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 こほんと咳払いをし空気を戻す。人タラシだとかなんだとか聞こえるけどひとまず無視だ。 「好意って言われてもなぁ……」  牧田と俺の関係といえば、将来的なビジネスパートナーだが。気付いているんだろうと凄まれても、正直困る。 「牧田から悪く思われてないことは分かるが。お前の思うような恋愛感情じゃないと思うぞ?」  ただ仲良くしているだけなのに恋愛に置き換えられるのはやりにくい。グラスのストローを回すと、中の氷がからりと鳴った。結露した表面をナプキンで一撫でし、水滴を拭う。でも、と正面から声が上がった。 「僕も副委員長は好かれてると思うけどなぁ」 「宮野、お前な」  宮野まで。そうと決めたら一直線……というか、思い込みの激しい宮野だ。否定したところで聞く耳など持たないだろう。 「だって牧田、さんは先輩のためF組に暴力行為を禁じたんですよね? 人のために動けるって、すごく愛じゃないですか!」  は?  俺のため?  目を見開く俺に根岸がアッと声を上げる。慌てた様子の根岸だが、こちらはそれどころじゃなかった。だってそんなの、知らない。 牧田がそういった命令を下したことは知っていた。当然だ。俺たち風紀はそれをきっかけにF組の抗争に仲間入りを果たしたのだから。宮野が暴行を受けた日。あの日聞いた説明に、俺のためだなんて文字は一切なかった。だから説明を聞いた俺は、周囲に関心のなかった牧田もF組のあり方を考えるようになったのだと。てっきりそう、思っていたのに。 「牧田がそう、言ったのか」  動揺した俺に誘われて、目の前の根岸も表情を変える。まさか、とぽつり。 「本当にあんた、気付いてなかったんスね」  何に。牧田が俺を好いていることに。根岸を見返すと、弱りきった瞳と目があった。困ったな。根岸が呟く。 「意地の悪いこと言って、すんません」  ペコリと頭が下げられる。スキンヘッドの中心から少し逸れたところにつむじが見えた。頭が元に戻され、つむじがまた見えなくなる。いやと歯切れの悪い返事を溢し、頬をかく。気まずげな顔をした根岸の目には同じような顔の俺が写っている。初めの勢いが盛んだっただけ、苦々しい気持ちなのだろう。先ほどの慌てた様子からして、牧田の命令の動機については意図して伏せていたのかもしれない。 「あー、もう!」  根岸はがりがりと髪を乱し、勢いよく自身の頬を叩いた。ふー、と長い息を吐く根岸に、隣の宮野が戸惑いの様子を見せる。かくいう俺も戸惑いを隠せない。ここ、学内とはいえ店だぞ? いきなり叫ぶのはやめてほしい。周囲の客の関心がこちらに寄せられたのを感じる。軽く頭を下げ謝意を示すと、表面上は視線が減った。根岸と宮野は……気付いてないな。俺が過敏なのか。先程よりも客の会話が減ったため、店内のBGMはやや大きく聞こえた。  はぁ、と根岸が溜息を落とす。 「これ、牧田さんにバレたら殺されるな……」 「だ、黙っといてやるから」 「……頼りにしてるッス」  言いつつも根岸は胡乱な目つきだ。副委員長、恋愛に関してポンコツだからねと頷きながら補足する宮野。失礼なと不満に思う俺に気付いたのか、宮野は呆れたように口角を下げた。 「自覚ないんですか?」 「プロとは言わないがポンコツはあんまりだと思う」 「えええ……?」  ドン引き、と呟きながら一歩身を引かれた。酷い。 「あれだけ好き好きオーラ出しといてポンコツじゃないって」 「ん、?」 「夏目委員長のことですよ。好きってやっと自覚したんでしょ」  そのくせして吉衛隊長が好きだとかなんだとか? 訳わかんないし。  ブツブツと文句を連ねる宮野だが、口はハクハクと無意味に動くだけで反論もできない。バレてる? ついさっき自覚したばかりの感情がもうバレてる? 「なんっ、え、なんで、」 「いやだから出てんですよ。好き好きって」 「最近校舎内の監視に出てる俺らFですら分かるくらいッスよ。見て一瞬で甘ェなって思うわあんなん」 「ッ……、っ、」  暑い。すげぇ暑い。  一気に体温が上がった気がする。あまりの指摘に耳を手で押さえ、ぎゅっと身を縮める。ごー、と血の巡る音が耳に飽和する。 「内緒にしろよ」 「ないしょ」 「……っす。じゃ、牧田さんの想いバラしちゃったことを秘密にするのでチャラにしましょう」  内緒、と呆れたように呟く宮野と、眉根を寄せて頷く根岸。もう皆知ってるけどな、という悲劇的な言葉が聞こえた気もするが俺の心の安寧のために聞かなかったことにしておく。多分気のせい。きっと気のせい。 「ねぇジョージ。いつ頃引っ付くと思う?」 「ジョージって呼ぶなチビ。そうだなァ。もうすぐ文化祭あっし、そこらへんじゃねぇの」 「おいそこ、無責任な予想立てて楽しむのやめろ」  こっちは切実なんだぞ。  ……にしても。 「文化祭かぁ」  もうそんな季節か。言われてみればあれほどうるさかった蝉の声も大人しくなっていて。気味の悪かった夏の気配は意識に上らないほど薄くなっている。いつまでも明るかった空も、夕には菖蒲色を滲ませるように移ろっていた。 「何事もなく終わるといいが」  ミーン。  蝉の声が聞こえた気がした。

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