114 / 212

4-34

side 円  誘われるまま海に入ると、なぜだか背筋がぞっとした。ざざ、と波の寄せる音に顔をしかめる。なんとなく、嫌だと思った。やっぱり浜辺に戻ろうか。断りを入れようとしたその時、えいという気の抜ける声とともに飛沫が上がる。咄嗟に目を瞑るも、いくらか目に入ったらしい。じわりと塩が目にしみる。 「まどちゃん先輩、びっくりした~っ?」 「南斗、会長痛がってんじゃんっ。会長、ごめんなさい」 「……っ、ぁ」  大丈夫だ、と答えようとした声が止まる。ズキン、という痛みに意識が気取られる。目の痛みかと思ったそれは、どうやら目の奥、いわゆるコメカミのものらしかった。ズキン、痛むコメカミに、頭を抱える。会長? 心配そうな北斗の声に、俯けていた顔を上げ、大丈夫だと手を扇ぐ。 「ほんと? 大丈夫? 南斗っ! ちゃんと会長に謝ってっ!」 「まどちゃん先輩、ごめんなさい。それでねっ、まどちゃん先輩っ! 競争しよっ、競争! あの旗のとこまで速く泳げた人が勝ちっ!」 「みーなとー! ちゃんと謝れって言ってんでしょっ!」 「いや、大丈夫だ北斗、ありがとう。……それで、競争?」  湧き上がる既視感に首を傾げながら南斗に問う。そうっ! と南斗は声を弾ませ、小さく両手で拳を握りかためる。もう、と怒る北斗の頭を撫でつけると、ころりと表情を明るくする。うきうきと楽しそうに顔を緩める双子は、あのねと競争について話しはじめた。 「うっちゃん先輩とか~、椎ちゃん先輩とか誘って競争するのっ!」 「江坂と……、由、か? 椎ちゃんって」 「うん、江坂先輩と椎名先輩だよ」 「椎ちゃん先輩は今から誘うの~っ!」  今はもう聞き慣れてしまった江坂の呼称に続けられた、耳新しい呼称に聞き返す。椎ちゃん……。由が、椎ちゃん……。微妙な気持ちになるも、話を促す。他の面々は? と尋ねるも、既に突っぱねられた後らしい。まぁ、各々楽しんでいるようだからわざわざ競争なんてしたくはないのだろう。 「ながちゃん先輩はお肉に忙しいし、けいちゃん先輩は泳げないんだって」 「つまんなーいっ」  ぶぅたれる双子に苦笑する。田辺の断り文句は奴らしいが、日置のは絶対嘘だろう。多分面倒だから適当なことを言って断っただけだ。由を誘う気満々の割に、その他の風紀には声をかけていないのか。不思議に思い南斗に尋ねると、あの人たち怖いし、と唇を尖らせた。田辺曰く、初日のバス移動中に風紀といざこざを起こしたらしいから、その関係であまり歓迎されなかったのかもしれない。  まぁ、今期の風紀はF組の連中が多いから話しかけづらいのもあるだろうが。先日の顔合わせのことを思い出し、密かに溜息を吐く。自己紹介時の秋山の軽口に対する反応からして、良くも悪くも風紀の中心人物は由だ。Fの風紀加入の立役者が由だったらしいから、無理もないことか。何にせよ、生徒会と風紀の交流会だというのに一向に溝が埋まらないのは頭の痛い話である。  ちらりと浜辺を窺うと、パラソルの下からこちらを見ていた由と目が合った。チッ、という舌打ちが聞こえそうなほど眉間に皺を刻み、視線を逸らされる。  ――全部、忘れてるくせに!!! 今更っ、いまさら、兄貴面してんじゃねぇ!!  耳に、あの日の言葉が蘇る。言われてからずっと考えていたのだが、由が何を指して叫んだのか、未だに検討がつかない。  中学に上がってすぐの頃、一人で生家を訪れた日のことか。それとも、もっと前、養子に出された頃のことか。  いや、   ――父さんが、病気で死んだ頃のことだろうか。  忘れているとは言っても、俺ももう十七だ。幼稚園の頃の記憶なんて、成長とともに薄れてくるのは当然の話で。もしかしたら、由と何か大切な約束でもしていたのだろうか。記憶喪失、という線は薄いだろう。思い返す限り、何か断絶している記憶というのはないのだから。  考えている俺に、南斗と北斗がとぼとぼと肩を落とし近寄ってくる。由に水泳競争の誘いをした結果、頭が痛いからと振られたらしい。江坂にはオーケーをもらえたようで、二人の後から江坂が寄ってくる。 「……、かいちょー、大丈夫?」 「? ああ。目ならもう痛くない」 「いや、そうじゃなくてぇ……、分かんないならいいや」  困ったように笑う江坂に礼を言う。江坂は、更に困った色を濃くするも、どういたしましてとはにかんだ。 「はーいっ、じゃあ参加者も出揃ったしいっきまっすよ~っ!」 「並んで並んで~っ」  張り切った様子の双子に促され、一列に並ぶ。 「レディ~~~……」 「……っごー!」  息の合った双子の声を合図に泳ぎ出す。  旗の場所は、思っていたよりも遠くにあるらしく、なかなか近づく気配がない。未だ遠くにあるゴールに焦れ、大きく水をかく。ざざ、と音を立て、目の前の水が膨らむ。波が、と思うと同時がぽりと水を飲む。がは、と咳き込むと更に水を飲んでしまう。海水が喉奥を焼く。海水から逃れようともがくと、足裏を何かに掴まれたように筋肉が引きつる。足が海水をすり抜ける。  がぽり。  水底に体が沈む。 「兄ちゃんッ」  声が、

ともだちにシェアしよう!