160 / 212
5-17
「なぁんで説教される前に叱られるネタを増やしてくるのかねぃ」
「……」
楽しむような口調の牧田だが、目は全く笑っていない。ねぇ椎名? とかけられる圧に、口から呻き声が出た。
「ごめんなさい……」
「ああ、もう!」
正座をする体が縮こまる。申し訳なさに項垂れると、牧田は自身の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。束ねた長髪が乱れる。
はぁ。牧田は重たい溜息を落とす。
「……心配した」
「しんぱい」
「知らねぇ奴に水掛けられてただとか、変な写真ばらまかれてたりだとか! 心配しねぇ訳ないだろ。心配してんの、椎名傷つけてる奴もそれを見てる他の奴らも全員殴って滅茶苦茶にしてやりたいって思ってんの! 分かる?!」
噛みつくように一息で言われ、目を瞬かせる。でも、と思わず口を開く。
「俺、怪我してないけど」
「~~~分からず屋か!」
どんと足を踏みならす牧田。牧田の隣にいた根岸の顔が痛みに引き攣る。足を踏まれたらしい。ジョージぃ、と宮野が気遣わしげな声を上げた。ジョージって呼ぶなまでがもはや完全に一セットだ。
フーフーと荒い呼吸で上下する牧田の肩に手を置き、二村が前に出る。二村はあーと低く唸り、口を開く。思案混じりの言葉はどこかゆったりとしていた。
「椎名。例えば今、F組に対しお前がやられてるみたいな写真がばらまかれてるとしたらどう思う?」
「ねぇ菖ちゃん、その例えは汚い。やる奴の頭を疑うレベルで汚い」
ごほんと咳払いをし、仕切り直す。椎名、例えばと始まるテイクツー。
「……あの桜楠が周囲から虐められてたらどう思う?」
「ぶち殺されてぇのか」
「思ってたより殺意が高い」
高いけどそんな感じ、と頷く牧田に遅まきながら理解する。理解すると同時、新しいものが見えるようになった。
「……え?」
しんぱい。心肺。シンパイ、心配。
……俺を?
分かってるつもりで分かってなかった。眼前に突きつけられたような気分だった。大げさな、怪我もしていないのに。心の中ではその優しさに反発していた。優しさの矛先が自分であると気付きもしないまま。
「……え、ちょっと椎名? 顔あっか」
「分かってるから、」
指摘するな。
羞恥で声が掠れる。自分が円を思うように、彼らも俺を思っていて、俺のために怒りを抱いている。独りぼっちのような顔を立っていた俺の周りは、こんなにも甘く柔らかだ。よくもまぁ、今まで気付かなかったなと呆れるほどには。
「しーいなァ」
顔を覗こうと絡みつく牧田。体をよじり顔を背けるも、体躯の差から上手くいかない。苛立ち紛れに目を瞑り、そっぽを向く。
「なんでキス待ち顔?」
「ばっ、はァっ?!」
目を開けると、牧田の顔は思っていたより近くにあった。びくり、体が揺れる。足は無意識のうちに動いた。
ドス、と重みのあるいい音。牧田の口の端からは呻き声が漏れる。
「ナイス蹴り……」
「説教は終わりだろ、もう帰るからな」
「あっ。根岸!」
「ハイ、了解っす」
牧田の短い言葉を汲んだ根岸はゆるりとした足取りで俺の後に付いてくる。パタパタと宮野の足音も続く。
風紀室から足早に距離を取る。襟元を広げ扇ぐも、なかなか顔の赤みは引かない。熱がややマシになったのは、人気の少ない廊下に差し掛かった頃。
「……で、どこまで行くんすか」
帰ると言いながら寮に向かって歩く余裕もなかったなんて。素直に打ち明けるのは躊躇われた。
「カフェ、とか?」
ここら辺にあるものといえばそれくらいしかない。ちょっと一服というには高い価格のカフェは、一般の学校に通っていた俺からすると敷居が高い。苦し紛れの提案に、目の前の二人は仕方ないなと苦笑する。
「いいっすよ。行きましょうか、カフェ」
***
心地よいクラシックの音色。からころりと時折扉のベルが鳴る。小綺麗なカフェで各々好きなものを頼み――。
それがどうしてこうなったのだろう。
「で。牧田さんをフるんすか」
「げっほ、っ、ぇ、げほ、けほッ」
投下された爆弾に、ミルクティーをすすっていた俺はむせかえる。気付いてるんでしょ、と根岸はナポリタンを口に含む。
「けほ、っはぁ。気付いてるって?」
「牧田さんの好意のことっす。俺は牧田さんが大事だ。この腐った学園で俺らの最善を探してくれた。俺らの誇りだ。あんたが悪い人じゃないのは知ってる」
根岸は一瞬、言葉を噤んだ。何かを考えているようだった。強い眼差しが交差する。
「でも、人の想いを……、違ぇな。牧田さんを蔑ろにするのは許せない」
俺と根岸の間に沈黙が落ちる。店のBGMがやけに大きく聞こえた。痛いほどの静寂の中、隣の宮野が口を開く。
「ジョージ、副委員長好きじゃなかったの?」
「惚れてねぇよ!? 俺ァノーマルだっつの! あとジョージって呼ぶなチビ」
なんというかなぁ。しまらない。
ともだちにシェアしよう!