服を着たまま風呂場に入る俺に、宮野は苦笑した。 「別に副委員長が脱いでたって怖がりやしませんよ」 　だから脱いで入っても大丈夫と主張する宮野に、今度は俺が苦笑する。 「いや、俺が怖いんだ。ごめんな」 　曖昧な物言いに宮野は浅く頷いた。俺の発言を気にしないことにしたのか、宮野はシャワーを手に取り体を濡らしていく。水の床を叩く音が風呂場に広がる。水滴が跳ね、シャツが徐々に湿っていく。しっとりとしたシャツの肌触りに俺は口をひき結んだ。 「透けそうですね」 　軽い口調で告げられた言葉に、内心びくりとする。そうだな、という気の無い返事に宮野はやはり苦笑した。 「洗ってくれませんか？」 　渡された石鹸に戸惑う。促され泡を立てると、宮野はごめんなさいと項垂れた。 「俺、ずるいことをしようとしてる」 「……ずるい？」 　泡だてながら相槌を打つ。泡はもう少しで両手いっぱいになりそうだった。 「俺を汚した人は別の人なのに、副委員長で上書きしようなんて、」 「宮野」 　震え混じりの言葉に、俺はさっき聞きかけたことを口にする。 「青じゃなくてよかったのか」 　宮野はへらりと弱々しい笑いをこぼした。 「俺が救われたのは、先輩だったから」 　それとも、今更先輩に救われようなんて都合が良すぎますか？ 　くしゃりと歪む顔。その鼻のてっぺんに泡だてたばかりの泡をちょこんと乗せると、宮野の顔は固まった。 「今更なんかじゃねーよ」 　うまく言えないけど。宮野が歩み寄ってくれることを俺は嬉しいと思っているから。嬉しいことに、遅いも早いもないだろう。 　言いたいことは、声にならなかった。宮野が傷ついているのに、俺の喜びを伝えていいのか、傷つけやしないかと考えすぎて。伝える代わりに、不器用な口は同じ言葉を紡ぎ出す。 「今更なんかじゃ、ない」 　詰まりながら言った言葉に、宮野は声を上げて涙を流した。 「スッキリしたようで何よりだ」 　宮野の表情を見た南部先生は満足そうに頷く。宮野は先生の言葉に目元を擦りながらはいと笑った。 「風呂から上がったとこ悪いんだけどな。Ｆ組の状況が思いの外悪い。椎名、お前ちょっと話聞いてこい」 「ジョージ、そんなに悪いんですか！？」 　俺が返事をするより早く、宮野は先生に聞き返す。先生は勢いに驚きながら、口を開く。 「ジョージって呼ぶなっつってんだろ」 　宮野の問いに答えたのは、別の声だった。宮野はハッと表情を変えると、“ジョージ”に飛びつく。 「いっっっだ！　馬鹿かお前！　ほんと馬鹿か！」 「ジョージ！　よかった！！　助けてくれたのにボッコボコにやられちゃってたから心配した！」 「うるっせぇわ！　誰が雑魚じゃぶっ飛ばすぞ！」 　頭を叩くジョージに宮野は心配したのに！　と苦言を呈す。朗らかな宮野の表情に、よかったと安心する。 「お前、牧田のとこのやつだろ」 「っ、あぁ、はいっス。自分、根岸丈二っていいます」 　なるほど、それでジョージか。根岸、と反復すると首肯が返ってくる。 「知ってるかもしれないが俺は椎名由だ。風紀の副委員長をしてる。根岸、宮野を助けてくれてありがとう。俺じゃ間に合わなかった」 　お前がいてくれてよかった。 　ありがとうと頭を下げると、少しの沈黙の後、焦った声が降ってくる。 「頭上げてください！　俺なんてそんな大したこと、」 「してるよ。……お前がしたのは、すごく立派で、大したことだよ」 　お前以外の誰にもできなかったことだ。 「ありがとう。俺の仲間を守ってくれて、ありがとう」 　根岸。 　感謝を込めて名前を呼ぶと、根岸は徐々に顔を赤らめる。 「う、わ。なにこの人、質悪ぃ」 　視線をうろうろと彷徨わせ、根岸は牧田の名前を何かに取り憑かれたように呟きだす。その様子にハッとした表情を見せた宮野は、根岸の襟元を掴むと揺さぶりはじめる。 「ジョージ！！　まだ戻れる！　まだ戻れるから！！　夏目委員長まで行ったら手遅れだけど！！　ジョージはまだ戻れる！！」 　不意に名指しされた青は、宮野の言葉に複雑そうな表情を見せるも、必死な宮野と苦しげな根岸はそれに気付かない。 「うぇっ、ちょ、なんだよ！！　苦しい！　しかも痛ぇ！！　つかジョージって呼ぶな馬鹿！！」 「ジョージぃ〜！！　あの人は誰でもすぐ誑かすんだから好きになっちゃダメだって馬鹿〜〜！！」 「〜〜苦しいって言ってんだろ落ち着け！」 　根岸は自分を揺さぶる宮野の手を取り、力任せに壁に押し付ける。 「……やっと大人しくなった」 「うぇ、ちょ、えっ？　あれ？」 「？　んだよ急にきょどりやがって」 　ゆるゆると伏せはじめた宮野の顔を、根岸は不思議そうに覗き込む。根岸の気配を感じた宮野は、そっと顔を上げる。二人の唇が、輪郭を掠め── 「はいストップ。イチャコラすんのはいいが今じゃねぇだろう。根岸、お前Ｆ組の状況が悪いって言ってただろうが」 　丸めた雑誌で頭を叩いた南部先生に、根岸はぼんやりとしていた表情を改める。 「っ、はいっス」 「え、じゃあＦ組の状況が悪いって」 「根岸の話ではなく正しく文字通りの意味だな」 「っ、うわぁぁぁ」 　自分の勘違いに気付いた宮野は、簡易ベッドに潜り込み姿を隠した。自分の暴走に居たたまれなくなったらしい。 「……宮野のフォローは後でするとして。根岸、話してくれるか」 　青は、話を切り出した。 「はいっス。事の発端は、牧田さんがある命令を下したことでした」