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第1話
「海斗様。着きました」
「……うん」
高級ホテルに19時。そこに、婚約者を呼んだ……いや、そうしろと指示された。
海斗 は、父親の言われた通りその支持に従い、秘書の高良田 にその場所まで乗せて貰う事となった。
「行ってくる……」
「はい……行ってらっしゃいませ」
海斗は高良田にそう告げると、小さな紙袋を持ち、車から出る。そして、バタンッと扉を閉め、高良田を見詰めた。
高良田はいつもと変わらぬ態度で海斗に接し、海斗がその場から遠く離れるまで車の中で海斗を見送り続ける。
これが毎日。
365日、海斗は好きな人(高良田)に見送られながら、仕事や恋人の所へと向かうのだった。
「いた……」
エントランスのソファーには、先に着いていた彼女がいて、海斗を見付けると高いヒールをカツカツッと音を立てながらこっちへと来て、高いブランドの服と靴を見せつけるように海斗の側に寄り、腕を絡めて来た。
「遅かったわね。お父様(海斗の父)に連絡したらもう家を出たって言われて心配してたわ」
「……ごめん」
その近距離に未だ慣れない海斗は、彼女から香るキツイ香水に眩暈を起こしそうになりながらも、それに堪えて息を少し止めてそう答える。
「……ねぇ、どうしてそんなに暗い顔をしてるの? 私と会ってるのにそんな顔しないでよ」
「……ご、ごめん」
彼女は海斗のその表情を見て機嫌が悪くなったようで、海斗にそう言ってきた。
海斗は彼女がこれ以上不機嫌になる事を恐れすぐに謝ったが、彼女はそんな事よりも海斗が手に持つ自身への誕生日プレゼントに意識が行っていて、それ以上謝る必要は無くなった。
「早くディナーを食べましょ! その時に顔合わせの話しを……イタッ!」
彼女は早くそのプレゼントが欲しくなったのか、海斗の腕を引っ張るようにグイグイと先へと進み、笑顔で角を曲がる。だが、会話の途中。ドンっと彼女は何かにぶつかった。
そして、海斗達の目の前に4歳くらいの男の子が可愛らしいクマの格好をして転んだ。
「だ、大丈夫?」
「うん。へーきだよ」
海斗は慌ててその子に両手を伸ばし、ゆっくりと立たせて服のホコリを払い、男の子に怪我がないかを確認した。幸い、どこも怪我は無いようで、男の子は笑顔でそう海斗に言った。
その笑みに安堵した海斗だったが、隣にいる彼女の表情は安堵から程遠い形相になっていて、男の子を睨んでいた。
「ちょっと! 人にぶつかって来て怪我をしたらどうするの!? この服だって高かった……あっ! 汚れてる!」
「ご、こめんなさい……」
男の子は彼女の激昂に涙目になり、すぐに謝り始めた。その姿に海斗の心が苦しくなる。
「親は何処!? 弁償させ……」
「これで新しいのを買えばいい」
そう言って、海斗は財布から数枚の万札を取り出し、それを彼女に渡す。
すると、彼女は満面の笑みを浮かべ、海斗を見る。
「え……? いいの? 5万なんてそんなには……でもありがとう!」
彼女は海斗がそう言うのを待っていたようで、感謝の言葉よりも先に手が出ていた。
でも、こういった事は何度もあるので、慣れた海斗はもう気にも留めない。
「ぼく、大丈夫?」
「う、うん……」
「そのクマの姿可愛いね。似合ってる」
「! あ、あのねママがね、作ったの! 弟とお揃いなの!」
「そっか。……あっ。あれがママと弟かな? 君を探してる」
そう海斗が言うと、男の子は母親を見付ける事ができたようで、海斗にバイバイっと言って足早に母親の元へと行った。その姿が愛らしく、海斗の強張った顔が一瞬緩む。
「ねぇ、なんで怒らないの?」
でもそれが彼女の気に障ったようで、海斗に冷たくそう言ってきた。
「……怒る理由が分からない」
海斗は彼女のその発言に直ぐにそう答え、先を歩く。
「さっきのあの子の態度も……あんな風に笑ってるあなた初めて見た。子供が好きなんて知らなかったわ……」
「……君は嫌いだもんね」
彼女が子供嫌いな事は知っていた。いや、子供だけではなく自分とお金以外が好きじゃない。社長令嬢として生きて来た彼女にとって、自分以外はどうでも良いのだ。
「べ、別に嫌いじゃないわ。ただ、関わる事が無かったから……」
そう言うが、子供が近くにいても「可愛い」と言う言葉を今まで一度も聞いた事は無い。それを海斗は知っている。
「……ねぇ。あなたは私の事をちゃんと愛してるの?」
「……なに? 急に……」
「っ……急じゃないわ。前々から聞きたかった事よ。ねぇ、愛してる?」
「……」
初めて見る必死な彼女の視線。でも、その必死さは海斗の本心を知りたいからではない。
ここで縁談が消えれば、海斗の父親の金が手に入らないと思っての言葉だと海斗は知っている。
ここで海斗が〝別に〟なんて答えたら、彼女は発狂するだろう。でも、それを言わないと彼女は知っている。
「応えないってなに? まぁ、そうよね。あなたはいつもそう。……私が誘っても抱いてもくれないものね」
「……」
「私だって女のプライドがあるのよ。今日こそは……私を抱いてよ!」
けれど、その言葉に海斗の身体が震えた。しかも鳥肌付きで……。
「……り」
「え……?」
「やっぱり……無理……」
無理だ。無理だ無理だ。
「無理って……」
「ご、ごめん……」
どんなに自分を偽っても、彼女を抱く事はできない。だって、想像しただけで吐き気がする。
「無理ってなによ! あなたゲイなの!?」
「ッ……」
その言葉に、海斗の心がグラッと揺らぐ。
(ゲイ……)
閉めていた蓋が少しだけ開いてしまった気がした。それくらい、その言葉は海斗にとって触れてはいけない事だった。
「そんなのあなたのお父様が知ったらどんな反応をするか……」
「ッ……」
「でも、大丈夫。あなたがゲイだとしても、私は離れるつもりは無いわ! 一生側にいる!」
「一生……」
「えぇ。側にいて、良き妻を演じてあげる。だから、変な事は考えないで!」
「変な事……」
それってどんな事? 海斗には分からなかった。でも、彼女の〝一生〟と言う言葉に海斗は今まで背けていた物を強く感じた。
「この事はお父様には内緒にしといてあげる。そうしないと、あなたの居場所は消えてしまうわ! そんなのあなたはしたくないでしょ?」
そう言って、額に汗を滲まず彼女。何処か焦りが見えた。
「なら……もし俺が家と縁を切るってなったら君はどうする?」
「そ、それは……」
そう言った彼女の目が泳ぐ。そして、肯定にしか見えない表情をしていた。
所詮、お金しか目がない人だ……海斗自身なんか1ミリも見てなんかいない。
いや、彼女だけではない。関わる人全て、海斗の事なんか何も考えてはいないーーーただ一人を除いては。
「……疲れた」
「海斗さん?」
疲れた。そんな言葉がぽろっと出た。
すると、溜め込んでいた物が溢れ出して涙も溢れた。
(どうして……一番見てくれている人を愛してはいけないのだろうか……)
そう思うと涙が止まらない。
「もう嫌だ……」
この生活も。この複雑な気持ちも。何もかも逃げ出したいーーー逃げる?
「が、海斗さん!? 何処に行くの!?」
海斗は頭に浮かんだその言葉に従うように、突然、その場から逃げるように走り出した。
そして、当てもなく街を彷徨った。
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