拾い集める。 「二村、お前もな」  書類を胸に押し付けると、二村はぐしゃりと握りつぶす。 「……あぁ」  ぐしゃぐしゃになった紙を新しいものと取り換えようかと持ちかけると、二村は「これがいい」と拒絶した。目は言葉よりも雄弁に彼の気持ちを俺に伝える。キラキラと輝くその瞳に、「やっぱり拾いすぎたかもしれない」と性懲りもなく内省した。

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