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第2話

 寝返りをうち、こっちを向いた彼の薄桃色の唇が、ほんの少しだけ開いている。彼のほうへ体をかがめて、その柔らかいところに唇をつけると、僕の愛しい人は小さく目を瞬かせ、「ん……」と色っぽい声を漏らした。 「ごめん。起こしちゃった?」 「今、……何時?」 「まだ、寝てていいよ」 「起きる。……コーヒー、淹れてほしいな」  彼は、僕が淹れるコーヒーが世界で一番美味しいと言う。  僕はといえば、料理がまったくできなくて、彼がいつも台所に立って二人分の食事を作ってくれるのをダイニングテーブルに座って眺めているのが大好きで。僕が台所に立つのは、お湯を沸かす時とコーヒーを淹れる時ぐらい。  一年半ぐらい前……、だったかな。まだ付き合い始めてそんなに経っていない頃で、たしか彼のマフラーを借りた記憶があるから、冬だった。仕事を終えた彼とレイトショーを観た帰りに、近くの喫茶店でコーヒーを飲んだ。白い髭がよく似合うハイジのおじいちゃんのようなマスターが、「お兄さんたちに似合いそうなカップを選んでみたんです」と言って、彼には群青色に染まったクラシックなタイプのカップを、僕の前には白地に緑色の葉が描かれたカップを置いてくれた。  金の縁どりがされた、いかにも大人な雰囲気の彼のカップに対して、僕のは丸っこい形といいポップな色使いといい、女の子が見たら「カワイイ!」と飛びつきたくなるようなカップだった。  彼は僕のカップを見ながら、「真治君の可愛いところを見抜いたんだよ」と微笑んだ。  そうだ。  それから、さっき観た映画の話をしているうちに閉店時間になって、それでもまだ帰りたくなくて、確かその夜、初めてここへ泊ったんだ。  和彦さんに借りたマフラーは彼の匂いがして、駅からマンションまで手をつないで歩いた帰り道の間ずっと、ガラにもなくドキドキしていた。  裸になって、あの人のベッドで彼に包まるようにして眠っている時、僕の髪を撫でながら「君は可愛いから……」と彼が言って、僕らは何度も唇を重ね、舌を絡ませ合い、いろんなことを確かめ合った。  …………コーヒーを淹れながら、そんなことを思い出していた。中ぐらいの細かさに挽いたコーヒーの山にお湯が染み込み、徐々に地形を変えていく。それを何度も繰り返している間、きりっとした香ばしい匂いが、あたたかな湯気をつれて少しずつリビングに広がっていく。形の違う二つのマグカップに、コーヒーを注いで彼の待つ寝室へ向かう。アイボリーのカップに、漆黒のコーヒーはとてもよく似合っている。

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