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第3話 本当に欲しい物は何も手に入らなかった。
――もっとも、「泊まりっこ」などと、はしゃいでいたのは俺だけだったかもしれない。同い年の遠縁の純血種と、8分の1の半端者の俺。明らかに両者には血筋からして格差があって、俺が愛斗と親しくなったのは親の作意によるものに違いなかった。言わば俺は「純血種の御曹司」に、同じく「純血種のお姫様」であるところのサヤカ以外の「悪い虫」が近づかないための護衛みたいなものだったのだろう。そんな事実にようやく気付いた頃、愛斗は地元の中学ではなく、少し遠方の私立中学に進み、俺はホッとしたのだ。それから成人式のあの日まで、一族のセレモニーのような場を除いて愛斗と顔を合わせることはなかった。
――数年振りの再会は懐かしさが勝って、愛斗への劣等感や嫉妬を感じることもなく、ただ彼の美貌が更に冴えわたっていることに驚嘆した。その美しい顔がひとつベッドの中で眼前にあるとなれば、妙にドキドキした。それを悟られまいと努力している俺に向かって、愛斗はベッドでこんなことを言い出した。
「ねえ、アレってほんとかな。」
「アレ?」
「セックスが生き血の代わりになるってやつ。俺、最近、人工血液じゃ腹が膨れるだけで、気持ち悪いのは全然治らない。今日も吐き気止めと頭痛薬で誤魔化してなんとか成人式出たけど、それももう限界。これ以上薬増やしたらそっちで死んじゃうよ。」
「俺も似たようなものだけど……。」
「じゃあさ。」愛斗が裕太の首に腕を巻きつけてきた。「しよっか?」
「でも、おまえ、サヤ」許婚の名前など聞きたくないと言わんばかりに、愛斗は裕太の口を、自分の唇で塞いだ。裕太はそんな愛斗をはねのけることはできなかった。
「裕太は、したことある?」と言いながら、愛斗は自分の服を脱いだ。
「ある、一応。人間の女。」
愛斗はヒュウ、と口笛を吹いた。「今もその子とつきあってる?」
裕太は首を横に振る。
「俺、初めて。」すっかり全裸になった愛斗は自分からベッドに乗った。
「だったら尚更、やめよう、こんなの。そういうのはちゃんと……好きな奴とすることで。」
愛斗は笑った。「何言ってんの。好きも嫌いもないうちからサヤカとくっつけられて、こども作るのが義務なんだよ、俺は。」
「サヤカのこと、嫌いなのか?」
「嫌いじゃないよ。でも今言ったように、そんなの関係ないんだ、俺には。」
「サヤカはおまえのこと。」
同窓会にはサヤカも来ていた。銀縁眼鏡に野暮ったいお下げ髪、勉強こそできたが、その風貌からガリ勉女とからかわれていた小学生の頃とは打って変わって、女優かモデルと言っても通用しそうな色白の美人に成長していた。サヤカの透き通るような白い頬が、愛斗の隣にいる時だけはほんのり赤く染まるのを、裕太は見逃さなかった。純血種の特権である美しさを兼ね備えた彼らは、一族でなくてもお似合いのカップルに見えたことだろう。
「知ってるよ。あいつは昔からそうだ。俺のこと、好き好き好き好きってうるさいぐらいに。」
「じゃあ、サヤカと寝ろよ。そんなに惚れてりゃ断らないだろう。」
「おまえが今言ったじゃないか。セックスは好きな奴とすることだって。」
「だから。」
「裕太が好きだよ。」愛斗の目が潤んだ。「好きなんだ。ずっと。」
「……え?」
「サヤカとは結婚する。それを覆す勇気なんか俺はない。それが一族の掟だって言うなら、言うとおりにする。サヤカはいい妻になる。分かってる。だから大事にする。でも、初めてするなら、俺だって。」愛斗は唇を噛んだ。血色は悪いのに妙に艶めかしい唇に血がにじむ。双眸には見る間に涙が溜まる。青みがかった白目。ヘイゼルに近い色合いの大きな黒目。「好きな奴と、したい。」
「……本気で言ってる、のか?」
「諦めるためにおまえとは違う学校にまで行ったのに……。でもダメだな。顔見たら、やっぱり。おまえ、全然変わってないし。」
「嘘だろ、俺、20kg以上痩せたんだぞ。」小学校を卒業するまで、裕太は学年一の巨体を誇っていた。だが、大夢の覚醒に引きずられるように自らも吸血鬼として体質が変化していくと、あっと言う間に痩せ細った。
「変わってないよ。裕太はいつも、俺には優しい目をしていて。弱い俺を支えてくれて。」愛斗の手が伸びて、裕太の頬を撫でた。
愛斗は穏やかな性格だった。気弱といってぐらいだった。何がしたい、あれが欲しいと自己主張することもほとんどなかった。望めば何でも手に入るのに、何も言わない愛斗を、裕太は歯がゆく思っていた。そして、その穏やかさを好ましく思い、なんとか背中を押してやりたいと思う以上に、嫉妬していた。
「おまえはいつも謙虚で、お人好しで、ひとに譲ってばかりいて。俺はそれが悔しかったんだ。何でも持ってるおまえが、何もしないから。何でもできるくせに、すぐ逃げるようなことばかりしてたから。」
「本当に欲しい物は何も手に入らなかった。友達だって結婚相手だって、俺に選ぶ権利なんかなかった。選べないなら、逃げることでしか抵抗できなかった。……逃げきれないことは知ってた。」愛斗は裕太をじっと見つめた。「俺は好きで純血種に生まれたわけじゃない。でも、それが運命なら受け入れるつもりだよ。でも、それでもね。」愛斗は再び裕太にからみつくように腕を回した。「ひとつぐらい本当に欲しい物を欲しがっても、いいじゃないかって、今、思ってる。」
そう言って裕太の胸に顔を埋めた愛斗の息が、ふいに荒くなった。
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