そしてその後、やっと夕也は青年の名を知った。 　筒井将太、彼はいつでもどこでも夕也に付きまとうようになった。 　夕也の姿を見つければ、『夕也さん夕也さん』としっぽを振って寄ってくる。 　最初のうちは筒井に好意を寄せる女性陣に疎ましがられたり、ゲイカップルだと噂されたりもしたが、そのまま六カ月。そのあまりの懐きっぷりは犬のそれに近いとして、今やそんな勘ぐりをするものもおらず、サークル内では二人セットの名物扱いとなってしまっている。 　夕也自身はというと、最初はとてつもなくウザく感じていた。なにしろ筒井は人の目を引く存在だ。女子には嫌われるし、正直放っておいてくれというのが本音だった。 　しかし、懐かれれば可愛く思ってしまうのが人情というもの。しかも、筒井は馬鹿がつくほどの正直さと素直さを兼ね備えた人間だった。そんなやつに慕われて、絆されないやつがいるならお目にかかってみたいものだ。 　そして、女子に嫌われるショックよりも、誰より筒井に好かれているという優越感が芽生ていき、小うるさいと感じる煩わしさよりも、直向きに名を呼ばれる愉しさが生まれ。ゲイ疑惑が消失した頃には、夕也は己がゲイになってしまっていることを自覚していた。 　今までの人生で、男に対して欲情したことなどない。単純に、筒井のことを弟のように、もしくはペットのようにかわいい、好きだと思っていた。 　だが、忘れもしない夏合宿。真横で健やかな寝息を立てる筒井を見て、ふとその唇に触れてみたい衝動に駆られ、自分がとてつもなく興奮していることを悟った。これは、下心がある想いなのだと。 　男にそんな気持ちを抱いてしまったことにかなり衝撃を受けたが、それ以上に、好きで好きでたまらない。 ＊＊＊ 　今だって、その唇にキスをしてみたいと思ってしまう。 「夕也さん、俺の顔、何かついてる？」 　ぺろり、と赤い舌が唇をなめた。 　それと同時に聞こえたいぶかしげな筒井の言葉に、夕也は我に返った。 「へっ？いや、何も」 　ぶんぶんと首を振ると、ちょっとめまいがした。 　ホームセンターに行って目的のカーテンを買い、そのままぶらぶらとお店を冷やかして回った後、ちょうど夕飯時ということで二人で全国チェーンの居酒屋へと入った。所持金がなく断る筒井とどうしても夕飯を一緒にしたくて、夕也がおごると言って入った店だ。 　まだビールで乾杯をしたばかりなのに、もう酔ってしまっているかのようだ。 「そういえば何でカーテン買ったの？模様替え？」 　ビールジョッキを傾けながら、筒井が首をかしげる。夕也はその唇から視線をそらしながら、ああ、と頷いた。 「この前塚田さんが泊まりに来たんだよ。ほら、あの人タバコ吸うだろ？うちのカーテン焦がしてさぁ。ボヤ騒ぎになるとこだったよ、マジで。あ、だからここの金も塚田さんからもらった賠償金だから、遠慮せずに食えよ」 　お通しを突っつきながら説明すると、なんの相槌も聞こえない。なんだろうと顔を上げて再び筒井に目を向けると、彼は唇を尖らせて夕也を見ていた。 「なんだよ？」 「ずるい」 　はっきりと言って、筒井はジョッキをテーブルに置く。夕也は目を丸くした。 「ずるい。塚田さんばっかり。俺も夕也さん家泊まりたいのに」 「え……あ？泊まっただろ、この前」 　つい先週のことだ。サークル内の飲みの三次会会場にされた夕也の家で、盛大な酒盛りが行われたあと、男性陣はほとんどその場で眠りこけて泊まっていったのだ。 「あれはみんないたから。塚田さんは一人でしょ？」 「そうだけど」 　塚田が泊まりに来たのはその数日後、ゼミのメンバーで飲んだら終電を逃したと言って夕也のもとに来た。別に断る理由もないし、塚田にはなんだかんだで世話になっている。泊めないわけにはいかない。 　夕也はドキドキと高鳴る心臓を抑えながら、筒井を伺った。 「それって、おまえひとりで泊まりたいってこと？」 「うん。今日は？だめ？」 　即座に返された答えに、夕也は喜ぶな喜ぶなと自分に言い聞かせた。 　筒井の好きは、性欲を伴わない好き。夕也の家に二人きりで泊まりたいというのも、ただ純粋に男友達と一緒にいると楽しいからという理由だけ。そこに夜の誘いのニュアンスなどまったくもって含まれてはいないのだ。 　そう分かってはいても、心は喜びと期待に満たされて泣きたくなってしまう。 「……ダメ」 「なんで？」 　お前に欲情して襲ってしまいそうだから。 　まさか素直にそんなことも言えず、夕也は首を振った。 「お前家近いだろ。終電逃して帰れないとかじゃないんだから。ちゃんと帰れよな」 「帰れるとか帰れないじゃなくて、夕也さんの家に泊まりたいんだよ」 　またそんな嬉しいことを言う。 「……じゃー来週の飲みの時に泊めてやるよ」 　来週、またサークル内での飲み会がある。どうせまた三次会では寂しい男どもが夕也の家に集まって、みんなが泊まっていくことになるのだ。だから、嘘はついていない。 　そんな夕也の考えが分かるようで、筒井はなおも拗ねた様子だ。そんな様子も可愛いと思ってしまう自分に嫌気がさして、夕也は残ったビールを一気に呷った。 　とりあえず性欲さえ我慢していれば、筒井は夕也のものと言ってもいいようなこの上ない関係性。これ以上の欲を出したらばちが当たる、そう自分に言い聞かせながら。