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鯉渕はごり押す形で風紀入りを決めた宮野を心配して付いてきた、小柄な一年生だ。宮野とは三歳のころからの幼馴染なのだと初めて会った時に伝えられた。大人しそうな顔をしているが幼少の頃から空手を習っており、ある程度の相手なら勝つ自信があるらしい。
「どうした鯉渕」
「……あの、俺だけかもしれないんですけど、気になってしまって。結局、伊丹先生は理事長先生の幼馴染なんですか?」
そうだ、すっかり忘れていたがそのようなことを言っていた。その後に続いたSだのMだのの話も気になる。こちらの聞きたいような、聞きたくないような微妙な気持ちに一切気付くことなく伊丹は飄々とした顔をしている。賭けてもいいがこの男、何も考えていない。
「そうですね、私と桜楠は確かに幼馴染です。ですが君たちも似たようなものでしょう。この学園に通う者は多くが初等部から机を横に並べ学問に励んでいます。それがこの歳になるまで交友関係を保っているかどうかという話ですよ、私と彼の関係はね」
叔父さんと伊丹はこの学園出身なのか。桜楠学園は多くの経営者を輩出しているからそう驚くような内容でもないが。
「とは言え、彼の経営する学園に雇われるだけの親交はありますがね」
すごくコネ臭い。以前の彼の印象ならともかく、案外出来ない人であることが発覚した今となってはコネでこの学園の教師になったのではと疑ってしまう。また機会があれば叔父さんに聞いてみよう。
「それと……あの、」
鯉渕が言いにくそうに視線を泳がせる。ピンと来た俺は代わりに聞くことにする。
「先生は、Sなんですか」
「いえ?」
「それならMですか」
「とんでもない」
「では、理事長先生が仰った『君好きだろう、そういうの!』って何を指しての発言なんですか」
伊丹はそれのことかと浅く頷く。
「それはですね、私の部屋に遊びに来た桜楠が部屋に勝手に上がりこんだり、風紀室の机の中を漁ったり、職員室の机の中を覗いたりしてエロ本を見つけてですね」
「待って待って。待ってください」
部屋に遊びに来るってどういうことだ。あと一言に詰めこむ情報量が多い。
「……またですか。話の途中で遮ってきて」
伊丹がムッとした顔でこちらを見てくる。俺だって話の内容が分かりやすくまとめられているなら止めはしない。だがこいつはだめだ。分かりにくい上に回りくどい。要領の得ない話は嫌いだと豪語していたくせに!
もしこれが青だったら膝詰めで説教をしているところだが相手は一応教師だ。コネ入社臭いが教師は教師。説教はまずい。
「……すみません。気になる点が浮上しまして」
「どこがです。分かりやすかったでしょう」
いいえちっともと言いたい気持ちをグッと我慢し、「すみません。理解が及ばず」と謝罪する。絶対仕事できないぞこの大人。絶対仕事できない!
「仕方ありませんね。ちょっとずつ分けて話しましょう」
「お願いします」
俺がお願いするのか。伊丹の言いたいことを理解しようと会話を誘導している俺はむしろ「理解してくださいお願いします」と頼まれてもいい立場なのではないだろうか。疲れた思考がそう吐き捨てるも、なんとか頭を働かせ、話を聞く体勢に入る。
「まず第一に、先生がS、もしくはMを示唆するものを好んでいるというのは理事長の誤解ということでよろしいですか」
「そうですよ、さっきから言っているでしょう」
言ってねーよ。
ツンと澄ました顔で言う伊丹。腹が立つが堪えろ俺。こめかみに血管が浮くのを感じる。
「そうですね、失礼しました。次に、理事長が部屋に遊びに来たのはいつ頃の話ですか」
「ちゃんと話、聞いてました? 学生の頃の話ですよ。寮にいた時に起こったことですから」
だから言ってねーよ。
ツッコみたい気持ちを抑えつける。学生の頃の話か。対して職員室の机を覗く件は今現在の話で間違いないだろう。この先生、いつごろ起こったことか明言せずごっちゃにして話しやがったな。
「風紀の机の中を漁るとは? 先生、学生の頃に委員でもやってたんですか」
「おや、知りませんでしたか。私は学生時代委員長をやってたんですよ。だから今風紀の顧問を任されているのです」
知らなかった。余程当時の副委員長は優秀だったのだろう。というか何でこいつに委員長なんてもんやらせたんだ。不思議でならない。
俺が首を傾げていると、それまで大人しく話を聞いていた宮野が口を挟む。
「でも、場所を考えずにエロ本を潜ませるのは……どうかと思います」
待ち合わせの約束を取り付けた時にも感じたことだが、宮野は青の影響で風紀に憧れているところがあるらしい。それゆえに伊丹の仕事に対する不誠実さを疎ましく思ったようで、彼の口元は嫌そうに歪められていた。
俺と同じように彼の思いに気づいた伊丹が口を開く。
「何か勘違いしているようですが。エロ本は風紀が取り締まった物品ですよ。学生時代は委員長、現在は顧問ですからね。責任のより重い者へとそういった物は回されるのです」
心外そうに告げられた言葉に、宮野は安心した素振りを見せる。
「全く。失礼な話ですよ。田上先生なら潜ませていそうですが」
怪しい素振りでも見たのだろうか。少し声のトーンを落とした伊丹に不穏な気配を感じ取る。
「見たんですか」
つられて声のトーンを落とした俺に、伊丹はあっさりと言い放った。
「いえ、でもそんな顔してません?」
やっぱり風評被害だった。
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